同年7月、大阪球場を含めた南海難波駅の南側を中心とする約13ヘクタールの再開発を目指し、南海電鉄や高島屋など5社が「難波地区開発協議会」を設立。南海沿線の大阪・泉州沖で6年に開港する関西国際空港を念頭に、難波を「大阪の玄関口」にする構想を掲げた。
しかし景気低迷は長引き、球場の解体工事が始まったのは10年。再開発事業の第1期は15年、第2期は19年に完成した。
30階建てのオフィスビルに大型ショッピングセンター、緑を配した約1万1500平方メートルの屋上公園、映画館…。「なんばパークス」と名付けられたまちには、開発には総額790億円が投じられた。
「20年越しの悲願」だったと南海電鉄の山中諄(まこと)会長は言う。
都市部の駅は、時代の流れに沿って姿を変えながら、まちに活気を吹き込んできた。開発は鉄道会社の力の見せ所だ。
最近では、阪急西宮スタジアム跡地(兵庫県西宮市)が大型商業施設「阪急西宮ガーデンズ」となり、JR大阪駅北側の貨物ヤード跡地には複合ビル群「グランフロント大阪」が建設され、個性を競い合っている。魅力を維持し発信していくことも重要な課題だ。