前回のコラムに企業経営におけるルールとプリンシプル(行動規範)について書いた。社員に求められるのは、プリンシプルや企業理念をベースにした対応能力だ。

 プリンシプルを身に付ける方法の一つに、「型」の習得がある。武道、茶道、能などなべて日本文化は「型」の体得に始まる。「型」はひとたび身に付けると応用が利くが、そのためには反復練習が不可欠だ。

 今年創業120年を迎えた資生堂パーラーには、「銀のカトラリーを磨く」伝統がある。かつてはベテラン社員から新入社員までが、出社するとまずシルバー磨きをした。“お客様が直接触れる物だから”、丁寧に磨く。花椿のシンボルマークが刻まれた銀食器を日々磨いていると、愛社精神と誇り、お客様への思いが湧くという。そしてお客様基点でものを考えるようになり、行動につながる。

 同じお客様でもその日によって体調など状況は違う、それを瞬時に感じ取り行動に移す。状況が常に変わる対象に対して、マニュアルは対応しきれない。

 社員一人一人が瞬時に自分で考え最適な対応をするには、行動規範を“身体に浸み込ませる”しかない。資生堂パーラーにとって、その方法の一つが「シルバー磨き」なのだ。

 昨今多くの企業がDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進している。データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基にビジネスモデルを変革する。企業の業務や組織そのものも変革して、ビジネス環境の激しい変化に対応するというものだ。

 各企業のDX戦略はコロナ禍において加速している。さらに仮想通貨やメタバースなどが登場した。パソコンの前に居ながらにして通貨を動かしたり、知らない人たちとコミュニティーを作ったりとその可能性は未知だ。確かにうまく使えば時間の効率化や新たなビジネスチャンスになるだろう。しかしそこに生の「身体」はない。すべてがバーチャル(仮想)の世界なのだ。

 そこでキーワードになるのが「身体性」だ。現代生活では身体を使うことが極端に減っている。自分の体験を経て獲得した知見ではなく、ネットで手軽に得た情報を元に考え、言葉を発し、行動する。日常がバーチャルになりつつあるのだ。企業経営も例外ではない。

 ある企業の物流拠点で話を聞くと、最近の社員は物流センターに足を運ばないという。在庫状況を目の当たりにすれば、身体で危機感を感じたり、新たな商品企画に反映したりできる。

 稲盛和夫氏は「現場は宝の山」と言った。現場には課題解決のカギとなる生の情報が隠されている。それらを五感や肌感覚でつかむことができるのが現場だ。つまり「身体性」の重要性を指摘しているのだ。本社で数字だけ見て判断していては、実態から乖離(かいり)する一方だ。身体性が欠如した議論は、リアリティーの欠如を招く。

 IT化が加速する時代だからこそ、身体や五感の重要性を再認識すべきだろう。「身体性」の復活は、日常生活にも経営にも求められている。

 

 まゆずみ・まどか 俳人。1994年、「B面の夏」50句で第40回角川俳句賞奨励賞受賞。同年、初句集『B面の夏』刊行。96年、俳句誌「月刊ヘップバーン」創刊・主宰(通巻百号で終刊)。97年、「フランス香水協会」マドモアゼル・パルファム賞(文化部門)受賞。99年、北スペイン・サンティアゴ巡礼道約800キロを踏破。同年、「日韓文化交流会議」委員に就任、度々訪韓。2001~02年、四季にわたり5回訪韓、釜山-ソウルの約500キロを歩く。02年、句集『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞受賞。10~11年、文化庁「文化交流使」として仏パリを拠点に欧州で活動。17年、四国遍路約1400キロを踏破。オペラの台本執筆や校歌の作詞なども手掛ける。20年、「京都×俳句プロジェクト」(https://kyoto.haiku819.jp/)を発足。21年より「世界オンライン句会」主宰。現在、ワコールホールディングス社外取締役。京都橘大、北里大、昭和女子大客員教授。「日本再発見塾」呼びかけ人代表、「公益財団法人東日本鉄道文化財団」評議員、岐阜県大垣市「奥の細道むすびの地記念館」名誉館長など。22年7月に10年ぶりとなる句集『北落師門』を上梓した。その他の著書は句集『忘れ貝』、『てっぺんの星』、紀行集『ふくしま讃歌-日本の「宝」を訪ねて』、『奇跡の四国遍路』、随筆集『引き算の美学-もの言わぬ国の文化力』、『暮らしの中の二十四節気-丁寧に生きてみる』など多数。神奈川県出身。

黛まどか公式HP https://madoka575.co.jp/