歌舞伎いろは
【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。


奥女中のトップの上臈年寄(じょうろうとしより)から湯殿の世話など雑用をする下っ端の御末(おすえ)まで、大奥はまるで会社組織のように上下関係がはっきりと分かれており、同じ大奥にいてもその生活ぶりはまったく異なるものでした。
江戸時代のお風呂を再現した指宿白水館(写真提供・指宿白水館http://www.hakusuikan.co.jp/jp/)の風呂。元禄時代にあった数々の風呂を再現しています。

其の二 女の園の風呂事情

 そもそも江戸っ子はみな風呂好きであり、湯屋は一種の娯楽場になっていました。しかし美しさがモノを言う大奥では、入浴は器量を磨くための大切な機会です。湯殿も内風呂として整備されていますから、たとえば将軍の正妻である御台所は朝目覚めたら食事の前に入浴していました。

 奥女中達の場合は、御台所の住まいと少し離れた2階建ての長局に分かれて暮らしていました。もちろん数百人もいる彼女たちのために、いくつもの湯殿が備えられています。町では内風呂のある屋敷などほとんどなかったうえ、湯屋の多くは独立した女湯を持たなかった時代です。大奥は、外界とはまったく異なる生活空間だったといえます。

 風呂をわかす燃料となる薪は湯の木と呼ばれ、彼女達の報酬の中に含まれていました。奥女中の上下関係は、そのまま報酬にもあてはまるので、それぞれに与えられる薪の量も階層によってまったく異なります。おかげで上層の者は1人で優雅に、しかも1日に2度の湯あみもできる一方、下層の者達は数人ずつの入浴となり、隔日しか入れない者もいました。「新人」が肌を磨いて綺麗になろうとしたら、きっと苦労したことでしょう。

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