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米朝「二股」で袋小路に~韓国・文在寅政権の功罪~【礒﨑敦仁のコリア・ウオッチング】

2022年05月06日

平壌で演説、融和ムードを演出

 「いい人」を演じようとするあまり、結局は誰からも信用されなくなる。そんな典型を示した5年間ではなかっただろうか。韓国大統領・文在寅が5年間の任期を終え、退任する。前任の大統領・朴槿恵の弾劾、罷免という韓国憲政史上初の異常事態から誕生した9年ぶりの進歩政権は、いかなる対北朝鮮政策を進め、そして頓挫したのか。その経過を振り返りつつ、文在寅政権の功罪を検証してみたい。(文中、敬称略)

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 2018年2月、ソウルの青瓦台(韓国大統領府)に北朝鮮最高指導者の妹・金与正、形式序列2位の最高人民会議常任委員長・金永南(キム・ヨンナム)ら代表団を迎え入れた文在寅は、満面の笑みであった。「寒い中、夜遅くまで大変お疲れさまでした」――前日催された平昌冬季五輪開会式への出席をねぎらった文に、金与正は「大統領に随分、気を使っていただいたので大丈夫でした」と、にこやかに答えた。

 2018年は4月に平壌、5月に板門店、9月に平壌と3回もの南北首脳会談を重ねてさまざまな合意を得た。この間、トランプ米政権へ熱心に働き掛けを行い、6月にはシンガポールで史上初の米朝首脳会談が実現している。文在寅は9月の訪朝時、平壌市内のスタジアムで15万人の市民を前に韓国大統領として初めて演説。「70年の敵対を清算し、再び一つになるための大きな歩みを踏み出すことを提案する」と宣言した。

 この年、北朝鮮はただの一度も核実験やミサイル発射実験を行っていない。金正恩政権の10年で唯一「実験ゼロ」だった年であり、一貫して北朝鮮との対話路線を主導してきた文在寅にとって、2018年はその信念が実を結んだと思えた絶頂期であったに違いない。

◇人権派弁護士から政界へ

 文在寅は1953年、慶尚南道・巨済(コジェ)に生まれた。現在の北朝鮮・興南(フンナム)から脱北してきた避難民を両親に持つ彼が、38度線の「向こう側」に強い思い入れを抱いて育ったのは必然であったろう。朴槿恵の父である朴正煕が大統領だった時代には、民主化デモに参加して収監されている。最難関の司法試験に合格してからは、盧武鉉の法律事務所に入所して人権派弁護士として活躍。盧が大統領選挙に立候補すると選挙対策本部長に就任、当選後は大統領秘書室長まで務めた。

 朴槿恵罷免を受けた大統領選に、野党「共に民主党」から出馬して当選。64歳で韓国のリーダーとなった文は、師である盧武鉉と同様、対話によって北朝鮮問題を進展させようと試みた。金正恩政権が核・ミサイル実験にまい進するなかでも、金正恩を「ロケットマン」などと揶揄(やゆ)した米大統領トランプとは対照的に、北の「最高尊厳」をののしることはせず、常に冷静に対話の必要性を訴え続けた。

 そうした経緯も見計らいつつ金正恩は2018年元日、突如として平昌冬季五輪への参加を表明し、韓国に対して対話攻勢を仕掛けた。金与正と金永南が北朝鮮の代表団として青瓦台を訪れたのも、この一環だった。もっとも、北朝鮮側の狙いは真の南北融和というよりは、「米韓のデカップリング」にあったと考えられる。事実、この時点では韓国に秋波を送る一方で、米国に対しては「核のボタンが机上にある」などと強く威嚇していた。韓国に9年ぶりに登場した進歩政権とその融和政策に乗じて、米韓同盟を揺さぶろうとしたのである。

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