父の夢をかなえるために-。04年アテネ五輪柔道男子90キロ級銀メダルの泉浩さん(38)が、第2の人生で奮闘している。

東京湾の冷たい海風が吹き付ける、夜明け前の大田市場。現役時代をほうふつとさせる大柄な男が、運搬車ターレが行き交う場内を駆け回っていた。3年前に鮮魚卸売会社に就職し、コロナ禍の影響を受けながらも、日々旬の魚を目利きして流通するのが仕事。泉さんは白い息を吐きながらこう言った。「毎日が修業。魚の勉強をするほど難しさを実感しているけど、柔道と同じで自分で選んだ道。オヤジのためにも魚を通じて地元に恩返ししたいね」。

マグロ漁で有名な青森県大間町出身。72歳で死去した父忠志さんは漁師で、「大間の男たるもの漁師」が必然の環境だった。しかし、9人兄妹の四男は「柔道の強さ」を追求して12歳で単身上京を決意。反対する父に「10年でものにならねば漁師さなるじゃ」と約束し、名門私塾講道学舎に入門した。稽古以上に言葉のなまりをからかわれて傷心。その度、父の顔を思い出して歯を食いしばった。地元に別れを告げ、節目の10年目となる明大4年時に五輪銀メダルを獲得した。

その4年後。北京五輪代表が決まった時、父がテレビインタビューで「息子4人と漁船に乗るのが夢だった」と、漏らしていたことを知った。自分の夢だけを追い続けた泉さんにとって、競技引退後もその一言がずっと心残りだった。

09年に総合格闘家に転身。東日本大震災を機に人生について考えた。被災地支援事業の一環で臨時講師「夢先生」を依頼され、岩手県などの小学生へ夢について講義した。しかし、当時都内在住で被災してない泉さんは、津波で親族や自宅を失った児童に何を伝えて良いのか恐怖を覚えた。さらに現地で焼け野原のような光景を見て、言葉も出なかった。「『夢を持て』なんて言えない状況だった。ただ、子供たちに『つらかったな…』としか言えない先生たちの姿を見て、同じ東北人として、自分が先生たちの思いを代弁しないとダメだと思った」。定期的に児童たちと夢を語り合ううちに、自身の第2の人生も深く考えるようになった。

誰のために、何ができるのか。幼い頃に父の漁船に乗って津軽海峡の荒波で足腰を鍛えたおかげで、トップアスリートになれた過去を何度も思い返した。年を重ねるごとに故郷への思いも強くなり、自然と父と同じ水産業の道へ進んだ。

「オヤジの夢を壊してしまったが、今は青森のうまい魚を全国の人に知ってもらうための仕掛け人になることが夢なんだ。漁師ではないけど、ブランド品(大間マグロ)に隠れたヒラメやウニにも目を向けてもらえるような商いをしたい」

取材を終えると言葉少ない泉さんが「お土産」と言って、イチ押しの生カキを入れたポリ袋を記者にそっと差し出した。鮮魚職人に転身した38歳の五輪メダリスト。優しさとともに、その目は鮮度抜群の魚のように生き生きしていた。【峯岸佑樹】

○…04年に話題だったマグロTシャツ(通称マグT)は現在も好評だ。胸元の「マグロ一筋」ロゴが特徴的で、大間町の町おこしグループ「あおぞら組」が、本州最北端の町をPRするために02年から作製・販売してきた。アテネ五輪で泉さんの両親ら地元応援団が着ていたことで全国から注文が殺到。当時は1年間で例年の10倍となる約5000枚を売り上げた。現在はベビー用品やエコバッグなど商品を拡大。担当の島康子さん(55)は「泉さんあっての大間。第2の人生も期待しています」とエールを送った。

◆泉浩(いずみ・ひろし)1982年(昭57)6月22日、青森県大間町生まれ。小2で柔道を始める。東京・世田谷学園高-明大-旭化成。04年アテネ五輪銀メダル。05年世界選手権金メダル。09年に総合格闘家に転身。18年に鮮魚卸売会社大治水産に就職。慶応中柔道部の外部コーチを務める。家族構成は妻で女優の末永遥と長男。173センチ。