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大震災後の復興事業

会社創業のDNAがここに!想いをひとつに災害復旧へ会社創業のDNAがここに!想いをひとつに災害復旧へ

大震災の復興事業を支える「災害対策部」の誕生

2011年3月11日、三陸沖で地震が発生。地震の規模はMw(モーメントマグニチュード)9.0を観測し、地震により発生した大津波は東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。「東日本大震災」と名付けられたこの未曾有の震災に直面し、日本振興では「災害対策部」の立ち上げが即座に決定され、当時の東日本営業本部長がリーダーを任された。社員やその家族の安否を気遣い、被災者支援も行いながら業務遂行に奔走した当時を振り返る。

取締役
災害対策部 部長
K.TAIRA

「震災発生当日は東北支店と連絡が取れず、高速もすべて不通。翌々日に必要最小限の物資を積んで東京を出発しましたが、気が気ではありませんでしたね」

災害対策部
M.YOSHINO

「震災復興のために仕事がしたいと、災害対策部異動は自分から手を挙げました。当時は広島に勤務していましたが、支店長に機会を与えてもらい感謝しています」

東北支店 技術課
A.TERAKAMI

「石巻出身で、中学1年の終業式の日に震災が起こりました。震災がきっかけで日本振興を知り、土木の仕事を通じて復興の力になりたいと入社しました」

災害対策部とは?
大規模災害の復旧・復興支援を目的に、専任部署として設けている。東日本大震災では、2011年(平成 23年)3月13日に災害対策部を設置、震災直後は社員やその家族を含めた被災者への支援(物資調達や炊き出し)を行った。その後は、国(国交省・農水省・防衛省・環境省)や被災自治体(岩手県・宮城県・福島県)等の災害復旧工事等の事業者支援として、災害査定や積算・工事監督を行ってきている。

実績
私たちが暮らすこの国は、地震や風水害の発生する頻度が高く、甚大な被害を被っている。被災した道路や河川等の公共土木施設は、一刻も早い復旧が必要であり、日本振興は、地震や風水害などの災害復旧・復興事業について、災害調査、災害査定、復旧・復興工事の調査・設計から工事監督まで携わってきた確かな実績がある。

実績その① 阪神淡路大震災
平成7年1月17日、兵庫県淡路島北部を震源として発生したM7.3、震源の深さ16kmの「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」では、神戸市須磨区などで最大震度7を観測した。この地震はわが国において、社会経済的な諸機能が高度に集積する都市を直撃した初めての直下型地震であり、地震発生直後から各地域において発生した火災により大きな被害をもたらした。日本振興は災害対策部を立ち上げ、公共土木施設の被災状況調査や土木工事設計・積算を支援するとともに、工事発注後は監督の支援を行い、いち早い復興の協力を実施した。

実績その② 新潟県中越地震
平成16年10月23日、新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、震源の深さ13kmの直下型の地震において、北魚沼郡川口町(現長岡市)で最大震度7を観測。日本振興は、新潟県古志郡山古志村(現長岡市山古志地区)災害状況の調査を実施した。

創業のきっかけが災害支援
自然な流れで災害対策部を発足

日本振興の原点は、被災地の復旧支援。創業は昭和50、51年に四国地方に多大な被害をもたらした台風災害復旧事業がきっかけであり、会社を興した先代の社長は国交省(旧建設省)の外郭団体の若手技術者として被災地で仕事をしていた。そうした現場を経験してきたことから、災害復旧支援への思い入れが強く、先代社長は震災発生後、即座に災害対策部の設置を決めた。
「車で被災地へ向かう途中、先代の社長と今後の対応について電話でやり取りしている時に、災害対策部を設置する、お前行ってこい、と言われました。私は青森県八戸市出身で東北の支店長経験もあり、土地勘もある。これはやらなければ、と覚悟しました」(K.TAIRA)。

被災自治体へ事業監理を提案
会社の仕事を認識してもらいたい

民間を活用した事業監理は、国交省や農水省など国の機関においては一般的だが、地方自治体では活用例が少なく、日本振興は岩手、宮城、福島の被災自治体に自社の活用方法について提案を行った。東日本大震災はあまりにも被害が大きく、災害復旧事業費を決定する災害査定に1年近くかかっている。本来ならばそこで日本振興の役割が生かされる機会だったが、なかなか仕事を認識してもらえない。「事業者の中では全国の各自治体から応援職員が業務に当たっていて、その中には当社の役割を知る人もおり、直接連絡を受けることもありました」(K.TAIRA)。

技術者がいない!
提案しても実践できないジレンマ

しかし自治体に提案をしながらも、会社も問題を抱えていた。「会社としては災害復旧、インフラ整備事業を推進する役割を担ってきたので、すぐにでも役に立ちたいという気持ちはあるものの、いざ手伝ってくれと言われると3月という年度末がネックとなり技術者を出せないという状況。それは厳しかった」(K.TAIRA)と当時の悔しい思いを振り返る。震災から1年経ち、平成24年度は8名の社員にて業務を履行したが、発注者支援業務(事業監理)は行政の補完業務なので、経験者でないと成果品の品質確保がなかなか難しい。全社での部署間異動の協力を得て対応し、中国四国支店から災害対策部に異動してきた技術者がいる。「災害復旧に関わりたいと自分から手を挙げました」(M.YOSHINO)。

いつ起こるかわからない災害
貴重な経験を伝えていきたい

「岩手県内で震災関連の積算業務をしています。主に三陸の防潮堤工事、水門の修復、陸閘などの工事に関するものです。震災関連は他の工事に比べて規模が大きく、関わる資料が膨大になることもあり、成果品を仕上げるまでの道のりが遠く大変です。工事も設計段階とは大きく変更になることもあり、機械経費・材料費や労務費など新しくお金を算出する場合も出てきます。私は埼玉県出身で東北にはそれまで関わりはありませんでしたが、こうした仕事に就いた以上、ものを新しくつくり変えていく過程を経験したかったです。自分の仕事で何か役に立ちたいという想いで災害対策部への異動を希望しました。災害はいつ起こるかわかりません。ここで得た知識と技術を今後の機会に活かし、そして後輩にも引き継いでいきたいです」(M.YOSHINO)

震災で自宅が全壊
自分の手で故郷を取り戻したい

また、被災地で日本振興がボランティア活動をしたことでその存在を知り入社した若者もいる。「震災で自宅は全壊。家族は奇跡的に津波から逃れましたが、故郷はすっかり変わり果てました」。震災をきっかけに高校で土木を学び、入社から2年目の現在は、復興再生道路事業整備などのCM(コンストラクション・マネジメント)業務で福島の白河バイパス国道294号の工事に携わっている。「支援物資や工事物資の運搬のために必要な道路であり、再生されることで復興の促進につながります。今後、地道に経験を重ねて故郷を取り戻す力になりたいです」(A.TERAKAMI)

発注者支援業務(事業監理)の有効性を認知させた

「もうすぐ震災から9年ですが、被災自治体から災害復旧事業における発注者支援業務の有効性を認知されるようになったことは、災害対策部を設置した成果だと言えます。被災自治体の中には、災害関連の発注者支援業務の当社シェアが大きな割合を占めるところもあります。成功の要因は、災害復旧事業における専門技術者の不足という被災自治体のニーズに対して、単に業務提供を行うだけでなく、災害復旧や復興に対して事業者と意識や使命感の共有をもって社員一人ひとりが対応できたことだと思います」(K.TAIRA)と感慨深げに振り返る。

「災害への対応は初動対応が非常に重要。起こってからではなく、突発的な災害発生を常に念頭に置いて仕事ができる体制を整えていくのが今後の課題です」(K.TAIRA)

「まとめた資料を発注者の職員に渡した時、こんな分厚い資料をよく作ってくれたと労ってもらいました。時間との闘いでしたが、苦労が報われました」(M.YOSHINO)

「震災で何もなくなったところに建物がつくられ、橋や道路も整備されていく。人の力というのはすごいものだなと感じます。自分も早く役立てる技術を身につけたいです」(A.TERAKAMI)

未曾有の被災をもたらした東日本大震災。
会社創業のDNAを引き継ぎ、
誕生した災害対策部は現在も尚、
災害復旧・復興事業へ全力で取り組んでいる。
「我々はみな、脆弱なところに生きている。
いつ起こるかわからない災害に備え、
常に迅速な対応を」という想いを胸に。

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