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【福島・会津】ランドセルを一生ものの防災グッズに

  • 2023年09月14日

あなたが、あるいは家族が使っていた「ランドセル」は、いまどこにありますか?ひょっとして、押し入れの中に眠ったままになっていませんか?

いま、このランドセルをリメイクし「防災グッズ」として新たな命を吹き込む取り組みが福島で始まっています。手がけているのは、東日本大震災をきっかけに会津若松市に工場を新設したランドセルメーカー。

企画したメーカーと、思い出が詰まったランドセルのリメイクを依頼した家族の思いを取材しました。

ランドセルが防災グッズに? 

9月上旬、会津若松市で開かれた防災イベントの会場。企業や団体が開発した防災グッズを紹介するコーナーの一角に、一見すると「防災」のテーマに似つかわしくない、かわいらしいかばんが展示してありました。つややかな茶色の革に、ピンクの縁取りとステッチの縫いが印象的です。

実はこれ、使われなくなったランドセルをリメイクした防災用の「ポシェット」なんです。

防災用の「ポシェット」

デザインがすてきで、日常使いもできそう

かわいいし機能的!

ランドセルより小型ですが、給水バッグや懐中電灯などの非常用グッズがちょうど収まるサイズ。背負うのではなく、肩にかけて使います。会場を訪れた家族連れが手に取ったり、肩にかけたりして、その機能を確かめていました。

ランドセルメーカー「羅羅屋」の工場

このポシェットを作ったのは、埼玉県に本社をおく創業49年のランドセルメーカー。東日本大震災のよくとし、福島の復興支援などを目指して会津若松市に新たに工場を設け、現在は毎年4万個ほどのランドセルを全国へと出荷しています。

一般的にランドセルは、小学校時代の6年間にわたって“酷使”され、卒業と同時に役目を終えます。本人はもちろん、家族の思い出も詰まった品ですが、その後はしまい込まれてしまうケースがほとんど。機能的で頑丈な作りであるにも関わらずー。メーカーはそんな“眠っている”ランドセルの道具としてのポテンシャルをさらに引き出す、新たな付加価値を模索する中で、防災用のポシェットへリメイクするアイデアにたどりつきました。

リメイク企画を担当する長尾怜さん

(リメイク企画を担当する長尾怜さん)
「思い出の詰まったランドセルは捨てられない、でも使いようもない、という声をよく聞いていました。とても丈夫ですし、水に浮くような素材でできています。ある時、ランドセルを防災グッズを入れるバッグとして活用しているという話題をSNSで見つけて、それなら震災をきっかけに福島に移ってきた会社として、リメイクの取り組みで貢献したいと考えたんです」

大切なランドセル 預けた人の思い

リメイクの取り組みは無償で、9月1日の「防災の日」にあわせてスタート。第1弾として、まずは過去に自社製品を購入してもらった人の中から、リメイクを希望する人を募りました。すると、予想を上回る全国の11組から応募があり、使い終わったランドセルが会津若松市の工場に送られてきました。

伊澤空我さん(左)と母親の典子さん(右)

千葉市から、特別な思いを抱いてリメイクに応募した人がいます。
伊澤空我さん(23)と母親の典子さん(55)です。

伊澤さんは、16年前の2007年に小学校に入学。ランドセルは両親と一緒に選びました。ベースの色は多くの男子児童と同じ黒色でしたが、青色の縁取りがお気に入りだったそう。毎日、自慢のランドセルを背負って通学しました。

入学式翌日、ランドセルを背負う伊澤さん

今回、リメイクを希望した背景には、東日本大震災の経験が大きく影響しているといいます。

伊澤さんは、あの日午後、小学校で自習をしているときに大きな揺れに襲われました。千葉市では最大震度5強を観測。防災訓練で教えられたとおりに机の下に隠れ、友だちも含めてケガはありませんでしたが、混乱の中、母・典子さんは自宅を出て迎えに駆けつけることができませんでした。

伊澤さんはその後、教員に付き添われて無事に帰宅。安堵したのもつかの間、親子がテレビを通して目にしたのは、東日本の沿岸を襲う巨大津波でした。さらに自宅から10キロも離れていない場所で起きた石油コンビナートの爆発火災をリビングの窓から目撃しました。

このとき、日頃からの防災への備えが十分でなかったことを思い知った伊澤さん親子。あの日、伊澤さんの背中にずっと寄り添ってくれていたランドセルは、2人にとって、いざという時の備えの大切さを思い起こさせてくれるもので、今回、防災ポシェットへのリメイクを希望したのです。

「『怖かった』と言って帰宅した息子を見て、とっさに動くことができなかったことをすごく後悔したんですね。心構えも含めて、全然備えができていなかったなって。私が一緒にいてあげられなかった、あの大変な日の下校でも、背中で息子を守ってくれたランドセルが生まれ変わって防災グッズになるのは本当に素敵で、ありがたいと思いました」

「思い出」残しつつ装い新たに

工場には、伊澤さん親子が送ったものをはじめ、たくさんのランドセルが届きました。

全国から工場に“里帰り”したランドセル

リメイクにあたって、メーカーが何よりも大切にしているのは、使い手の思い出を損なわないこと。使い続ける中でついてしまった傷も、あえて残すようにしています。伊澤さんのランドセルのように10年以上、押し入れなどに眠っていたものは劣化しているケースも多いですが、ランドセル製造の「プロ」が、細心の注意を払ってハサミを入れ、いったんすべてのパーツを解体します。

ランドセルを一度解体する作業

「かなり緊張しますね。そんなに難しい作業ではないのですが、新品とは違う重みというか、責任を感じながら注意してやっています」

解体したパーツを裁断し、元よりひと回り小さいサイズに組み直します。収納部分の厚さは、500mlのペットボトルがちょうど収まるほどまで薄くする一方、「フタ」の部分はそのまま生かします。

ミシンで仕上げの作業

伊澤さんがお気に入りだったという青い縁取りは、同じ色の新しい素材で縫い付けるこだわり。丹精込めて、ミシンで仕上げられていきました。10年もの間、眠っていた伊澤さんのランドセルは装いを新たに、防災ポシェットに生まれ変わりました。

(リメイク企画を担当する長尾怜さん)
「無事に完成してほっとしました。思い出を残しつつ生まれ変わらせることができたので、また大切に使ってもらえるのではないかと思います。いざという時に家族の皆さんを守るツールの1つとして、再び役立ててもらえたら、メーカーとしてこれほどうれしいことはありません」

防災の心構えにもつなげて

まもなく、伊澤さんのもとに「防災バッグ」に姿を変えたランドセルが届きました。伊澤さんがランドセルを手に取るのは小学校を卒業して以来、実に10年ぶり。はじめは実感がわかない様子でしたが、特徴的な青い縁取りや、フタの部分の特徴的な「傷」を目にして、しだいに思い出がよみがえってきたようです。

フタを開けると中には、非常用の飲料水や応急のけがの手当ができる救急セットなどがパッケージされていました。見た目は思い出のあるランドセルでも、れっきとした防災グッズです。

伊澤さん親子はこのポシェットを2つの理由で、玄関に置くことにしました。ひとつは、いざという時にいつでも持ち出せるようにしておくこと。もうひとつは、いつも目にする場所に置くことで、東日本大震災の体験を心にとどめ、災害に備える心構えを持ち続けるためです。

(母親の典子さん)
「思い出深いランドセルをこれからは防災グッズとしていつでも手に取れる場所に保管しておきます。いざという時にはすぐに持ち出して、命や身の安全を守ることはもちろん、わが家での防災意識を高めていきたいと思います」

(伊澤さん)
「懐かしい気持ちにもなれて、原型を残してくれていて本当にありがたいです。自分たちだけではなくて、これから新しい家族を持ったときに、ランドセルの思い出や災害への備えについて話すきっかけにできたらなと思います」

  • 佐藤翔

    NHK福島・コンテンツセンター(会津若松支局)

    佐藤翔

    生まれも育ちも福島市で、震災直後は半日ほど避難所などで過ごす。
    小4の登校時に交通事故に遭うが、祖父が買ってくれたランドセルのおかげでかすり傷と軽い打撲のみですむ。

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