「甲子園は清原のためにあるのか」瞬間芸が生んだ名フレーズ/黎明期の高校野球〈8〉

実況なき甲子園って、考えられるでしょうか。浜風に名調子を乗せ、春と夏の風物詩を伝えたアナウンサーの回顧録です。(2015年6月9日掲載。所属、年齢などは当時)

高校野球

★ABC朝日放送 植草貞夫アナ

44年間、マイクを通して夏の甲子園を伝え続けた人がいる。ABC朝日放送の植草貞夫元アナウンサー(82=写真)だ。ミュンヘン五輪を担当した72年を除く60年から88年まで決勝戦を受け持ち、甲子園の実況の顔として数々の名文句を残した。

◆植草貞夫(うえくさ・さだお)1932年(昭7)9月29日、東京都生まれ。早大から朝日放送入社。甲子園大会では60年から88年まで決勝の実況を担当。79年星稜―箕島戦の「甲子園球場に奇跡は生きています!」など数々の名文句で試合を彩り、98年の第80回記念大会で実況を引退した。

朝日放送のアナウンサー時代、高等野球の実況中継で数々の名言を残したスポーツコメンテーターの植草貞夫氏

朝日放送のアナウンサー時代、高等野球の実況中継で数々の名言を残したスポーツコメンテーターの植草貞夫氏

怪物清原(和博=PL学園)ドカベン香川(伸行=浪商)を育てた実況の名文句は、どこから生まれたのか。

特別な単語があるわけではない。小学生も理解できる、易しい言葉が並ぶ。だが、話し手が放送席で単語を組み合わせたとき、忘れられない名文句になる。

植草瞬間芸です。あのフレーズは考えてたんですかって言われるんだけど、考えていたら出るわけない。瞬間のプレーです。難しいことは言わないのはポリシーでした。

試合前の「青い空、白い雲…」を聞いただけで、甲子園の全景が目に浮かぶ人も多いだろう。PL学園(大阪)・清原和博が高校最後の夏、85年決勝・宇部商(山口)戦で2アーチを放ったとき、あのフレーズを叫んだ。

「甲子園は清原のためにあるのか―」

池田(徳島)の監督、蔦文也が59歳で初優勝した82年決勝戦終了のときは、こう声を弾ませた。

「59歳蔦監督の青春―」

83年4月、センバツで優勝し宿舎で記念写真に納まる池田の、前列左から江上主将、水野、蔦監督

83年4月、センバツで優勝し宿舎で記念写真に納まる池田の、前列左から江上主将、水野、蔦監督

個人と深い付き合いがあったわけではない。「ぼくは言葉だけの交流」と植草は言う。それでも清原は「植草さんに実況してもらいたかったから甲子園に行きたかった」と高校時代を振り返り、浪商(現大体大浪商)の香川伸行は、終生植草を「お父さん」と慕った。

古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。