近代オリンピックとその時代

第2次世界大戦での空白

第12回東京(1940年=中止)、第13回ロンドン(1944年=中止)
 第12回大会は1936年のベルリンでの国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京がヘルシンキ(フィンランド)を36対27で破り開催地に選ばれた。開催年の1940年は、皇紀2600年に当たることから、日本中がこの朗報に沸いた。しかし、1937年の蘆溝橋事件に端を発した日中戦争の拡大とともに軍部の発言力は増し、政府は1938年7月に「五輪開催の中止」を勧告、組織委員会もこれを受諾して大会返上を申し入れた。 IOCは代替開催地にヘルシンキを選んだが、ソ連のフィンランド侵攻で開催不可能となり、結局、第12回大会は中止された。
 五輪開催への希望を捨てないIOCは1939年、第13回大会の開催地にロンドンを選んだが、その直後にドイツ軍のポーランド侵攻により、第2次世界大戦がぼっ発。英国とフランスがドイツに宣戦布告するなど戦火は全欧州に広がり、ロンドン大会も中止となった。

 【その時世界は】
 五輪空白の12年間はまさに戦乱の時代だった。厭戦気分が広がるなか、ヒトラーを茶化したチャップリンの「独裁者」(1940年)が人気を集めた。この混乱期の最後に米国で開発され、後々の世界に大きな影響を与えることになったのが原子力とコンピューターだろう。前者は45年に原子爆弾という形で実用化され、後者は46年にペンシルベニア大学で誕生、「ENIAC」と命名され、弾道計算などに利用された。
〔主要参考資料〕近代オリンピック100年の歩み(ベースボールマガジン社)、最新スポーツ大事典(大修館書店)、オリンピックの事典(三省堂)、国際オリンピック委員会の百年(IOC)、日録20世紀(講談社)、JOCホームページ

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