3月に4代桂小文枝を襲名する上方落語の桂きん枝(68)が24日、東京・築地の日刊スポーツ新聞社に兄弟子の桂文枝(75)と訪れた。

きん枝は、05年に74歳で亡くなった師匠の先代文枝が、92年まで38年間も名乗った名前を継ぐ心境を語った。

 「文枝は(上方)落語協会にとって一番大事な名前ですが、小文枝は僕ら一門にとって一番大事な愛着のある名前。弟子の半分以上が小文枝の時に入門してしますから」

襲名の話が持ち上がってから2年間、断り続けた。「それくらいおそれおおいということです。先代の奥さんに『わての目の黒い間にやって』と言われ続けても断っていたんですが『わても年やから最後に頼むわ』と言われて、これは親孝行なんやという気持ちで受けました」と明かした。

小文枝という名前は、12年に現在の文枝が6代目を次いだ時に、一時は凍結することが決められた。文枝は「小文枝というのは、みんなの大事な師匠の名前でしたし、文枝がいて小文枝というのは小型版みたいに取られても困るし」と経緯を説明。その上で「ただ、師匠の芸を継ぐのと同じくらい、名前を継いで次へバトンタッチしていくのも大事なはなし家の使命なんです。彼は2番弟子ですし、師匠に非常にかわいがってもらって、弟弟子の面倒見もいい。落語を本当に好きで、一番見たり聞いたりしているということもありまして、小文枝にふさわしいんじゃないかと、みんなで説得しました」と話した。

きん枝は、先代文枝の孫の桂小きんを15年に入門させた。「落語というのは古典芸能ですから、誰かに弟子入りしないとプロになれない。僕みたいな者でも、うちの師匠に取っていただいたんだから、入りたいという人は全部受けます。先代が生きていた頃から、よく落語を見に来ていたし、兄弟子がいるけど一番気楽な私が選ばれた(笑い)。一人前にせなあかんという思いは強い」と話した。

大きな名前を継ぐことで、若い落語家を育てる使命も大きくなる。きん枝は「はなし家というのは、年齢がいる。漫才というのは今の芸ですから、若い子でも名を成せる。若いはなし家は“醸造”する期間がいる。手間ひまかかるんです落語家は」と話した。

06年に落語の定席となる天満天神繁昌亭との開席に尽力した文枝は「落語はお手本みたいなものがあるから、若い人は、それに甘えているところがある、200年、300年と脈々と続いたものの中で個性を出すには時間がかかる。我々としては、次の時代の(明石家)さんまさんみたいな人を若手から出したい。63歳のさんまさん以来、若手が出てきていないんですから(笑い)。歴史が重荷になって自分を出すのが難しいんすけど、(きん枝には)若手のお手本になってほしいですね。高齢化社会ですから、普通に考えても、あと20年以上頑張れる。期待しています」とエールを送った。

きん枝は「60歳を超える年になったのに、『頑張れって』と言われるなんて(笑い)。でも、まだ中学2年と小学4年の子供がいるから、頑張ります」と笑顔を見せた。

襲名披露は、3月12日の大阪・なんばグランド花月から始まる。