特集② データで振り返るコロナ禍前後の京都観光

1.はじめに

 2020年、世界中を襲った新型コロナウイルスは、観光業界に甚大な影響を及ぼし、その影響は京都においても例外ではなかった。直近数年間は観光客で溢れかえっていたような風景が静寂に包まれ、「これこそが本来の京都の姿」と懐古主義的な意見が散見された。一方で、インバウンド需要の隆盛に乗じて参入した事業者の勢いは見る影も無く、長年親しまれた宿泊施設も廃業に追い込まれるなど、栄枯盛衰を感じずにはいられない3年間だった。とはいえ、京都はこうした浮き沈みを何度も何度も経験し、乗り越えてきた千年都市であるということは誰もが知るところだろう。
 本稿では、DMOとして日々収集分析してきたデータをもとに、コロナ禍前後の京都観光の市場動向を振り返るとともに、それらを踏まえた対策を解説し、今後の展望に焦点を当てたい。

2.コロナ禍前の京都観光
2―1世界中から毎年5000万人が訪れる街

 まず、京都市を訪れる観光入込客数を確認しよう【図1】。京都市が初めて年間3000万人の入洛を記録したのが、大阪万博が開催された1970年であった。当時の京都市の人口は現在とさほど変わらない140万人程度であり、これを遥かに超える人数が、すでに毎年のように京都を訪れていたことになる。それから30年の歳月をかけて、2000年代初頭には観光入込客数が4000万人にまで増加したが、さらに京都市は観光客5000万人構想を掲げ、これは国によるインバウンド振興(いわゆるビジット・ジャパン・キャンペーン)とも連動する動きとなった。
 2010年前後には新型インフルエンザの流行やリーマンショックを契機とした世界的な不況、東日本大震災に見舞われたが、震災からの復興に重なるように訪日ビザの発給用件緩和や格安航空(LCC)の台頭が進んだことで、アジア近隣諸国を中心に観光客数が急増し、京都市の観光入込客数は2015年に年間5684万人と最高値を記録した。観光客5000万人構想が達成されたことを受けて、京都市ではこれまでの量を追求する方針を転換し、「憧れられる観光都市」を目指して観光の質を求めることとなった。その後も外国人観光客数は増加が続いたが、入れ替わるように日本人観光客が減少したことで、市全体の観光入込客数は減少し、5000万人台前半で推移する年が続いた。

 京都の観光地を訪れると外国人のほうが日本人よりも多いのではないかと感じることも多いので、京都市の観光客に占める外国人比率は高いと予想する読者は多いかもしれない。しかしながら、実はコロナ禍直前の2019年で外国人比率は17%に留まっている【図2】。これは、沖縄県の観光客に占める外国人比率約30%(2018年度時点)を下回る水準であり、京都は依然として日本人観光客にも支持されている旅行先といえる。ただし、日本人の多くは関西近郊からの日帰り観光客であるため、宿泊客に限定して集計し直すと外国人比率は大きく上昇し、約半数を外国人が占めることになる。

 では、外国人の内訳はどうだろうか。もともと京都は欧米系の観光客が比較的多く、10年前までは欧米系が占める割合のほうが大きかった。その後、急激に近隣アジア諸国の市場が拡大し、宿泊客数に占める中国本土出身者の割合は4割にまで拡大した。それでも、全国の訪日客の国・地域別構成と比較すると、京都は欧米系の割合が大きく、様々な地域から訪問されている街であると言える。この特徴が、コロナ禍の影響を評価するうえで重要であることには、のちほど触れたい。

2―2高価格帯宿泊施設の進出が牽引した観光消費の拡大

京都市を訪れる観光客の消費額は、コロナ禍直前の2019年で約1・2兆円にのぼる【図3】。ここから生み出される付加価値額は約0・8兆円で、これは市全体の総生産額(国でいうGDPに相当)の12%程度となる。

 2019年時点の消費単価は、日本人宿泊客が約5・5万円、日本人日帰客が約1・1万円、外国人宿泊客が約6・1万円、外国人日帰客が約2・0万円であった。宿泊客では日本人と外国人との差がほとんど無いが、数年前までは1万円以上の開きがあった。この差が縮まった最大の要因は、市内に高価格帯の宿泊施設が増えたことによる宿泊代の上昇である。2014年時点では日本人観光客の宿泊代は1・1万円だったが、これが2倍近くにまで増えている。この10年のあいだでミシュランガイド5つ星の宿泊施設が4件となり、これは10件認定されている東京に次ぐ規模である。コロナ禍後も続々と世界的なラグジュアリーブランドホテルの進出が予定されていることから、さらに宿泊代は上昇が見込まれ、これに付随する他の費目も増えることが期待できる状況といって良いだろう。

2―3供給不足による観光課題の発生

 外国人観光客が急増する以前は、京都市内の客室数は約3万室であった【図4】。主要な宿泊施設における年間客室稼働率は90%近くに達しており、人気の施設はほぼ満室という状況であった。とくに、日本人観光客は旅行計画のタイミングが外国人よりも遅いため、〝そうだ京都、行こう〞と思ったときには、すでにお目当ての宿の予約は取れない状態になってしまっていた。2015年に観光入込客数がピークに達してから日本人観光客の足が遠のいていたのは、こうした供給不足が背景にあったためだと考えられる。

 そこで京都市では、さらに増える観光客を受け入れるためには供給客室数を4万室まで増やす必要があるという認識のもと、なおかつ京都のブランド価値を向上させるための対策として、2017年に「京都市上質宿泊施設誘致制度」を創設した。これは、宿泊施設の立地が制限されている区域においても、質の高い宿泊施設の営業を可能とするものであり、実際にこの制度を活用した計画が5件予定されている(新規の受付は2022年3月で終了)。
ただし、この制度ができる以前から、供給不足を商機とみなした多くの事業者が、宿泊施設の立地が制限されていない区域で、簡易宿所や低価格帯の施設の運営にこぞって参入し始めたことで、客室数は瞬く間に6万室近くにまで達した。さらに、違法民泊も急増し、市が設置した通報窓口には多い時で年間1000件もの通報があった。
 供給不足は交通分野でも課題となっていた。元々は市民の生活の足として路線網が発達してきた京都市バスは、観光客にとっても便利な移動手段として選ばれるようになり、財政難に苦しんでいた京都市交通局の収支は着実に改善に向かっていた。ところがその副作用として、一部の路線でスーツケースを持ち込む観光客と一般市民の通勤需要が重なることによる車内混雑が発生したり、バス停で待っていてもすでに満員状態のバスしか来ず何台も見送ることになってしまうなど、利用者の利便性が損なわれる事態が問題視されるようになった。これを打開するため、新型車両では手荷物スペースを拡大したり、主要な観光地だけに停留する路線を運行したり、降車人数が多い停留所では降車してから運賃精算ができるように係員を配置するなど、地道な対策が導入されてきたところである。
 このように、宿泊や交通における供給不足は改善が図られてきたが、残念ながら、混雑やマナー違反などの課題が根本的に解消できたかというと、そうとは言い切れないのが現実だ。なぜなら、世界中からの憧れを集めるようなブランディングを目指してきた京都においては、供給が拡大すると新たな需要が生まれる構造になってしまっているからである。したがって、京都において観光客が増えることによって起こる諸問題を終息させるためには、別の手法が必要となる。そのひとつが、前述の「宿泊施設の高価格帯開発を中心とした消費単価の向上」である。宿泊税や、京都市認定通訳ガイド制度の導入(トップレベルの通訳ガイド育成)なども、広い意味で単価向上の施策に含まれると言ってよいだろう。
 次に挙げられるのが「需要の分散化(≒リピーター開発)」だ。たとえば、京都市観光協会では50年以上前から、閑散期にあたる夏と冬に文化財の特別公開事業を行うことで、桜や紅葉以外の魅力にも気づいてもらいやすいリピーターを対象に、京都を訪れていただくきっかけを作ってきた。2018年頃からは「とっておきの京都」と題した市内6地域を対象とした穴場観光や、早朝や夜間のイベントを紹介するような取り組みも強化してきた。長年に渡る取り組みの結果として、京都を訪れる日本人観光客のうち、入洛経験10回以上を占める割合は、実に6割にまでのぼる。
こうしたリピーターは京都の穴場を熟知し、自ずと混雑を避けて観光してくれるため、人数が増えても市民の生活に与える影響は少ない。同じ2018年頃には、主要観光地における混雑度の予測も開始した。京都では住民生活と観光客の動線が混在しやすく、公共空間が観光地化されてしまっていることが多く、入域規制を設けることが困難であるという事情がある。そこで、ビッグデータを活用することで数ヶ月先までの時間帯別の混雑状況を予測した結果を公開することで、各自の判断で混雑回避を促すことに取り組んできた。
利用者アンケートによると、およそ半数は予測結果を見たことで訪問日時や場所を変更したと回答している。さらに、京都市バスの臨時便増発の判断基準の一つとしても活用されている。
 そして、最後にして最難関の対策が「経済効果の可視化」だろう。前述のとおり、京都における観光消費の経済効果は市内総生産の12%に相当することがデータ上は分かっているが、市民がその恩恵を文字通り実感できているかは別問題である。京都市が例年行っている市民生活実感調査において、「京都市は暮らしやすい観光都市である」という設問をみると、肯定的な意見のほうが多数派ではあるものの、年を追うごとに否定派が増えており、コロナ禍直前には否定派が逆転する寸前にまで達していた。そこで、これらの課題に対処するための事業に宿泊税の資金が投入され、対策が進行していたのだが、そこに水を差したのが新型コロナウイルス感染症であった。

3.コロナ禍の京都観光
3―1市場の急変に耐えることができたのは誰?

 最初の緊急事態宣言が発出された2020年の春、市内主要ホテルの多くが臨時休業に追い込まれて供給室数が減ったことを勘案したにもかかわらず、客室稼働率は6%と記録的な水準にまで下がった。客室平均単価も最大で40%を超える下落幅となり、GoToキャンペーンなどの一部の時期を除いたほとんどの期間は、営業してもコストを回収できないような状況が続いた。従業員のモチベーションと雇用を維持するために、雇用調整助成金を活用して営業を続けてきた業界関係者の苦労は計り知れない。営業できた店舗・施設はまだ恵まれたほうで、残念ながら持ちこたえられなかった事業者もあった。
コロナ禍前の時点で競争過多になりつつあった京都の宿泊業界では、すでに廃業件数が増加傾向にあったが、コロナ禍が始まった2020年度にはこれに拍車がかかり、1年間で632件もの廃業が確認された。さらに、年間1000件以上の通報があった違法民泊も鳴りを潜め、数十件程度にまで落ち着いている。一方、新規開業はコロナ禍前ほどの勢いは無いにしても、廃業件数の半分ほどで推移している。市内の宿泊施設数はコロナ禍直前に4000件にまで迫ったが、現在は3500件程度にまで落ち着いている。
それでも、2014年頃の1000件から比べると格段に増えた状態が維持されていると言える。また、客室数は約5・8万室とピーク時からそれほど減少していない。すなわち、コロナ禍で廃業に追い込まれたのはゲストハウスを始めとした小規模な施設であり、コロナ禍前から建設が予定されていた大型施設は、開業時期に多少の延期はあったとはいえ着々と営業を始めており、業界の新陳代謝が進んだと言えるだろう。
 ここで、当協会が毎月発表しているホテル統計の対象施設の業績を、立地別に比較した結果を紹介したい。立地の分類は「京都駅周辺」「繁華街」「市街地」「その他」の4つに分けることとする。宿泊施設の経営指標のうち最も重要と言われる客室収益指数(いわゆるRevPAR。客室稼働率と平均客室価格を乗じた値であり、1室あたりの売上に相当)の推移を比べてみたところ、「その他」に分類される施設は2020年秋のGo To キャンペーンの時点で早くもコロナ禍前の水準を回復していることが分かる。その後も、他地域よりも常に高い水準で推移しており、2023年にはコロナ禍前の2倍を超えた月もある。実は、この「その他」という分類は、駅前や繁華街の過当競争に巻き込まれにくい市内辺縁部が相当し、こうした地域に立地する施設は、その施設自体が有名観光地に匹敵するほどの集客力を持っているという特徴がある。コロナ禍になってから「その他」地域で高価格帯の施設の開業が相次いだことで指標が上向くバイアスが働いたということを考慮しても、こうしたブランド力のある施設はコロナ禍の影響を受けにくかったことがデータからうかがえる。実際、富裕層は、施設や車両を貸し切りにするなど、感染リスクを下げたプライベートな空間を確保することで、コロナ禍であっても密を避けて周囲の目を気にせず旅行することができたため、高価格帯の施設はそうした需要の受け皿になったと考えられる。逆に、駅前でしのぎを削っている施設は、2023年になってからも客室収益指数がコロナ禍前を下回っており、厳しい経営状況だと言える。
 次に、宿泊客の出身地域別のデータをもとに、市場別のコロナ禍の影響を見てみることとする。当然、いずれの地域もコロナ禍の影響で宿泊客は激減し、過去には無かった国内近隣地域からの宿泊や、全国旅行支援の後押しが観光業界を支えることになった。
2022年10月からのインバウンド規制緩和にともなって、真っ先に需要が回復したのは韓国であった。韓国における政権交代があったことで対日感情が改善されたことや、燃油サーチャージ高騰の影響を受けにくい近場の旅行先であることなども相まって、すでに2022年10月時点で2019年同月を上回るほどの宿泊需要が発生した。
これを追いかけるようにして香港や台湾からの需要も回復が始まり、翌年春には旅行の計画や手配に時間がかかる欧米諸国の観光客も、春の桜を目掛けて戻ってきた。夏には中国本土からの個人旅行者も増え始め、団体旅行解禁前の2023年7月時点で国・地域別構成比のトップは中国となったことには、筆者も驚いた。秋になれば、再び欧米系の観光客の比率が高まり、年明け2月の春節にはいよいよ中国市場の本格的な復活が期待される。一方、厳しいコロナ禍の需要を支えた日本人による宿泊はここに来て回復に歯止めがかかっている。コロナ禍前のように外国人客による予約が先行しているとしても、宿泊施設が増えたことで客室稼働率はまだ70%前後と余裕があるはずなので、日本人が予約したくてもできないような状況では無いはずである。にもかかわらず日本人が伸びない理由を求めるなら、やはり宿泊価格の上昇ということになるだろう。インバウンドの回復はもちろん、燃料費の高騰や人件費の上昇を背景に2023年の早い段階で市内主要ホテルの平均客室単価はコロナ禍前を上回っているが、記録的な円安によって外国人観光客にとっては訪日旅行はむしろコロナ禍前よりも安いと感じられている。こうしたインバウンド需要を狙って強気の価格設定に踏み切る施設が増えると、全国旅行支援などで割安な旅行を体験してしまった日本人にとっては、どうしても今の価格は割高に感じてしまうのかもしれない。
 このように市場によって動向が様々であったことを振り返ると、特定の市場に依存せず、バランスよく集客することの重要性を認識することができる。中国本土からの観光客に依存していた地域では、まだまだコロナ禍からの回復は道半ばだろう。今後も自然災害や政情不安など様々なリスクに対応していくためにも、引き続きなるべく多方面からの誘客に努めていきたい。

3―2コロナ禍がもたらした副作用

 コロナ禍が観光業界に大打撃を与えたことに疑いの余地は無く、DMOも当初予定していた事業の多くは見合わせることになった。しかしながら、これがきっかけで新たに手を付けることができたこともあった。
 まずは、感染症による不安を払拭し、安心・安全に観光していただけるようにするために必要となる、換気や消毒などの対策への補助金制度の運営に携わったことだ。中小事業者の多い観光業界に広く制度利用を促すために、これまでDMOが培ってきた業界ネットワークの真価が試されることになった。
一連の補助金手続きに伴う膨大な事務作業をこなすために、休業を余儀なくされていた一部の市内宿泊施設から短期の出向を受け入れたことは、雇用対策にもなった。慣れない作業に戸惑う職員も少なくなかったかもしれないが、結果的に多くの事業者との接点ができ、業界ネットワークを再構築できたことは収穫であった。その最たる成果が、2020年7月に策定した「新型コロナウイルス感染症対策宣言(ガイドライン)」である。各業界・事業者が実情に応じて独自の対策を模索するなか、DMOがリーダーシップを発揮して、市内の主要業界23団体と共同で統一したガイドラインの発表に漕ぎ着けることができた【写真1】。さらに、ワクチンの職域接種の運営や、在宅勤務者向けのオンライン研修の開発などにも取り組み、経営戦略の柱のひとつに「業界支援」を掲げてきたDMOKYOTOならではの実績を重ねることができた。秋以降のGoToキャンペーンや、翌年からの全国旅行支援などの対策が国から打ち出された際には、「週末の稼働だけが上がって繁閑差が縮まらない」という業界の声を踏まえて、日曜日の宿泊を促進するキャンペーンを実施した。国のキャンペーンと比べると遥かに少ない予算規模で効果をあげるために、宿泊施設から提供いただいた曜日別の稼働率データをもとにして制度設計を行うことができたのも、これまでの業界との信頼関係があってこそである。
 データ活用の分野では、他にも大きな進展があった。将来予測である。コロナ禍になって行動制限が頻発し、いつ感染してもおかしくないような状況が続いたため、旅行を計画するタイミングの間際化が進み、需要の先読みが難しくなっていた。そこで当協会では、かねてよりデータ提供の協力をいただいてきた宿泊施設における、予約状況と客室稼働率の実績を照らし合わせることで、3ヶ月先までの稼働率予測の発表を開始した。もともと、報道機関からも今後の見通しについてよく問い合わせを受けていたこともあり、宿泊予約という裏付けによる高精度の短期予測は注目を浴びており、仕入れ調達の計画や、従業員のシフト管理など、経営の最適化の貢献につながっている。

3―3事前予約制とCRM

 もうひとつデータ活用の事例を紹介したい。当協会では長年、閑散期対策のために文化財の特別公開事業を営んできた。コロナ禍前までは、目的の文化財を訪れて、受付で料金を支払い、施設内のガイドから施設の解説を聞く、というのが一連の体験であった。
ところが、この方式だと昼過ぎの時間帯や、団体ツアーの来訪によって一時的な混雑が発生してしまうことがあり、コロナ禍における事業運営が困難になっていた。そこで、密を避けつつ事業を継続していくための工夫として導入したのが、事前予約制である。時間帯別に定員を設けて旅程に合わせて予約をしていただくことで、劇的に平準化が進んだ。全体の集客数は減るので、値上げをしても減収分を補うことはできなかったが、予約をしてから観光していただく意識付けができたことで、他の高単価の予約型商品の利用や開発が進むようになった。そして何よりも、顧客の予約購買データが活用できるようになったことが大きな進歩であった。
 具体的には、メールアドレスごとの購買履歴をもとに、通算購買額や購買頻度を分析することに加えて、登録されたアドレスに定期的に最新情報を配信することで閲覧状況を把握した。購買額や開封率が高い人をファン層とみなし、このファン層に対して優先的なご案内や特典を付与することで京都に対する愛着を促している。ここまでなら、それなりの規模の事業者であればどこも取り組んでいる顧客管理と同じなので、DMOとしては一歩踏み込んだ施策にまで仕上げたい。民間1社単独ではできないことを、複数社が協調することで実現できるようにすることがDMOの真骨頂である。つまり、こうしたファンを増やす仕組みを地域の事業者にも利用してもらえるように拡張し、京都のリピーターだけに提供できるとっておきの体験の開発を事業者に促すという構想である。地元民向けや、購買頻度の高い商材が対象であれば、こうした仕組みの事例は有り触れているかもしれないが、体験頻度の低い旅行先単位で、しかも関係者の多いそれなりの人口規模の都市での事例となると、成功している事例は聞いたことがない。しかし、日本人観光客のうち京都来訪経験10回上の割合が60%というリピーター率の高い京都であれば、実現できるかもしれない。今後のチャレンジに、ぜひ注目いただきたい。

4.コロナ禍後の京都観光
4―1人手不足と物価高の二重苦をチャンスに変える

 2023年5月に新型コロナが5類感染症へ移行したことで、ほとんどの経済活動は正常化を迎えることができた。京都においても順調に観光客数は回復していくことが予想されるが、市内主要ホテルにおける客室稼働率は70%前後で推移しており、コロナ禍前のように90%を超えそうな兆候は今のところ見られていない。もちろんこれは、ホテルの新規開業が進んで受入容量が増えたことが一因ではあるが、深刻な人手不足で宿泊施設側が意図的に稼働を抑えていることも影響していると考えられる。当協会が6月頃に行った臨時調査によると、回答事業者の7割がコロナ禍よりも従業員数を減らしてお、人手不足を感じているという結果となった。とくに不足しているのは接客職である。
これはおそらく、外国人留学生を中心としたパートタイム労働の新規供給が止まってしまったことで外国語で接遇ができる人材が減ったところ
に、インバウンド需要が急回復していることが背景にあることが大きく影響していると考えられる。また、運転手不足も深刻である。
京都市域の法人タクシーの登録業務を担う京都タクシー業務センターによると、コロナ禍で運転手が大量に離職・引退したことで、約8000人から約6000人にまで激減しており、車両が余ってしまっているとのことだ。
とくに、修学旅行シーズンになると班別行動するための貸切タクシー需要が増えるため、配車アプリを利用してもタクシーが捕まらないようなこともしばしばである。

 さらに、燃料費高騰による原価上昇も経営を圧迫している。当協会が例年実施している「京都観光事業者調査(2022年)」によると、原価が前年から上がったと回答した事業者は約80%にのぼり、これは前年度調査の2倍に相当する。これを価格へ転嫁できるかどうかで明暗が分かれるが、中には創意工夫でピンチをチャンスに変えている事例もある。たとえば、以前は一定のまとまった団体客を相手にサービス提供することで一人あたりの単価を下げていたところを、敢えて定員を1名に絞り単価を上げる判断をしたことで顧客に対して丁寧な接客ができるようになり、満足度も収益性も向上したという事業者がいる。業界全体に値上げ圧力がかかっている今だからこそ、照準を合わせる価格帯を大胆に変えて、少ないスタッフで限られた顧客をしっかりともてなす方針へ切り替えることができれば、再びコロナ禍のようなことが起こったとしても影響を抑えられるということは、さきほどのホテルのデータをもとに紹介した通りである。
 DMO自身も、上質な体験の開発に注力している。今年、観光庁の観光再始動事業による支援のもとで、祇園祭における1人40万円のプレミアム観覧席の実証販売を行った【写真1】。全国各地でも類似の試みが注目されており、賛否両論が渦巻いている。大事なのは、価格を上げることではなく、観光客にとって十分な選択肢を用意することだ。無料エリアで立ち見をしながら自分だけの画角を見つけることに喜びを見出す人もいれば、祭の文化を維持するための寄付をきっかけにして当事者の想いを直接聞くことに価値を感じる人もいる。実際、プレミアム観覧席をご利用いただいた方に最も好評だったのは、山鉾巡行の参列者が座席近くまで来て、気さくに英語で話しかけてくれたこと、とのことだった。
SNSが発達したおかげで自分なりの撮影スポットを探すような楽しみ方は身近なものになったように思うが、祭の当事者と〝お近づき〞になる機会は、それなりの手間や理由が無ければ提供できないものである。後者のような選択肢を観光客に対して十分に示すために、上質な体験の開発の優先度が高いというだけで、どちらのお客様も、誰ひとり取り残さないという思いに変わりはない。それこそが、持続可能な観光が目指すところではないだろうか。

4―2京都から始まる新しい旅行体験

 本格的なインバウンド需要の回復に対応するために、今年の秋にはこれまで続けてきた混雑対策も新しい局面を迎えることになる。まずは、市民にも観光客にも多く利用されてきた「バス1日券の販売停止」である。便利であるがゆえに、バス1日券の利用者の移動手段が市バスだけに限定されてしまい、混雑を助長してしまってきた反省を踏まえ、この度の決断に至った。今後は「地下鉄・バス1日券」の販売に一本化することで、地下鉄とバスを組み合わせた旅行の提案を強化していくことになる。
 タクシー業界においても、大胆な対策が2件予定されている。「乗り合いタクシー」と「貨客混載」の実証である。
これらは法令などの諸事情で国内では実現が困難と言われてきたが、昨今の運転手不足が引き金となって業界内での合意形成が進み、今秋の実施に漕ぎ着けることができた。「乗り合いタクシー」は、京都駅から金閣寺へ向かう経路限定ではあるが、異なる顧客グループが同じ車両に乗り合わせることができるようにするというもので、一人あたりの単価は下がるが、1台あたりの売上は上がり、少ない台数で多くの顧客を運ぶことができる。「貨客混載」は、事前予約限定ではあるが、タクシーで観光地まで移動し顧客が下車したあと、大型の手荷物をそのまま宿泊先まで搬送するという仕組みである。いつの時代もイノベーションは課題から生まれる。観光課題に直面している街だからこそ、こうした新しい旅行体験が生まれ、世界標準になっていくことを期待したい。

4―3リニューアルオープンが目白押し

 コロナ禍で観光客が激減しているあいだに、大規模な改修を終えた施設が少なくない。その代表格が清水寺である。本堂の改修が終わってから既に3年近くが経過しているので、ご覧になった方も多いかもしれないが、ぜひその美しい姿を早朝に拝んで欲しい。
清水寺は朝6時から開門しているのをご存知無い方はまだまだ多い。改修があったのは寺社ばかりではない。「ウェスティン都ホテル京都」や「リーガロイヤルホテル京都」も大規模なリニューアルを行った。芸舞妓の舞踊を始めとした文化鑑賞ができるスポットとして外国人に人気の「ギオンコーナー」も改装を終えたところである。
隣接する敷地には、2026年春に帝国ホテルの開業も予定されている。
100周年記念事業で大規模改修された「京都競馬場」は、ファミリー層向けに遊具や乗馬体験イベントが用意されるなど、新たな観光スポットとなっている。この秋には、京都高島屋や大丸京都店屋上フロアもリニューアルされた。さらに、京都駅東側には京都市立芸術大学が移転し、周辺一帯がアートをテーマにしたエリアとして再生されていく見込みだ。もしかすると、コロナ禍が無ければこれほどまでにリニューアル案件が集中することは無かったかもしれない。ぜひ、京都を訪れていただく方には、お馴染みの〞行きつけ〞を大切にしていただきつつも、京都の新しさに触れてみて欲しい。

5.世界的なDMOを目指して
5―1先駆的DMOとしての取り組み

 2023年3月、観光庁は日本国内に「世界水準のDMO」を創出するために、支援を希望するDMOの募集を行い、全国から3団体が選定された。
そのうちの一つが当協会である。観光庁や専門家による支援のもとで2年間のアクションプランを策定して、全国の模範となるような課題解決に取り組んでいくことになる。コロナ禍後の業界の回復を力強く後押しし、再び世界中の都市との競争に挑んでいくうえで、国からの支援は大変ありがたい。
 今回の支援の特徴のひとつに、これまで広域DMOのみが支援対象となっていた調査事業への補助制度を、基礎自治体単位の地域DMOでも利用できるようになるということがある。とくに京都では、観光に対する住民からの理解醸成が課題となっているため、経済効果の分析に注力し、分かりやすく観光の意義を発信していきたいと考えている。
 この他、さきほど紹介した祇園祭プレミアム観覧席に象徴されるような、「文化財を活用した質の高い体験の開発」や、「インバウンド向け商品の開発支援と業界交流の促進」「多言語案内表記の面的整備」「民間メディアと連携した情報流通環境の整備」と、川上から川下までを網羅した事業展開を描いている。
 さらに、組織内部の改革にもチャレンジしたい。半官半民と言われ、生え抜きの職員以外にも、行政や民間からの出向者、専門能力を有した有期契約職員、観光案内所に勤務するアルバイトなど、様々なスタッフが同居するDMOにおいて、各人の業績を評価して成長を促していくための明確な筋道をつけることが目標である。また、新規入会獲得や会員制度改善による会費収入拡大も重要なテーマに位置づけている。今後の動向に注目していただければ幸いである。

5―2さいごに
 良くも悪くも、コロナ禍はそれまでの取り組みを見直すきっかけをくれた。普段から地域や市民、業界の横のつながりを保っていたからこそ、この苦境を乗り越えることができた事業者は多かったはずだ。質の高い体験の開発を目指してきた事業者ほど、コロナ禍からの回復は早かった。今後再び起こるであろう危機に備え、持続可能な観光を実現していくうえでも、これらの事業者は欠かせない存在である。また、データを活用することで先行きが見通せるようになり、業界内の合意形成も進めることができた。大胆な混雑対策や、施設の大規模リニューアルなど、将来に向けて前向きな挑戦が続いている。
 明治維新で「いずれ狐や狸の棲家になる」と言われるほどまで京都の街は衰退したと言われているが、それを嘆くだけでなく市民が一丸となって近代化に挑んだことで、今日まで伝統文化を引き継ぎ、世界中から観光客が訪れる街にまで成長してきた。今回のようなパンデミックは、現代を生きる私達にとっては初めての試練だったかもしれないが、これを乗り越えたことで、当時の人々の想いがいまも受け継がれていることを、この3年間で実感することができた。こうして受け継いできた千年の歴史を振り返ることができるから、次の千年も京都が京都であり続けられるだろうという希望を持てるのでは無いだろうか。不確実性の時代と呼ばれる今だからこそ、この街がもたらす希望を世界中の人々に感じてもらえるように、世界をリードできるDMOとして観光業界を支えていきたい。


公益社団法人 京都市観光協会(DMO KYOTO)
DMO企画・マーケティング専門官
堀江卓矢(ほりえ・たくや)
京都市出身。京都大学大学院農学研究科修了後、株式会社三菱総合研究所に入社。公共政策評価や、航空業界における経済効果分析、観光マーケティング業務に従事。
2016年、マーケティング責任者として京都市観光協会へ転職。経営戦略の策定、コーポレートブランディング、統計データ分析、メディア運営設計、観光課題対策事業などを手がける。