2002年10月15日、平壌(ピョンヤン)空港。日本に帰国する曽我(そが)ひとみさん(44)を見送るため、夫ジェンキンスさん(64)、長女美花(みか)さん(20)、次女ブリンダさん(18)が2階の一室に来ていた。

 面会に(おとず)れた中山恭子(きょうこ)内閣(ないかく)官房(かんぼう)参与(さんよ)に、ジェンキンスさんが英語で語りかけた。「妻は20(さい)も年が(はな)れている自分と結婚(けっこん)してくれた。主婦としてとてもいい家庭を築き2人の(むすめ)を育ててくれた。愛しているし、いないと生きていけない」

 (かたわ)らで娘2人も朝鮮(ちょうせん)通訳(つうやく)を通じ、母への愛情をにじませた。「お母さんが日本に帰るのは久しぶり。おじいさん(曽我(しげる)さん)たちに会って楽しんで来てほしい」

 出発直前、3人は連絡(れんらく)バスに乗るひとみさんを(なら)んで見送った。美花さんが、少し(はな)れて一人で立っていた横田めぐみさんの娘キム・ヘギョンさん(16)を気遣(きづか)い、手招きをして(むか)え入れた。ひとみさんを心配させないようにと、元気に手を()った。

【写真】平壌(ピョンヤン)空港で曽我ひとみさんを見送る夫ジェンキンスさん、次女ブリンダさん、横田めぐみさんの娘キム・ヘギョンさん、長女美花さん(右から)=2002年10月15日

運命にほんろうされ 深まる絆


 「私には、おじいさん、おばあさんはいないの」。美花さんが物心付いたころ、(たず)ねた一言がきっかけで、ひとみさんは、自分が日本から拉致(らち)されてきたことを初めて打ち明けた。以来、4人家族は(たが)いを理解し合い、(きずな)を確かめながら生きてきた。

 ひとみさんは今、集会に出席し、「こんな運命の中で出会い、芽生えた愛。そして、かけがえのない子ども。世界で一番大切な家族」(2003年11月、鹿児島)と(うった)えている。

 だが、周囲に家族への思いを口にすることはほとんどない。

 仲間で行くカラオケ店。「人生、楽ありゃ、苦もあるさ」-。ひとみさんはドラマ「水戸黄門」の主題歌を(さが)し歌った。()っ切れたように、北朝鮮(ちょうせん)の民族歌謡(かよう)自慢(じまん)のソプラノで披露(ひろう)したこともある。

 最近のお気に入りは「(なだ)そうそう」。会いたい、会いたいと切々と()り返す歌詞(かし)が、ひとみさんの境遇(きょうぐう)と重なり、()く側の琴線(きんせん)()れる。友人は「今の彼女(かのじょ)の心境そのまま。こちらが切なくて泣きたくなる」と口をそろえる。でも、ひとみさんは決して(なみだ)を見せない。

 友人の一人は「家族の話をしないのは、言葉にできないくらいの思いがあるから」と気遣(きづか)う。「時期が来て、彼女から話すこともあるだろうし、分からないままのこともあるだろう。私たちは彼女が安心できる存在(そんざい)でいてあげられたら、それでいい」と見守る。

 夜、一人きりの部屋でひとみさんを(はげ)ますのは全国からの手紙だ。いつもテーブルの上に置いてある。何度も読み返し、午前2時まで返事を書くことも。数は減ったが、()り返し手紙をくれる人たちの温かさが長い夜の支えになっている。

◇      ◆      ◇

 「二つの家族をバラバラにしたのは(だれ)ですか。また一緒(いっしょ)にしてくれるのは誰ですか。そして、それはいつですか」。2003年4月、会見でひとみさんが()きつけた重い課題に、現在も答えが見つからない。

 72(さい)になった父(しげる)さんも、妻ミヨシさん=失踪(しっそう)当時(46)=やジェンキンスさん、孫たちとの対面に(あせ)りを(つの)らせる。「会いたいのはやまやまだ。長生きしておれと言われるけど、自分だっていつどうなるか分からんちゃ」

 ひとみさんは自分に言い聞かせるように友人に繰り返す。「泣いたってどうなるさ。何も解決できん」

 佐渡を(おお)鉛色(なまりいろ)の雲から、時折、白く雪化粧(ゆきげしょう)した金北山(きんぽくさん)壮大(そうだい)姿(すがた)を現す。山肌(やまはだ)が緑に色づき、雪解け水が川に流れる春は、もうすぐ。ひとみさんは、冷え切った日朝関係が動きだし、家族が再会できる日を待ち続けている。
 (おわり)

 (2004年3月9日掲載、年齢、肩書は掲載当時)


 ※小学5年生までに習っていない漢字を含む単語や難解な言葉、固有名詞の初出にルビをふっています。