亀田大毅15年目の告白「とんでもないことした 叩かれて当然」内藤大助戦を振り返る

15年の時をへて分かることがある。ボクシングの元2階級制覇王者・亀田大毅(KWORLD3ジム副会長)は今年1月、33歳になった。07年10月、18歳で世界初挑戦。挑んだWBC世界フライ級王者内藤大助が当時、33歳だった。試合は完敗の判定負け。度重なる反則行為で1年間のライセンス停止処分を受け、世間の猛批判にさらされた。「あの経験があったから今の自分がある」。大人になった今、当時を振り返った。

ボクシング

22年1月、会見に登場した亀田興毅氏(左)、宮崎亮(中央)と亀田大毅氏

22年1月、会見に登場した亀田興毅氏(左)、宮崎亮(中央)と亀田大毅氏

当時の内藤と同じ33歳に

暗闇しかなかった。大毅はただじっと部屋にこもってうずくまった。「なんも考えたくなかった」。やってしまったこと。その重みは日を追うごとに増していった。「ボクシングを辞めたい。逃げたい」。その一心だったという。

07年10月11日、東京・有明コロシアム。プロデビューから10戦10勝7KOと破竹の勢いを携え、初の世界戦の舞台に立った。相手は百戦錬磨の内藤。ベテランの巧みな試合運びにあせりだけが募り、最終12回に我を失った。内藤に猛進して押し倒し、レスリング技のように抱え上げて投げ落とした。前代未聞の減点3。暴走行為に、場内からブーイングが巻き起こった。

内藤大助対亀田大毅 12回、内藤大助(右)を持ち上げる亀田大毅

内藤大助対亀田大毅 12回、内藤大助(右)を持ち上げる亀田大毅

大毅 言い訳なんかない。普通に負けたという試合ですよ。キャリアがない自分が、予想通りの試合になった。もちろん勝つと思ってリングに上がっているけど、世界戦の経験なんてないし、素人だった。負けるべくして負けたという試合でしたね。

今は冷静に振り返ることができる。だが、18歳の当時は現実を受け入れることができなかった。

大毅 3ラウンドまで覚えているけど、その後は…。何試合が記憶が飛んだことはあるけど、その初めての経験が内藤戦でした。初めてのことがいっぱい起きた。それに対応できなかったのは未熟のひと言。

怖いもの知らずだった。試合前、王者を「ゴキブリ」呼ばわりし、「負けたら切腹する」とまで言った。挑発は盛り上げを狙った当時の亀田家流のパフォーマンス。発信力が強い分、反発も強い。試合後は「切腹しろ!」などの罵声が飛び交った。

大毅 プレッシャーはめちゃくちゃありましたよ。世界王者にならなあかん家庭。使命感、それだけです。3兄弟で世界王者になる。やめるのは簡単だが、自分だけ欠けるわけにはいかない。生まれたときから十字架は背負っている。

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スポーツ

実藤健一Kenichi Sanefuji

Nagasaki

長崎生まれ、尼崎育ちで九州とお笑いを愛する。
関大を卒業後、90年に入社。約2年の四国勤務でいろいろ学び、大阪に戻って主に大相撲、ボクシングを担当。
その後、担当記者として星野阪神の優勝に立ち会えて感動。福岡勤務などをへて相撲、ボクシング担当に舞い戻る。