2007年10月11日の内藤大助戦で、亀田大毅の作戦は明白だった。顔面をガードで固めて接近戦に持ち込み、得意のフックとボディーで仕留める。自らを「子ども」と卑下していても、大毅のパワーは並外れている。直撃を受ければ内藤もただでは済まない。
だが、プロ35戦目の王者は冷静だった。顔をガードすれば腹が空く。内藤はフェイントを織り交ぜながら、左右のボディーを的確にヒットさせる。試合運びには、明らかに経験と技量の差が出ていた。
やがて、18歳の焦りが爆発した。倒れ込んだすきに太ももを打つ反則や、グローブの親指部分で目を突く「サミング」を繰り返す。セコンドについて父親の亀田史郎氏、長兄の亀田興毅(亀田、当時は協栄)までが、大毅に反則を指示したとされている。最終12ラウンドにはレスリングのように王者を持ち上げて投げ捨て、結局、試合まで投げることになった。
当然のように、試合は王者・内藤の大差判定勝利。あいさつもなしに、無言のまま引き上げる大毅。キャリア11戦目の大毅には、敗れた経験も勝者を称えた経験もなかった。(2009/11/24)
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