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根本美緒:気象予報士から環境問題の研究・発信の道へ

2022/11/15

  • 根本 美緒(ねもと みお)

    気象予報士
    塾員(2001 経)。東北放送アナウンサーからフリーに転身。気象予報士の経験を生かし、大学院で環境問題の研究と環境教育の可能性を追求。

  • インタビュアー島田 晴雄(しまだ はるお)

    慶應義塾大学名誉教授

アナウンサーをしながら資格を取得

──テレビで気象予報士として活躍している様子をいつも嬉しく拝見していました。気象予報士を目指した理由から聞かせていただけますか。

根本 島田先生のゼミ生として経済学部を卒業した後、東北放送にアナウンサー職として入社しました。島田先生は労働経済学がご専門ですが、環境問題も扱っておられ、私はペットボトルのデポジット制度について仲間と論文を書きました。そうしたこともあり、入社後にアナウンス部長から、環境にくわしいなら天気をやってみなさいと言われたのです。私はゴミ問題のことしかくわしくなかったのですが、環境のことを語るなら勉強しなければいけないよと言われ、気象予報士の資格を取るための勉強を始めました。

──気象予報士になるためにはどんなことを勉強するのですか?

根本 基本的には天気図を見て自分で予報する訓練を積みます。予報士の試験は学科が2つ、専門が2つあり、専門のほうがなかなか受からず、合格するまでに3年かかりました。専門試験では天気図を見て細かく予測を立てるのですが、それを説明できなくてはならず、とてもテクニカルな試験でした。

──その間もテレビ局の現場では天気を伝えていたわけですよね?

根本 予報士になるために通っていた塾が東京にあったので、当時は仕事をしながら新幹線で仙台と往復する日々でした。お給料はすべて受講料と交通費に消えていきましたね。

仕事のほうも1年目からバラエティやラジオも含め、レギュラー番組をたくさん担当させてもらえたので覚えることが多く必死でした。地方局というのは人手が少なく、アナウンサーと言っても自分で取材のアポ取りをしたり、カメラを回したりといったディレクター的な役割も仕事のうちでした。

──それは忙しいですね。でも、いろいろな経験ができたでしょう?

根本 そうですね。ですから、東北放送を退職し、東京のキー局で仕事をするようになった時はすべてが分業制となっていて驚きました。

「とにかく動きなさい」を糧に

──そうした仕事をしながら東京へ行く決断をしたのですね。

根本 東北放送でアナウンサーの仕事を続けるうちに周りから次第に認めてもらえるようになりました。何年か経ち、ある中継の後で今日はよかったねとプロデューサーに声をかけてもらい、これでフリーになって東京に行けると決心できました。退職する時、アナウンス部長は、大丈夫行ってきなさいと温かく背中を押してくださり、感謝の気持ちでいっぱいでした。

──人に恵まれたのですね。

根本 そのとおりです。また、今の私があるのは島田先生のおかげでもあります。ゼミ生だった頃、先生にはフィールドワークをしなさい、とにかく動きなさいとよく言われました。机上の空論になるなという意味だったかと思いますが、私はアナウンサーになった後も、この言葉を肝に銘じ現場を駆け回りました。迷った時はいつも島田先生にかけていただいた言葉に導いてもらっていたように思います。

2004年12月に退職し、幸いにも、翌年3月から始まるTBSの「みのもんたの朝ズバッ!」で天気予報のキャスターに抜擢していただけたのが転機になりました。視聴率が10%を超える人気番組で、気象予報を5年ほど担当させてもらいました。

──気象予報士という仕事はたいへんな部分が多いと思います。クレームがくることも少なくないのではないですか?

根本 おっしゃるとおりです。ですので、最悪の事態を想定して伝えるようにしていますが、微妙な言葉のニュアンスで与える印象が変わる仕事でもあります。例えば「台風が九州を直撃」と言うとインパクトが強い。それを和らげると「上陸する可能性があります」や「直撃する恐れがあります」という表現にもなりますが、どちらもニュアンスが違います。表現方法を選ぶのは難しいところです。上陸はしないけれど直撃する場合もあるので、正確な表現を心がける必要があります。

──個々の表現は気象予報士の判断に負うところが大きいのでしょうか。

根本 そうですね。私は今、SNSでも予報を出していますが、「雨が降ります」だけでなく、「ですが自転車には乗れます」というふうに自分なりに情報を加えて伝えるようにしています。受け取る側の立場に立つのが大切ですね。

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