目次
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ー カブキロックス・氏神一番が語る当時の『イカ天』
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ー クラファンは亡くなったプロデューサーへの哀悼
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ー 『イカ天』を「忘れ去られないようにしていきたいでござる」

「拙者にとって『イカ天』は子宮。いわば母上でござる。生きとし生けるもの母の子宮から出てきた、という事実は消すことができぬ。

 生みの母が気に入らないからと出生を隠すもの、母はおろか同胞と諍いを起こすものもいるであろう。拙者とて、幾多も人に騙されてきたので、すべてのことに感謝ができるような聖人君子ではない。

 ただ、生まれてきた場所はないがしろにしたくない。その思いだけでござる!」

 獅子毛を振りつつ決意を込めてこう語るのは、ロックバンド・カブキロックスのリーダー兼ボーカル、氏神一番だ。

カブキロックス・氏神一番が語る当時の『イカ天』

 氏神率いるカブキロックスといえば、'89年2月に始まったバンドオーディション番組『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)、通称『イカ天』でブレイクした伝説的バンド。元禄時代からタイムスリップしてきたというコンセプトで、バンドメンバー全員が歌舞伎風のメイクを施しているのが特徴だ。

 '90年のメジャーデビュー後、同番組内でも披露した沢田研二のヒット曲『TOKIO』をアレンジした『お江戸-O-EDO-』は全日本有線放送大賞新人賞を受賞。

 カブキロックス自体としての活動は減ったものの、解散したわけではないという。

 そして氏神は現在、音楽活動を続けつつ、音楽プロデューサー、俳優、ラジオパーソナリティー、落語家、江戸文化研究家と、さまざまな才能を駆使し、活動している。

 氏神が世に知られるきっかけとなった『イカ天』を振り返ろう。

 深夜枠ながら89年11月には最高視聴率7%台を叩き出したこの伝説の番組は、全国各地の情熱溢れるインディーズバンドの面々が、辛口審査員を前にし、事前に収録した演奏風景のVTRの「完奏」を目指すというもの。

 当初は「おもしろい活動をしている素人たちの紹介」的なノリだったというが、番組の知名度が上がるにつれ、もともと実力も人気もあったバンドが登場するようになる。

 番組の影響で世間ではバンド結成ブームが起こり、出演バンドのメジャーデビューも次々と決定。ついには『イカ天』が、'89年の新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞を受賞するまでに。

 '90年1月1日には、日本武道館で超満員の観客を集め「輝く!日本イカ天大賞」が行われたほどだった。

 番組は'90年12月に終了したものの、氏神が率いるカブキロックスを始め、BEGIN、FLYING KIDS、JITTERIN'JINN、BLANKEY JET CITY、たまなど、イカ天出身バンドはその後も長く知られ続けている。90年代初頭に『J-POP』という呼び名が一般化する前夜、日本の音楽シーンに確実に変化をもたらしたエポックメーカーだった。

「'90年の成人の日には『NHK青春メッセージ'90』にゲスト出演して、主賓としていらしていた当時の皇太子さま、現在の天皇陛下の目の前で演奏したこともあったでござるよ。拙者たちを陛下もご存じであったのであろう。ニコニコされていたでござるね。まさに恐悦至極でござったな」