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20年ぶり2度目 四国の特急「しおかぜ」「いしづち」8000系リニューアル

誕生から30年 世代を超えて受け継がれるワケ
  • 2023年12月14日

愛媛県と香川県を結ぶJR予讃線や四国と本州を結ぶJR瀬戸大橋線を走る特急電車「8000系」が、リニューアルされた。誕生から30年あまりがたった今も現役を続ける8000系。世代を超えて受け継がれているのには理由があった。

(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

“瀬戸の疾風”

1993年当時の8000系

四国を横断するように走るJR予讃線に8000系が初めて登場したのは、1992年。当時は、四国各県の高速道路が延伸し鉄道にも高速化が求められた時代だった。四国初の特急電車は、鼻先が長く新幹線を思わせるフォルムで、試験運転では在来線の最高速度だった時速160キロを記録し「瀬戸の疾風」との異名が付けられた。

四国に8000系が誕生してから30年あまりとなる今年、2度目のリニューアルがなされ運行開始前にメディアに公開された。集まった30社ほどの報道陣の前に姿を現したのは、S編成と呼ばれる松山―高松間を走る「いしづち」の3両1編成。ステンレス製のボディーにあしらわれているオレンジと緑のラインは、愛媛県で生産が盛んなかんきつと香川県小豆島の特産オリーブの実の色をイメージしている。さらに、同じ予讃線で運行されている8600系の特急電車のカラーにも合わせているという。同じ路線を走る電車だとひと目で分かるようにするこだわりだそうだ。その話をJRの担当者から聞きながら、以前、岡山駅でこの色の電車を見かけて「愛媛に向かうんだな」と乗り間違えることなく、確信を持って乗り込んだことを思い出した。

かんきつと瀬戸内の海がコンセプト

指定席

リニューアルされた内装は、座席の見た目で指定席と自由席が区別できるように席の表地のモケットのデザインが違っている。指定席は暖色系でまとめられていて、よく見るとみかんがデザインされている。乗客の要望が多かったことなどから、すべての席にはコンセントがついていて、移動しながらパソコンを使って仕事をしたりスマートフォンを充電したりできるようになっている。

自由席

一方の自由席は青が基調で、座席の柄は瀬戸内の海の泡を表現しているという。自由席には、壁側の席にコンセントがついている。指定席同様、窓の遮光がカーテンからブラインドに変わったことで車内がすっきりとした印象になっているほか、木目調の床とLEDの間接照明によって、柔らかい空間にもなっている。さらに、和式トイレから温水洗浄ができる洋式のトイレに変わったことも、乗客に寄り添った大きなポイントといえる。

「会社全体で電車を完成させた」

リニューアルのデザインを担当したのは、JR四国のデザインプロジェクト担当室長、松岡哲也さんだ。これまでに観光列車「伊予灘ものがたり」など数々の車両を手がけてきた。今回は、若手の社員を巻き込んだということで、松岡さんが指定席の柄をみかんにしたいと案を出し、新人の女性が実際のデザインを作ったという。

JR四国 デザインプロジェクト担当室長 松岡哲也さん

「予讃線は、海岸線を走るところもあるので、ブラインドを開けたときに座席の海とみかんのデザインが愛媛らしい景色になるんじゃないかなと思っています。新人の社員と協働でリニューアルに当たったので、会社全体でこの電車を完成させたような気持ちです」

8000系の開発秘話

では、リニューアルを繰り返しながら30年あまり受け継がれてきた8000系は、どのように誕生したのか。開発を担当した技術者で、現在はJR四国のグループ会社で車両事業部長を務めている明比博文さん(65歳)に話を聞いた。今も8000系の開発研究に関する分厚い資料を保管していた。当時は、海岸線に沿って小さい曲線が続く予讃線が電化され、愛媛県内でも電車が走れるようになって間もないときだった。JR四国の技術者たちが集結して、鉄道総合技術研究所などとの共同で四国初の特急電車の開発に情熱を注いだという。8000系に応用されたのは、1989年に製造された世界初の振り子式気動車の2000系の技術。カーブを走行する時に車体を内側に傾けることでほかの車両よりも高速で通過できるというもので、山あいを縫うように走る四国の鉄路に活路を見いだした傑作といわれている。しかし、8000系の開発の道のりは平たんではなかったという。

開発を担当した技術者 明比博文さん

「当初は、すぐにワイヤーが切れたとか空調が効かなくなったとか、毎晩のように何かありましたね。VVVF装置っていう四国初のモーターを制御する装置があるんですけど、これが故障したりとかいろんな故障で車両が止まってしまうんです。ですから毎晩、松山か高松に待機していました。みんなが、なんとかせないかんという思いを持っていました」

明比さんたち技術者は、1週間ほぼ徹夜という日々も過ごしながらワイヤーや部品の交換など細かなメンテナンスを繰り返し、8000系の定時運行を実現させていった。その後、開発に携わった技術者たちは松山や高松に管理者という立場で配属され、若い世代に技術やノウハウを継承していったという。

「開発に関わった人たちには、本当に強い意欲と気持ちがありました。それは保守を担当する人たちも同じで、この車両を生かすも殺すも自分たちなんだという意識があったと思います。その思いは30年あまり持ち続けられていて、今もみんながこの車両を大事にしようとしているのが伝わってきます」


(特集の内容はこちらの動画でもご覧いただけます)

取材後記

「これから先15年は現役でがんばってほしい」技術者たちがこう話す8000系。全国のどこにもない、このオリジナル車両は、時代とともにデザインを変えながら進化を遂げている。何もかもが刷新されるのではなく、少しずつ快適さを増していく四国の鉄道車両。いつもの駅におなじみの車両が待っていると思うと、気持ちがほっこりして安心するのは私だけだろうか。

  • 山下文子

    山下文子

    2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。 鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。 実は覆面レスラーをこよなく愛す。

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