今は治る「ハンセン病」への根深い差別 “元患者家族への補償制度”期限が迫るも増えない申請数 患者の家族関係の形成を妨げた「隔離政策」とは 2023年12月12日
国が間違いを認めた「ハンセン病」の“隔離政策”。患者だけでなく、その家族も深刻な差別を受けてきました。
2019年に、元患者の家族への補償制度が始まりましたが、補償金の申請数は増えていません。それはなぜなのか…そこには、まだ終わっていない当事者たちの苦しみがありました。
■今は治る病気なのに…消えない差別と偏見
兵庫県出身の浜本しのぶさん(86歳)は、11歳の時に「ハンセン病」に感染していることが分かりました。当時はハンセン病は恐ろしい病気だと思われていて、感染した本人のみならず、家族までも差別を受けることになりました。
【浜本しのぶさん】「家の中にいたら、祖母と2人で“外に出るように”と言われて、引っ張り出されて、その時にすごく消毒された。(周囲で)口々に広がったのが、“悪い病気や”、“そばを通っただけでもうつる”、“あの人の子供と仲良くしたらあかん”。もうそれこそ、土地にいられないくらい。そういう厳しい目に遭ったんですね」
ハンセン病は「らい菌」による感染症です。感染力は弱いものの、有効な治療法がない時代には、顔や手が変形するなどの後遺症が残りました。
1931年に国は、全てのハンセン病患者を一生隔離する法律「癩(らい)予防法」を作り、患者を次々と療養所に閉じ込めました。
戦後に治療薬が開発され、治る病気になったにも関わらず、法律だけが放置されていました。その隔離政策が誤りだと断罪されたのは、2001年のことです。
しかし、多くの人がその後も療養所を出ることはできませんでした。差別や偏見は根深く、簡単には消えないためです。
今も岡山県の療養所で暮らしている浜本さんにとって、手紙や面会で励まし続けてくれる2歳年上の姉が、心の支えでした。
【浜本さん】「姉に、大阪の市役所の方との縁談がありました。そうなった時にね、やっぱり私が引っかかりまして。あの手、この手と身元調査をされて、(浜本さんのハンセン病が)ばれてしまいました。それで、その縁談は破談になった」
結婚や就職の際に、ハンセン病の元患者が血縁者の中にいるというだけでも、家族も深刻な差別を受けました。それを恐れ、多くの元患者が家族に縁を切られ、墓に入ることも拒まれました。
【浜本さん】「自分が戸籍に残っている限り、やはり迷惑をかけていたんやな。すまんな、と言って。自分の心の中で手を合わせて“すんません、すんません”ということしか、姉には言いようがないです」
家族にも差別が及んだことに対する国の責任を明らかにするために、560人を超える人が裁判を起こしました。
2019年、熊本地裁は「隔離政策が家族への差別被害を生み、家族関係の形成を妨げた」として、国の責任を認めました。
判決を受けて国は、ハンセン病の元患者の家族に最大180万円を支給する補償制度などを策定し、ハンセン病の問題が大きく動くこととなりました。
■保証制度が始まって4年 しかし申請しない人が多数
大阪市に住む山城清重さん(80歳)は、10歳でハンセン病にかかり、療養所に入所。それからは家族との関係を絶っていました。
しかし、ハンセン病家族訴訟をきっかけに、家族に会いたいと思うようになったのです。
支援者が家族を探し出し、およそ60年ぶりに兄・勇さんとの再会を果たしました。
【山城清重さん】「兄ちゃん?キヨや」
【山城さんの兄・勇さん】「元気やったか」
【山城さん】「うん、元気やった。良かった。ありがとうな」
【兄・勇さん】「どうしてるか、心配ばっかりしてた」
【山城さん】「ありがとう」
この再会を機に、兄・勇さんと定期的に連絡を取るようになった山城さん。今年の10月には、5回目の里帰りをしました。
【山城さん】「こんなに温かく迎えられるとは思わなかった。尊い家族やと思うようになった。昔はそんなことなかったのに。(自分は)捨てられた子と同じと思っていたから。今は違う。兄ちゃんも、もう親父みたいなもんやと思っているから」
会う度に、長年離れていた心の距離が縮まっていった兄と弟。2人は国の補償金を受け取ることにしました。そして、そのお金で山城家の墓を新しくしたのです。
【山城さん】「ゆくゆくは、骨になった時、ここに入れてもらえるし。やっぱり安心感が、気持ちの上でやで。若い時はそんなん思わへん。年いったらやっぱりそう思う。人恋しいのと一緒。やっぱり、母親とか父親のそばに骨を入れてもらえたら。死んだら関係ないんやけど、生きている間はそういう思いもある」
山城さんたちのように、家族関係が回復して補償金の申請に至るケースは、実は多くはありません。厚生労働省は、補償金の対象となる元患者の家族を、およそ2万4000人と推計していますが、補償制度が始まってから4年間の申請数は、約8000件。想定の3割ほどに留まっています。そんな中、申請の期限はあと1年と迫っています。
■深刻な差別に遭った人ほど申請しない
元患者・浜本しのぶさんの唯一の家族である姉も、補償金の申請はしていません。姉は結婚した後、夫の親族などに、妹である浜本さんの存在を隠しているからです。
【浜本しのぶさん】「うかつに家に電話して、お嫁さんが電話に出たらえらいことです。お金をもらってほしいけど、家族にだまっておくといったって、ばれてしまいます。どうしたんやと。1万、2万じゃないから。そうなったら問題が起こってくる」
高齢になった姉は、認知症の症状が出始めました。浜本さんは、自分の存在が知られて姉が責められることが何よりも怖いと、今は連絡を控えています。
ハンセン病の元患者とその家族をつなげてきたソーシャルワーカーは、補償金の申請につながらないケースを数多く見てきました。
【邑久光明園 ソーシャルワーカー 坂手悦子さん】「本当に深刻な苦しみとか、(差別などの)被害に遭った家族ほど隠します。そういう人たちほど、家族補償の請求(申請)につながらないというのは、すごく感じていて。本当に裁判で原告側が勝訴して、国も謝罪して、それで終わったとされるのが、すごく違うなと思っている」
元患者の家族への補償制度が始まってから、すでに4年が経っています。一体いつになれば、元患者や家族が安心して暮らせる社会になるのでしょうか。
(関西テレビ「newsランナー」2023年11月20日放送)