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【ニュースがわかる2024年6月号】巻頭特集は地震大国ニッポン 被害を減らすために

沖縄 本土復帰50年・糸数アブチラガマ【取材の余白】

50年前の5月15日、27年間にわたりアメリカの統治下にあった沖縄が日本に戻りました。「ニュースがわかる5月号」では、「本土復帰」といわれるこの出来事を解説。編集部員は沖縄のことがもっと知りたくて、沖縄に飛びました。沖縄のことが学べる場所は現地にたくさんありますが、その中から3カ所を紹介します。

「糸数アブチラガマ」(沖縄本島南部・南城市)

太平洋戦争末期の1945年3月26日、アメリカ軍が沖縄本島西の慶良間諸島に上陸し、住民を巻き込んだ地上戦が約3カ月間続きました。沖縄戦の戦没者は約20万人とされ、そのうち沖縄県民は約12万人、県民の4人に1人が亡くなったとされます。

地上戦は激しく、住民はガマという自然にできた洞くつや、人がつくった防空壕(ごう)に身を隠して生活せざるをえませんでした。沖縄本島南部の南城市にある「糸数アブチラガマ」は集落の人たちが避難する場所でしたが、日本軍も使い、ある時からは陸軍病院の分室になりました。住民のいるところに600人以上の負傷兵が運び込まれ、ひめゆり学徒隊も看護にあたりました。大勢が亡くなったこのガマは、今、ガイドさんの案内で入ることができます。

糸数アブチラガマの入口=編集部撮影

全長270メートルもある細長いガマの中は、真っ暗です。ヘルメットをかぶり、懐中電灯で足元を照らしながら進みます。中は撮影禁止。ガイドさんが、場所を示しながら当時の様子を詳しく語り聞かせてくれます。何があったのか、どんな声に満ちたのか、亡くなった人は、生きのびた人は……。想像するのもつらい状況が静かに語られます。最後に階段をのぼると、木々が迎えてくれました。

糸数アブチラガマの出口=編集部撮影

多くの修学旅行生も訪れる沖縄の代表的な戦跡の一つです。機会があったら訪ねてみてほしいです。(編集部)

糸数アブチラガマの公式サイトはこちら