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拉致を知らない世代へ 「全国の拉致被害者」

  • 2022年09月27日

2002年に行われた日朝首脳会談で、北朝鮮が初めて拉致を認めてからことしで20年。
政府が認定する北朝鮮による拉致被害者17人のうち、帰国を果たしたのは5人です。
拉致被害者と再会を果たせないまま亡くなる家族が相次ぎ、解決に向けて一刻の猶予も許されない状況となっています。
その一方で、時間の経過とともに拉致問題を知らない若い人たちが増えているのも事実です。
『拉致を知らない世代へ』と題して、拉致問題についてシリーズでお伝えします。
                              新潟放送局 記者 油布彩那

政府認定の拉致被害者は17人

現在、政府が北朝鮮による拉致被害者と認定している人は全国に17人います。

地村保志さん・富貴恵さん

福井県で拉致された地村保志さん・富貴恵さんは、2002年の日朝首脳会談で生存が伝えられ、
その年の10月に曽我ひとみさん、蓮池さん夫妻と帰国しました。

久米裕さん

久米裕さんは、1977年9月、石川県の海岸で行方がわからなくなりました。

当時52歳でした。

その後の警察の調べで、久米さんを海岸に連れ出した男性が、「北朝鮮の人間に引き渡した」と供述していることがわかっています。

松本京子さん

松本京子さんは  、1977年10月、鳥取県米子市の自宅で母親と夕食をとったあと近所の編み物教室に行くといって出かけたまま行方がわからなくなりました。

当時29歳でした。

田中実さん

田中実さんは 、1978年6月、成田空港から出国したまま、行方がわからなくなりました。

働いていたラーメン店の店主に誘われ、オーストリアに海外旅行に出かけた際、北朝鮮に連れて行かれたとみられています。

当時28歳でした。

田口八重子さん

田口八重子さんは、1978年6月、当時1歳だった息子ら幼い2人のこどもを残したまま、行方がわからなくなりました。

帰国した拉致被害者の証言などで、工作員に日本語を教えていたことなどがわかっています。

当時22歳でした。

市川修一さん 増元るみ子さん

市川修一さんと増元るみ子さんは、1978年8月、鹿児島県の海岸から拉致されました。

「夕日を見に行く」と言ってドライブに出かけた2日後に、海岸近くの駐車場で鍵がかかったままの市川さんの車が見つかりました。

当時、市川さんは23歳、増元さんは24歳でした。

原敕晁さん

原敕晁さんは 、1980年6月、宮崎市の海岸で行方がわからなくなりました。

北朝鮮の元工作員が  日本人になりすまして工作活動を行うため、原さんを宮崎市の海岸に誘い出し拉致したとして国際手配されています。

当時43歳でした。

有本恵子さん

有本恵子さんは、ロンドンに留学中の1983年、行方がわからなくなりました。

旅行先のデンマークから手紙が届いたのが最後でした。

当時23歳でした。

石岡亨さん 松木薫さん

旅行中だった石岡亨さんと、スペインに留学中だった松木薫さんの2人は1980年5月ごろヨーロッパ滞在中に拉致されました。

当時、石岡さんは22歳、松木さんは26歳でした。

北朝鮮の主張に客観的な証拠なし

安否がわかっていない12人について北朝鮮は、8人は死亡、4人は入国していないと主張していますが、日本政府は事実を裏付ける客観的な証拠がないとして、北朝鮮側の主張を受け入れることはできないとしています。

動画はこちら

  • 油布彩那

    新潟放送局 記者

    油布彩那

    令和元年入局
    警察取材や拉致問題を担当

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