発掘ニュース

No.122

2016.09.23

情報番組

女優・仁科亜季子さん 医療時代劇の傑作『赤ひげ』を語る

毎月恒例『ひるまえほっと』(関東地域のみの放送)の「発掘!お宝番組」、今回のゲストは女優の仁科亜季子さんです!

提供いただいた番組は、金曜ドラマ『赤ひげ』

1972年から1年間にわたって放送された“医療時代劇”の傑作です。舞台は江戸時代中期の貧しい人たちを救う診療所『小石川養生所』。人情味あふれる医師“赤ひげ”先生と、血気盛んな若い医師を軸に当時の社会問題も織り込んだ見ごたえあるドラマです。

小料理屋の看板娘“おきぬ”を演じていたのが、発掘映像を提供してくれた仁科亜季子さん(当時は仁科明子さん)。

ご自分の姿をご覧になって…
「丸いですね!おまんじゅうみたい。」

Q まだ19歳の時に出演された作品なんですね?
「19になってすぐですね、撮り始めたのが…。まったく新人で、デビューして2作目のドラマでした。1年という長い連続ドラマで、時代劇ももちろん初めてでした。」

仁科さんから提供いただいたビデオテープは49本。『赤ひげ』が収録されていたのは、こちらの1/2オープンリールテープです。

Q 今の映像はモノクロでしたよね?
「当時はもうカラーの放送だったと思うんですが、父の持っていたデッキ、録画の機械が白黒だったんだと思うんです。」

映像を録画していたという仁科さんのお父さまは、2011年に亡くなられた歌舞伎俳優の岩井半四郎さんです。

「写真が好きで、カメラとか映像の機械は初期の段階で購入して…、こーんなに大きなデッキだったと思うんです。父が一生懸命こうやって、リールで…」
と、デッキにテープを通す仕草を実演して下さいました。

「好きだったこともあるんでしょうが、よく保存しておいてくれたなと思って感謝しています。」

Q 演技についてお父さまから言われたことは?
「父は大ベテランでしたし、根っからの役者でしたから、まだまだ芝居とか演技についてとやかく言うレベルにもなっていない。ようするに“ひよこ”の前の段階でしたから…。とにかく時間に遅れないようにとか、人さまに迷惑をかけないようにということだけで、芝居の感想・批評は全く無かったです。」

☆『赤ひげ』は仁科さんの芝居の“原点”

「赤ひげは1年間という長いドラマで、番組の中で一つ一つ私を育ててくれたドラマだなと実感しています。」

特に、脚本を担当した倉本聰さんからは…

「台本の中に“・・・”とか“―――”みたいなものがあるんですね。“・・・”も、3つの時、5つの時、10個の時とかがあるんですけど、その長さ、数も違うんだよ。間の取り方、芝居のあいだの芝居。セリフだけが芝居じゃないということをすごく教えていただきました。」

この『赤ひげ』、提供いただいた第1回には仁科さんが自分の芝居の原点だというシーンがあります。

それが小林桂樹さん演じる赤ひげ先生と対面しながらの4分38秒に渡る長セリフの場面です。

「赤ひげ先生と二人だけのシーンで、とっても長くて、最後の“吐いた血で真っ赤でした”というセリフがなかなか上手く言えなくて…。」

「もちろん芝居というのは技術ですとかあると思うんですが、私はまだ芝居心も無い練習したことも無い人間でしたから、とにかく“気持ち”を込めて、“気持ち”から入っていってほしいということを倉本先生や演出家の皆さんから言われていたので、とにかく役になりきろう、役になりきるのは無理かもしれないけど一歩でも近づこうとして気持ちを作り上げていって…。そのおかげで20年間、今もその教えを自分の中に持ってやっていられるんだと思います。」

☆「デビューの時は“冷凍の金魚”って言われたんです(笑)。」

「その当時は『ガンマイク』という棒のマイクなんですが、それで音声さんが振って録って下さるんですけど、サブ(副調整室)から“アコさん声が拾えません。もっと大きい声を出してください。”って言われて(笑)カチカチだったので“冷凍の金魚”って言われてデビューの時からあだ名がついていました。」

Q 当時の衣装を今もお持ちだとか?

「小料理屋なので長い前掛けをしていたんです。こういったのを何枚か衣装部さんが用意して下さったんですが、そのうち一枚を最終日にくださったんですね、記念だからって。大事にとってあります。この前掛けをすると“やるぞ!”って、魔法の前掛けじゃないですが…」

『赤ひげ』以外に仁科さんの提供ビデオから発掘された番組を一つご紹介しましょう。

1975年放送のドラマ『落下傘の青春』
毎日どこからともなく聞こえてくる軍歌。仕事帰りの夜道で大きな声で軍歌を歌いながら帰宅するヒロインと大学生とのふれあいを描いたドラマです。ヒロインの晴子を演じたのが仁科さん。戦死した兄に教わった軍歌を一生懸命思い出しながら歌っていたという晴子の、大学生への思いはいつしか恋心に変わります。

「このときは軍歌を歌うという設定だったので、その練習もしましたし、周りの方々にも声がとっても良かったよと言っていただいたので…。声のトーンが晴子にピッタリだったのかなと思いますし、ぎこちないところが素の自分に近かったようなところがあると思います。」

☆映像・記録を残すことは仁科さんにとって?

スタジオには、仁科さんの熱心なファンの方から贈られたというスクラップブックが!

「本当に頭の下がる思いで…デビューした時からのファンの方がいらして、結婚した時に僕の青春の思い出ですって2箱送ってくださって。私も大事に保管させていただいて、時々子供たちに見せたりしていました(笑)」

Q こうしたスクラップブックやテープなど過去の映像や記録を保存していくことを、仁科さんはどうお考えですか?

「こういうものをご家庭で見る。アルバムですとかテープですとかを見ると、父親がもういなくなっている、母親がいなくなっている、その時間がよみがえってきて、何かほっこりしてたなあの時は幸せだったなっていう…“自分がよみがえる”ことになっていいんじゃないかなと。」

仁科さんから提供いただいた『赤ひげ』は今月(9月)から番組公開ライブラリーでご覧いただけます!第1回「小石川養生所」第29回「誤診」の2本です。どちらも見ごたえ十分、もちろん無料でお楽しみいただけます!ぜひお近くのNHKの番組公開ライブラリーで!

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