大相撲の元大関琴光喜の田宮啓司さん(47)が、名古屋場所(9日初日、ドルフィンズアリーナ)で大関とりに挑む3関脇にエールを送った。5日、名古屋市内で営む「焼肉家やみつき」で取材に応じ豊昇龍、大栄翔、若元春の大関同時昇進がかかる異例の場所を展望。名古屋は自身が2007年に13勝を挙げて大関昇進を決めた地でもある。16年後の今、トリプル昇進も夢ではない場所に大きな期待を寄せた。

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興奮が止まらない。豊昇龍、大栄翔、若元春の3関脇が大関とりに挑む名古屋場所について、田宮さんは「自分が現役の時に体験したこともなければ、見たこともない。3人同時に大関とりがかかるなんて、夢にも思いませんでした」。今も2カ月に1度の大相撲は待ち遠しい。見どころ満載の今場所はなおさらで「本当に、ただの相撲好きな人間としては名古屋は面白いですよね」とトリプル昇進に期待を込めた。

自身は大関とりに3度失敗した。「何度夢見て、何度夢破れたことか」と、その難しさを痛感している。

田宮さん (大関とりは)3場所連続で成績が良くなければいけないというのがミソ。自分の場合は2場所良かったら、次の場所は場所前から緊張していた。いつも星勘定を気にして、負けるたびにプレッシャーがかかって自分の相撲が取れなくなっていた。

「どんな時でも自分の相撲を取れるような心の強い人が“1発”で大関とりを決めるんだろうな」。思い出すのは、弟弟子でブルガリア出身の琴欧洲(現・鳴戸親方)。05年九州場所で11勝を挙げ3場所計36勝に乗せ、場所後にヨーロッパ出身初の大関となった。

田宮さん 忘れもしないですね。すごい簡単に決めた感じがしましたね。正直言うと、心が折れかけましたね。現役当時は決してそんなこと話したことはないし、周りにも言ったことはありません。心の奥底では悔しさが勝っていました。

07年春10勝、同夏12勝し、同名古屋で4度目の挑戦。「最後のチャンスと思ったんで、絶対後悔だけはしたくなかった」と場所前からのルーティンを崩さなかった。「外に出歩くこともなく、体のケアを毎日欠かさなかった」と強い決意で臨み13勝2敗。3場所合計35勝で昇進を決めた。31歳3カ月での新大関は、年6場所制が定着した1958年(昭33)以降で今も破られない最年長記録だ。

野球賭博に関与したとして10年5月に日本相撲協会から解雇処分を受け、大関在位は17場所にとどまった。角界復帰を目指して解雇無効などの訴訟を起こしていた中で、人前に出ることすら避けたいと感じるほど気がめいった。「気分転換のつもり」で12年4月に“ご当地”の名古屋市内に焼き肉店を開業。相撲関係者やファンから愛され、11年続く人気店に成長した。

角界復帰という思い描いた結果にはならなかったが、「優勝もできたし、大関にも上がれた」と現役時代に後悔はない。唯一あるとすれば、「大関時代は楽しんで相撲を取れなかった。もし1、2場所出場できるんだったら、猫だまししたり、居反りしたり、内無双したり。勝ち負け関係なく楽しんで終わりたかった」としみじみと言った。

新型コロナウイルスの影響で一度遠のいた店の客足も徐々に戻りつつある。相撲に打ち込む息子2人の成長を追いかけながら、今は一ファンとして現役力士たちの熱い取組を楽しみにする。「もっと会話の弾むおいしい料理と楽しい空間を作る」と、焼き肉店のさらなる発展を目指す日々。店主として多忙な日々を過ごす第2の人生は、充実している。【平山連】

 

◆田宮啓司(たみや・けいじ)元大関琴光喜。1976年(昭51)4月11日、愛知・岡崎市生まれ。小1で相撲を始め、鳥取城北高2年で高校横綱。日大では27冠を獲得。佐渡ケ嶽部屋に入門後、99年春場所で幕下付け出しで初土俵。同九州場所新十両、翌年夏場所新入幕。東前頭2枚目だった01年秋場所で優勝。07年名古屋場所後に大関昇進。野球賭博に関与したとして10年に日本相撲協会を解雇された。通算571勝367敗50休。優勝1回。殊勲賞2回、敢闘賞4回、技能賞7回。金星3個。