日本画
資料名

「竹に鶴図」下絵
(たけにつる
ず したえ)

作品情報

加賀藩御用絵師、佐々木家に伝わる粉本39枚のうちの一つ。狩野探幽以後、狩野派は先人の画稿を尊重し蓄積したとされるが、本学所蔵の下絵類にも多様な画題のものがあり、鶴梅竹図、竹雀・梅月図、福禄寿・松・梅図、李白・瀧図、龍虎図、蘆燕・稲雀図、藤・芙蓉図、富士図、松八頭・雀図、流れに桃花樹図、瀧に桃樹図など、山水や花鳥など景観をあらわしたものから、西王母図、寿老・大黒・恵比寿図など人物・仙人の図も含まれる。二幅対や三幅対となっているものが多く、左の「鶴竹図」もその中の一つ。「梅に鶴図」と併せて二幅対となる。

作者情報
佐々木泉景 【1773〜1848年(安永2〜嘉永元)】

江戸時代後期から末期にかけて活躍した狩野派の画家で、加賀藩の御用絵師。加賀の国江沼郡大聖寺町(現在の加賀市大聖寺)生まれ。子どもの頃から画才を発揮し、後京都に出て、狩野派の石田遊(幽)汀・友汀の父子に絵を学び、さらに鶴沢探索・探泉の門に入り研鑚する。1802年(享和2)30歳のとき法橋位を拝叙し、これを機会に角鹿姓から本来の佐々木姓を名乗り、大聖寺に帰り、1807年(文化4)より加賀藩の依頼で屏風と衝立などの御用を勤める。以後、金沢城二の丸御殿障壁画制作に参加し、1819年(文政2)藩より七人扶持を受け、1821年(文政4)法眼位を拝叙する。1848年(嘉永元)没。

作者名 佐々木 泉景(ささき せんけい)
制作年 江戸後期
法量 縦137.4 横63.8
材質 紙本 墨画着色