横綱稀勢の里(31=田子ノ浦)の夏場所休場が決まった。横綱の途中出場は考えられず、初の2場所連続全休が確実。何よりも1958年(昭33)の年6場所制以降の横綱では、貴乃花と並ぶ最長の7場所連続休場という不名誉な記録となった。休場を発表した師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)は「次は大事な場所になる」と、涙ながらに語った。次に出場する本場所では、少なからず進退を問う声が出てくる見通しだ。

 これ以上の休場も難しい雰囲気が漂い始めた。次の名古屋場所に照準を定めるとなると、7月8日の初日までは、すでに2カ月を切っている。夏場所後から始動したのでは、名古屋場所に向けて稽古が本格化する新番付発表まで、すでに1カ月を切った状態。夏場所休場の際の診断書には、左大胸筋痛で「約1カ月激しい運動を制限する」と記載されていた。だからといって、1カ月間何もしなければ、確実に名古屋場所も間に合わないだろう。その間、本場所の緊張感の中で、心身ともに研ぎ澄まされていくライバルとの差を縮めるには、今すぐにでも「激しい運動」こそ避けつつ、衰えた筋力の回復に努めるなど、できることから始めなければ、同じことを繰り返す。

 稀勢の里ほど大相撲ファンはもちろん、現役力士からも親方衆からも、復活を期待されている力士はいないだろう。猛稽古で知られた先代の故鳴戸親方(元横綱隆の里)に指導を受けていたころは「朝稽古」といいつつ、そのまま午後まで突入することもあった。ちゃんこ番では、麺類は麺を作るところから始まる。私生活も厳しく指導され、新聞に冗談として、ふざけているように受け取られるコメントが掲載されると、師匠の前で何時間も正座させられた。本人の口からそういうことを知らされることはなく、部屋の別の力士から聞き、申し訳ないことをしてしまったと猛省した記憶がある。中学卒業後すぐに入門し、どんなに厳しい環境でも不平不満を一切口にせず、耐えて忍んで謙虚に振る舞う。それでいて気は優しくて力持ち。そんな誰からも愛される要素を持つ稀勢の里が窮地に立たされ、力を貸したいと思っている関係者は多いはずだ。

 もはや後がなくなったのだから、慣例などにとらわれず、あらゆることを試してもいいと思う。例えば夏場所中であっても白鵬に胸を借りたり、同じ7場所連続休場の貴乃花親方に当時の心境など助言を求めたり、他競技のアスリートと合同トレーニングをしたり。稀勢の里の頼みなら、誰も迷惑がらず歓迎するだろう。それだけ努力の実績は認知されているのだから。横綱同士だから、場所中だから、一門が違うから、前例がないからと、これまでのしきたりに従えば、一歩を踏み出せない理由はいくらでもある。それでも今、何かをやり始めなければ、復活できないまま引退に追い込まれ、後悔するような気がしてならない。人一倍苦労してきただけに、そんな思いを抱えたまま現役生活を終えてほしくない。

 親方衆も、一門の枠を超えて助言してもいいと思う。もちろん、さまざまな意見は混乱を招きかねないが、横綱まで上り詰めたのだから、取捨選択しながら、自分に合うものを取り入れればいい。ただ、やみくもにこれまでと同じ稽古をするよりも、助言などによって新たな選択肢や刺激が加わるだけでも、浮上のきっかけになるかもしれない。現在の大相撲の大看板が危機に直面している今こそ、風通し良く、一致団結して手を差し伸べればいいと思う。普段は敵でも、巡業などでは一緒に過ごす時間も長く、大家族のようなところが大相撲の強み。その強みを最大限に生かすべき時が来たように思う。【高田文太】