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岩崎弥太郎特集/坂本龍馬特集

岩崎弥太郎の人生とゆかりの地

東洋の海上王、岩崎弥太郎の人生

日本の実業家で三菱財閥の創業者。1834年、父弥次郎、母美和の長男として土佐国(高知県)に生まれる。14歳で十三代藩主であった山内豊熙(とよてる)に漢詩を献じ、書を講じて褒美をもらう程の秀才だったと言われている。
 21歳の時に江戸へ遊学し安積艮斉に入門するが、1856年に、酒席の喧嘩がもとで父親が投獄されたのをきっかけに、帰省。あまりに激しい免罪の訴えが奉行所の怒りを買い、本人も投獄される。安芸郡を追放された彼は吉田東洋と出会い、その後、東洋の後を受け継いだ後藤象二郎の下で、弥太郎は次々に才覚を発揮する。
 長崎に設立した土佐商会で腕をふるった後、1873年(明治6年)三菱商会を設立。以前に長崎で坂本龍馬から得た示唆により海運業に着眼し、幕末から続く諸外国の汽船会社などとの激しい戦いを制し、"東洋の海上王"と異名をとるようになった。
1878年(明治11年)、大久保利通が暗殺され(紀尾井坂の変)、1881年(明治14年)には大隈重信が失脚し、弥太郎は強力な後援者を失う。1882年7月には、三井財閥などの反三菱財閥勢力が投資しあい共同運輸会社を設立して海運業を独占していた三菱に対抗。三菱と共同運輸との海運業をめぐる戦いは2年間も続き、運賃が競争開始以前の10分の1にまで引き下げられるというすさまじさだったという。 こうしたライバルとの競争の最中、1885年(明治18年)2月7日、弥太郎は50歳で病死した。


岩崎弥太郎

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