近代オリンピックとその時代

はだしの英雄アベベ

第17回ローマ(1960年)
 最終日に行われたマラソンで、レース前はまったくの無名だったアベベ(エチオピア)がはだしで走り、優勝をさらった。古代ローマ時代の主要街道の一つであるアッピア街道を走る片道コース。石畳のところもあり、並みの人間ならとてもはだしで走れるものではなかった。優勝タイムは2時間15分16秒0の世界記録。観衆はスーパースターの出現にど肝を抜かれた。アベベは1964年東京大会で史上初の連覇を達成したが、1969年に交通事故を起こして下半身不随となり、その後遺症がもとで1973年に死去した。
 男子体操で日本が初の団体総合優勝、その後の五輪と世界選手権で10連覇という輝かしい「体操ニッポン」のスタートとなった。自転車ロードレースでデンマークの選手が競技中に死亡し、興奮剤を使用していたことが判明。オリンピックでドーピング(薬物不正使用)が明るみに出た最初のケースで、この事件をきっかけにIOCはドーピング対策に乗り出し、第19回のメキシコ市大会からは具体的な薬物を示して規制をするようになった。

 【その時世界は】
 1月、日米新安全保障条約が調印された。米国による日本防衛の見返りに、日本が米国の軍事体制に組み込まれることになったとして学生らが大規模抗議行動に。6月、国会内に突入したデモ隊と警官隊が衝突、東大生の樺美智子さんが死亡した。 2年前に東京タワーが完成したこともあり本格的なテレビ時代に。60年にはカラー放送も始まった。米国では43歳のケネディ氏が大統領に当選。初のテレビ討論が勝敗を分けたとされた。
〔主要参考資料〕近代オリンピック100年の歩み(ベースボールマガジン社)、最新スポーツ大事典(大修館書店)、オリンピックの事典(三省堂)、国際オリンピック委員会の百年(IOC)、日録20世紀(講談社)、JOCホームページ

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