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「闘う政治家」野中広務の足跡 “叩き上げ政治”の無念

影の総理

 京都府の副知事まで務めてから国会議員となり、「影の総理」とまで呼ばれた政治家がいた。ご存じであろう、2018年に92歳で亡くなった野中広務だ。 自民党を離党した小沢一郎らと激しい権力闘争を展開し、「政界の狙撃手」「闘将」の異名を取った。自治相、内閣官房長官、自民党幹事長など要職を歴任。戦後の自民党政治において圧倒的な権勢を誇った田中角栄元首相の系譜を継いだ最後の実力者だった。地方から叩き上げた、その政治人生を検証し、私は2018年の年末に「『影の総理』と呼ばれた男 野中広務 権力闘争の論理」を上梓した。【日本テレビ政治部デスク 菊池正史】

 日本テレビ政治部の記者として私が担当したのは1994年から1年余り。しかし、その魅力に引き付けられ、2003年に野中が政界を引退した後も、たびたび、事務所を訪ねては取材を続けた。

 野中は、1925(大正14)年生まれ。敗戦の直前に19歳で陸軍に召集され、高知で本土防衛に当たった。社会が軍国主義一色に染まっていくことの恐怖、そして戦争の悲惨さを実感として知る最後の世代だった。

 私が、この書で伝えたかったことは、戦争を知る世代を失うことの危うさだ。

 野中も、戦前は軍国青年だった。召集令状が来ることを一日千秋の思いで待ち続けたという。多くの人々が緒戦の勝ち戦に熱狂し、反対意見を「非国民」と叫んでかき消した。軍部が権力を握り続け、軍国主義教育が徹底され、市井の人々までがその片棒を担いだ。揚げ句の果てに敗戦。300万人が犠牲となり、人心は荒廃した。

 野中は世の中が「一色に染まる」ことの怖さを知った。自らも軍国主義に染まったことに苦しんだ。そして戦争責任者を憎んだ。戦時中首相を務めた東条英機の暗殺も試みた。実際に、そのために上京したとみられる仲間を1人失った。後にその死を知った野中は、こう語っている。

 「これは今、心残りですよ。知っておればね、私も宮城前で腹切ったんじゃないですかね」

 復員後、野中は民主主義を学び、広げようと青年団活動に没頭した。そして弱冠26歳で、生まれ故郷である京都は園部町(現南丹市)の町議に当選し、長きにわたる政治家人生をスタートさせた。

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