【パラレル教師】自分の在り方を見つめる

【パラレル教師】自分の在り方を見つめる
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 「人との出会いで、自分は変われた」と話す東京都練馬区立石神井台小学校の二川佳祐教諭。現在は学校外で勉強会やイベントを主催するなど活躍するが、かつては教師としてもがき苦しむ時期があったという。逆境からの打開策について、「自分の在り方を見つめ直すこと」と語るなど、常に自分にベクトルを向けて思考し続ける二川教諭の姿を通じ、教師の在り方を考える。(全3回)

クラスが学級崩壊寸前に

新人時代の挫折がきっかけと語る二川教諭
新人時代の挫折がきっかけと語る二川教諭
――二川先生は、最初からそんなに志が高い教師だったのですか。

 いえいえ。今でも志が高いとは思っていませんが、自分の在り方が変わったきっかけはありました。

 実は、教師になって1校目の頃、担任していたクラスが学級崩壊のような状態になってしまったことがあります。児童との関係がうまくいかなくなって、授業もままならなくなってしまいました。

 違う学級の先生たちが代わる代わる私のクラスに入ってフォローしてくれたり、「絶対大丈夫ですから」と応援してくれる保護者の方がいたり、今思えば周囲の人にとても恵まれていました。ただ当時は、毎日「すみません」といろいろな人に頭を下げ、「卒業式まであと何日だ」と指折り数えるなど、本当にしんどくて、精神的にも追い詰められていました。

 うまくいかない状況よりも、児童や周りの人に迷惑をかけ続けている自分の実力のなさが嫌でした。自分が変わらなきゃいけない、もっと学ばなきゃいけないと痛感しました。

――周囲の環境や人に、責任転嫁することはなかったのでしょうか。

 それは一切ありませんでした。特に子供たちは、全く悪くないと常々感じていましたね。隣のクラスの児童はとても伸び伸びしているし、先生も前向きに頑張っている。何が違うんだろうと毎日繰り返し考えてみても、やはり自分にしかベクトルは向きませんでした。

自分の在り方について考えることが大切だと話す
自分の在り方について考えることが大切だと話す

旧友との再会で一念発起

――そこからどのように状況を改善していったのですか。

 高校の同級生で、脳神経科学の専門家である青砥瑞人君との再会が、大きく影響しています。彼は今、元千代田区立麹町中学校校長の工藤勇一先生(現・横浜創英中・高校長)らと組んで、脳神経科学の知見を教育現場で生かすプロジェクトを進めています。

 彼は高校2年生で中退して、米国のUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に入学したので、共に過ごしたのは実質1年間くらい。以降はSNSを通してあいさつをする程度の仲でした。

 ちょうど子供たちとの関係性で思い悩んでいた頃、彼から「帰国する」と連絡がありました。久しぶりに会って自分の状況を打ち明けると、「拠点を日本に移すんだ。何か一緒にやってみようよ」と提案してくれたんです。

 そこから青砥君には教育コンサルのような立場で、一緒に動いてもらいました。彼の専門分野の脳神経科学の知見を起点に、私の教育活動に伴走してもらうようなイメージです。

 その中で私自身、とても変わったという自覚がありました。

――具体的には、どのようなことをされていたのですか。

 まず、月2回くらい面談をして、現状についてヒアリングしてもらいました。例えば、クラスの自己肯定感が下がりやすい点が課題だったので、菊池省三先生の「ほめ言葉のシャワー」を個人やクラスで実践していましたが、それに対して青砥君が、どう進めていけばより効果的になるかを脳神経科学的な知見を入れながら、アドバイスしてくれました。

 どんな教育実践も、最初は効果が目に見えやすく「おお!」となりますが、途中で必ず停滞期が訪れます。「ほめ言葉のシャワー」のときも停滞期間があり、途中でやめようかと考えたことがありました。そんな時、彼から「何言っているんだ、停滞するのは当たり前。この先で絶対効果が見えるから、今大切なのは記録をとって、続けることだ」と言葉を掛けてもらいました。 

 すると、一度は停滞したかのように思えた状況に変化が生じ、3学期の終わり頃にはまたぐぐっと児童たちも私自身も伸びた感覚が、はっきりと得られました。こんなに成長できるのかと感動するとともに、一緒に走ってくれる人がいることがとてもうれしかったのを覚えています。

スキルに重きを置きすぎた

――青砥さんという相棒を見つける前と後とでは、二川先生自身の何が変わったかは分析できていますか。

 それは明快に分かっていて、私の在り方です。

 同じ事象を見ても、自分がかけている眼鏡、つまり見方によって、見えるものが全然違ってきます。例えば、目の前で児童がけんかをしているとします。極端に言えば、私が前の晩にしっかり眠れたか眠れなかったかの違いで、その事象の受け止め方が違ってくると思います。

 教師だって人間ですから、常に良い状態を維持できるわけではありません。しかし、良くない状態をどうやって整えていくか、考え方をどう切り替えていくかを意識するようになった点は、大きく変わったところです。

 これは青砥君とのワークで、「メタ認知」を踏まえた自分の捉え方をつかめたからだと思います。「二川佳祐」についての問いを次々と投げ掛けてもらい、それを発表して、探究してという作業を繰り返しやっていました。

 行き着いたのは、「自分を見ずして教育理念を語ることは不可能」という気付きでした。

――それまではスキルに重きを置きすぎていたということでしょうか。

 その通りです。当時は教師になって4~5年目。いろいろな先輩に教えてもらったり、本を読んだりして「これが大切だ」「こうあるべきだ」といったものを吸収するばかりで、捨てることができていなかったんです。

 あれも大事、これも大事……。だからこの方法を試して、あの方法を試してといった具合に一貫性がなく、その場限りの手だてしか打てていなかった。もうブレブレです。私とは一体何者で、どこにいるのかなど漠然とした不安を感じ、知らないうちに迷子になっていたのでしょう。

子供たちに刺激とワクワクを

自分の変化が誰かの救いになればと活動していると言う
自分の変化が誰かの救いになればと活動していると言う
――そんな自身の変化を、今では多くの人に発信しています。

 青砥君との出会いをきっかけに、他校や学校外の人との出会いを積極的に求めるようになりました。すると、私と同じような悩みを抱えている人がたくさんいることに気付きました。次は私が、その人の道を開くきっかけを提供する番で、私の失敗談や原体験が誰かの力になるのではないかと考えるようになりました。そういった経緯で自然と学校外の活動やSNSなどを通して、発信する立場になりました。

 発信することは、私にとってもメリットがあります。もちろん自己承認の面でも誰かが反応してくれるとうれしいですが、それ以上に、発信することで自分の行動が促進されているのを実感しています。

 イベントやブログで対外的に発言したことは、「やらないわけにいかない」という、ほどよいプレッシャーを自分に与えてくれています。特に本業の教師という職業においては、高いモチベーションを持って取り組まなければならないと、常々感じています。

――自ら発信するとともに、教師と学校外の人が交わる場所づくりにも注力されています。その経験を教育現場にどのように還元しているのでしょうか。

 そうした場づくりを通じて、私が目標とする「教育と社会の垣根をなくす」ための行動がしやすくなっています。

 例えば私の主催する大人の学び場「BeYond Labo」で知り合った学校外の方を教室に招いて、授業をすることがあります。先日はプログラミング塾を運営している方を招いて、パソコンクラブの児童たちとプログラミングに挑戦しました。昨日はドローンを飛ばして、大いに盛り上がっていましたね。

 その道のプロから専門的な知識を与えられるので、学びの質が担保されることはもちろん、単純に子供たちに刺激やワクワク感を与えられていると感じています。

――ワクワク感ですか。

 隣のクラスの先生が教えに来るだけで、なぜだか盛り上がりませんでしたか。毎日教壇に立つ教師とは違う見慣れない大人が教えるだけで、子供たちは「何か違う。面白い」とワクワクするんです。

 自分の幼少期を振り返っても、普段と違った環境で学んだことは、不思議と大人になっても覚えているんですよね。記憶に残る学びや、より興味をひくきっかけを与えられるようにしたいと思います。

 実は「BeYond Labo」で知り合った方を教室に招き授業ができるようになったのは、ここ1年ほど。自分の学校や教室を舞台に、さまざまな人によって、多様な学びが提供できているのは、学校外で活動を続けてきた成果だと感じています。出会った人が教育をつくっていく、教育は「人」が行うものだと、日々感じています。

【プロフィール】

二川佳祐(ふたかわ・けいすけ) 小学校教諭。今年度より東京都練馬区立石神井台小学校に赴任。前年度まで武蔵野市立第一小学校で、主任教諭を務める。「大人が学びを楽しめば子供も学びを楽しむ」ことをモットーに、大人の学び場「BeYond Labo」を主宰する。妻と娘をこよなく愛し、「ファミリーファースト」を掲げる二児のパパ。

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