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浅間山“近代火山観測の原点”活用へ

  • 2023年12月14日

 

浅間山と浅間火山観測所

世界のおよそ1割にあたる111の活火山がある火山大国、日本。そのうち50の山は、気象庁が24時間態勢で監視し噴火に備えています。実は、こうした“近代火山観測の始まりの地”が、長野と群馬の県境にある浅間山に人知れず残されています。地元ではこの100年以上前の遺構にスポットライトをあてて保存・活用し、火山防災に役立てようという動きが始まっています。(長野放送局 谷古宇建仁)

山の中に人知れず残るのは…

浅間山 中腹

小諸市教育委員会や気象庁の職員が、登山道を2時間歩いてたどりついたのは、火口から2キロ余り離れた浅間山の中腹です。

浅間火山観測所遺構

ここは112年前、日本の近代火山観測が始まった「浅間火山観測所」の跡地です。
人知れず残るこの場所を文化財にしようという取り組みが動き始めました。

小諸市教委 文化財・生涯学習課 高橋陽一 主査
小諸市教委
高橋さん

今につながる火山観測の出発点でもあるので非常に重要な場所です。観測所の学術的な評価をするために今回調査します

浅間火山観測所とは

江戸時代 天明の大噴火の絵図

これまでにたびたび噴火してきた浅間山。
「天明の大噴火」(江戸時代・1783年)では、火砕流などで1000人以上が犠牲になったとされています。

浅間火山観測所(1911年8月)

「浅間火山観測所」は、住民や登山者の命を守ろうと、長野県から国への働きかけによって、明治時代の1911年に日本で初めて設置されたのです。
国や県の職員が常駐して、地震計で火山性地震などの観測を続けました。

浅間山の噴火の様子(1913年7月)

火口に近い立地を生かし噴火活動の観測も行われました。
しかし、活発化する火山活動により、周辺で噴石の落下が相次いで安全が確保できなくなったため、約20年で役目を終えました。
その後の噴火による山火事で、建物も焼失しました。

遺構の保存・活用へ

小諸市教育委員会の調査の様子

2024年には、ここで観測が始まった8月26日が、国の定める「火山防災の日」になります。それを前に、小諸市教育委員会は、遺構を市の文化財に指定して保存・活用することを目指し調査に乗り出しました。

観測所の跡地は登山道から外れた場所にあって現在立ち入ることはできませんが、いまも見ることができる一部の遺構を小諸市教育委員会の高橋さんが案内してくれました。

浅間火山観測所に設置されていた百葉箱の脚
小諸市教委
高橋さん

百葉箱は朽ちてしまいましたが、柱だけ残っていたようです

地震計の台座

地震計が置かれていた、縦、横2メートル余りのコンクリート製の台座も残っていました。

小諸市教委
高橋さん

いちばん最初に設置した台がこちらの地震計台です。コンクリートが3分の1か4分の1くらいは崩れてしまっています

調査チームは、地震計台の周辺など、観測所があった場所を測量しました。

浅間火山観測所の図面

当時の図面や写真をもとに柱があった場所などを掘り進めると、母屋の基礎石が見つかりました。

見つかった母屋の基礎石

今回の調査で新たに柱や床を支えていた基礎の石10点余りが見つかって観測所のあった正確な位置が特定されるなど、文化財の指定に向け大きく前進しました。
調査に同行した文化財保護審議会のメンバーも、「非常に価値のある遺構だ」と評価しています。

気象庁 浅間山火山防災連絡事務所 飯島聖 事務所長

調査に協力したのが、気象庁浅間山火山防災連絡事務所の飯島聖 事務所長です。遺構の保存・活用を市に提案したのも、日々、浅間山の観測を行っている飯島さんでした。

気象庁
飯島さん

この場所で火山観測・火山防災が始まり、今の気象庁の業務につながっています。そう考えると、自分たち気象庁に課せられた火山防災の責務をしっかり努めなければと心を新たにする気持ちになります。こういった場所があるということを子どもたちや地元の人たちに知ってもらい、地元の行政と一緒に、112年前の火山観測・火山防災への取り組みの思いを伝えていきたいです

小諸市教育委員会は、今回の調査結果などをまとめて市の文化財保護審議会の諮問・答申を受けた上で、市の文化財に指定する方針です。
そして小諸市などは今後、現地の見学ツアーの開催や、遺構について説明する看板の設置などを検討していて、登山者や住民の火山防災への関心を高めるために生かしていきたいとしています。

小諸市教委 文化財・生涯学習課 高橋陽一 主査
小諸市教委
高橋さん

今回の調査で保存活用に関わる重要なデータは十分とれたので、これをどう保存していくか考えていかなければいけないです。この場所が日本の火山観測の原点なので、そこをアピールしながら火山防災の学習の場として生かしていきたいです

取材後記

“日本の近代火山観測の原点”が、人知れず山の中に埋もれている、そう聞いて興味を持った私は、取材を始めました。現地に行ってみると、遺構は、忘れ去られたようにひっそりと残されていました。
今回、浅間火山観測所の歴史をひもとく中で、2つのことを学びました。1つは、浅間山がひとたび大規模な噴火を起こせば甚大な被害をもたらしうるということ。そしてもう1つが、当時の長野県や研究者、観測員が観測を始めた背景には「火山を知り、住民の命を守りたい」という強い思いがあったということです。長野県とその周辺には、浅間山や御嶽山などあわせて10の活火山がありますが、被害の歴史と、未来の被害を防ぐ取り組みについて、これからも注目し、取材していきたいと思います。

 

  • 谷古宇 建仁

    長野放送局 記者

    谷古宇 建仁

    2016年入局。高知局を経て、2021年から長野・松本支局。2023年から長野局・県政担当。 信州に来て山登りが趣味になりました。

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