ソフトめん。
横浜で生まれ育った45歳の筆者にとっては、給食でなじみのある食べ物。
幼い頃から麺好きだった私は、月に数回あったソフトめんがメニューに入る日が来ると、小躍りしたものだ。
小学校を卒業するとソフトめんを食べる機会はなくなり(横浜市は中学校給食がない)、社会の荒波にもまれるようになってからは、その存在すら忘れつつあった。
うどんでもなければ中華麺でもなく、パスタでもない、あの独特な食感と風味。
袋のまま皿にのせて提供され、開封するとほのかな温もりと小麦粉の香りを放つ。
他の麺類と同じ小麦粉を用いているのだと思うが、一線を画した食感、味わい。
原材料が違うのか、製法自体が違うのか。
そもそも「ソフトめん」とはいったい何なのか。
ソフトめんの製麺所を取材してみたい。
ソフトめんの製麺所はどこにあるのか?
早速横浜近郊でソフトめんを製造する製麺所を調べたが、なかなか見つからない。
近年はニュースやSNSでも定期的にソフトめんが話題に上がり、盛り上がりを見せているが、地域によってはメニューに出る頻度が減ったり、あるいはメニューから姿を消しているようで、全国的にも減少傾向にあるようだ。
検索範囲を神奈川県外まで広げ、製麺所を探していく。
ホームページやSNSなどを持つ製麺所が少ないこともある中で、Instagramで定期的に情報を発信している製麺所を見つけた。
早速連絡を取り、取材させていただくこととなった。
「ソフトめんは、早朝の5時ごろから作り始めているのでぜひ来てください」
羽山商店の店主・羽山義孝さんの言葉通り、朝5時に現地へ。
1941年創業と、その歴史は80年を超える。「学校給食指定工場」と記載されている看板もワクワク感を高めてくれる。
一般向けに直売店も併設しているようだ。
これがソフトめんの製造工程だ!
工場を訪ねると、既に羽山さんはご夫人と共にソフトめんの製造を始めていた。
まずは強力粉を50kg、水を17リットル、さらに全体の1.5%の塩を機械に投入する。材料はシンプルだ。
1回の練りで約500食作ることができる。この日は学校給食だけで2,500食以上の注文が入っているので、それに合わせて練りを繰り返していく。
生地がまとめられ(これを「混合」という)、ロール機へ送られていく。
「複合」という工程においてロールされた麺帯。このままだと生地内のグルテンが引き締まって生地を傷める恐れがあるため、いったん生地を休ませる。
生地が弛緩(しかん)したところで、さらに薄く延ばしていく(これを「圧延」という)。
そして別の機械に移され、麺の形に切り出されていく。
麺の断面の形状は切り刃によって決まるが、ソフトめんは円形。
これがソフトめんの生麺だ。なかなかお目にかかれる機会はないだろう。
次々と切り出される生麺を「ばんじゅう(輸送用の薄型コンテナ)」に収め、その都度ゆで場へ運ばれていく。
ゆで場のある部屋には、配送先となる学校の各クラスごとの保温コンテナがずらりと並ぶ。あの頃をなんとなく思い出す。
3年2組は33袋。焼津近辺の生徒たちは、ソフトめんが大好きなのだろうか、楽しみにしているのだろうか。
ソフトめんをゆでる作業が始まる。この機械では約7分ゆでると自動的にざるが上がり、冷水に投入されていく。
冷水によって冷まされたソフトめんを包装する前に、羽山さんから学校給食用麺の重量規格表を見せてもらった。
学年ごとに量が違うのが興味深い。この日は全て中学生向けなので、作る量が多いのだ。
ソフトめんは包装機へ移動され、小分けされていく。
包装されたソフトめん。まだこれで完成ではない。
「ゆでたてを食べてみてください」と羽山さんから麺を渡されて一口いただく。
……ツルッとしてコシのある食感は、ほぼ「うどん」である。これはこれでおいしいのだが……。
もう何日も前から筆者の頭の中はソフトめん一色になっていたので、「うどんのようなもの」であることに、違和感を抱いてしまった。
せっかく朝早くから工場を見せていただいているのに、少々不安になった。
ソフトめん作りの神髄は「蒸熱(じょうねつ)」にあった
まだ何も分かっていない筆者の不安をよそに、ソフトめんはどんどんゆで上がり、包装されていく。
包装されたソフトめんには、次なるステージが待っていた。
「蒸熱殺菌庫」と呼ばれる機械に移動され、ソフトめんの殺菌処理が行われる。
この工程によって、「うどんのようなもの」が「ソフトめん」へと変貌していくのだ。
殺菌処理は、衛生面はもちろんのこと、冷蔵で10日間保存できるようになるといったメリットがあるが、この工程では麺を蒸し上げることになる。
ゆでたての麺を蒸すことで麺の中心(芯)までしっかり水分が浸透し、「ソフトめん」の名の通りソフトな食感に仕上がっていくのだ。
後から出勤した従業員が「自記温度計」と呼ばれるものを見ながらバルブを調整し、時計を見て何かを判断している。
はたから見ているだけではさっぱり分からないが、職人技なのだろう。なんか憧れる。カッコいい。
80~90℃の間で15分間殺菌する。
・・・
15分後……とうとう出来上がったようだ!
出来たてのソフトめん。袋はパンパンに膨れ上がっている。
出来上がったソフトめんは、コンテナに記載された数に合わせて詰め込まれていく。
詰め終わったコンテナから店前に出され、出荷を待つ。
屋号が記載されたハイエースに詰め込まれる頃、外では生徒たちが通学を始めている。
みんな、今日はソフトめんの日だよ!
限られた日時、限られた製麺所だけが今なお作り続ける
膨大な量のソフトめんの製造を終えてからもその他の作業をこなし、気付けばお昼前。
ひと段落した羽山さんに話を伺う。
——今日は貴重な現場を見させていただき、ありがとうございました。ソフトめんの製造はとても壮絶でした。
羽山さん:今日は、全部で6校の中学校へ向けたソフトめんの製造でした。さっき学校給食の重量規格表をお見せしましたが、中学生向けは一番量が多いのでたくさん作らなければなりませんでした。
——6校回る配送ルートの時間も考慮しなければならないと思います。
羽山さん:そうです、給食の時間前には納品しておかねばならないので、全ての工程を逆算して製造を始めないといけません。とにかく時間に追われます。
——その雰囲気はひしひしと伝わってきました。朝5時前から製造を始めているのも納得です。
羽山さん:朝3時半に起きて、少しずつ始めていますね。
——生徒たちがお昼に食べているソフトめんには、そんな背景があったのですね!
——羽山商店の創業は1941年と歴史がありますが、ソフトめんはいつ作られるようになったのでしょうか。
羽山さん:1969年からと記憶しています。静岡県の「学校給食めん指定工場」となったのがちょうどその頃です。
▲店内に飾られる「静岡県学校給食めん指定工場」のプレート
——ソフトめんは、現在どのようなスケジュールで作られているのでしょうか。
羽山さん:毎月の学校給食のスケジュールに合わせて、その月の製造スケジュールが決まります。今月(6月)は全部で4回ですね。
▲工場内に貼り出された、学校給食向けソフトめん製造スケジュール。中華麺のスケジュールもある。
——1969年から製造しているとのことですが、ソフトめんの需要は昔と変わりましたか。
羽山さん:全体的には減っていると思います。小麦粉消費が奨励されていた時代から、米飯食が奨励される時代となったことも大きいですね。
——製麺業者自体も減少しているのでしょうか。
羽山さん:かつてはわれわれも含め家族経営の製麺所が多かったのですが、大手製麺業者が安く大量に店頭に並べるようになってからは、徐々に減っていると思います。
▲羽山商店の代表的商品の一つ、餃子の皮(118円/1袋/20枚入り)。地元の中華料理店からのアドバイスによって米粉やラードを配合して作られ、歯切れが良く口溶けも良い
——製麺業者の廃業が続く中で、羽山商店が80年以上続いている秘訣はなんでしょうか。
羽山さん:大手には販売価格や製造キャパシティなどでどうしてもかなわない部分がありますが、地元のお店のアドバイスをもらったりしながら求められるものを忠実に作り続けたことで、焼津の土地になじんでいったんだと思います。
▲深蒸しでおいしそうな茶色に仕上がった羽山商店の焼きそば(97円)。古くから地元の中華料理店や駄菓子屋などで使われてきた
——静岡県の麺文化にはどんなものがありますか。
羽山さん:静岡全体で言えば、今は「富士宮やきそば」が全国的に有名ですね。私の少年時代には焼津市内でも富士宮やきそばのように、駄菓子屋などで焼きそばを提供する文化があったんですよ。
ソフトめんとはそもそも何なのか?
▲販売用のソフトめん(97円)
——話をソフトめんに戻します。ソフトめんはなぜ学校給食で提供されるようになったのでしょうか。
羽山さん:もともとは給食のメニューとして開発されたものです。かつては「学給粉」という、栄養バランスを考慮してビタミンなどが配合された学校給食用の小麦粉が支給され、それでソフトめんを製造していました。
——小麦粉が支給されていたのですか?
羽山さん:そうです。粉はタダで入ってくるので、ソフトめんにする加工賃だけを頂いていました。
——その学給粉は、ソフトめん用に配合されたものですか?
羽山さん:いえ、もともとはパンを製造するための粉です。戦後、国が小麦粉の消費を促していたため学校給食はパン食が中心でしたが、1960年代半ばからもっとバリエーションを増やすべく、「その粉で麺を開発しよう」となって生まれたのがソフトめんです。
——なるほど。学給粉は同じものが製パン業者へ行けば「パン」となり、製麺業者へ行けば「ソフトめん」になるのですね。
▲現在は学給粉を使用していないが、羽山商店の倉庫にはかつての名残で学給粉置き場が残っている
——現在は、学給粉の支給はないのでしょうか。
羽山さん:支給自体はなく、各製麺所で粉を調達するようになりました。他県の製麺所では学給粉を使用しているところもあるのかもしれませんが、うちでは強力粉に切り替えています。
——学給粉同様にビタミンを添加することもないのでしょうか。
羽山さん:定かではないのですが、先代の時にビタミンによる反応で麺に黄色い点ができたのが見つかって、「異物ではないか」というクレームがあったらしいのです。
それで羽山商店ではビタミンの添加をやめたと聞いています。ビタミン添加をやめても大きく味や風味が変わるわけでもないので。
——ソフトめんは関東・東海・中国地方などで知名度が高いようですが、静岡県内ではどのように食べられているのでしょうか。
羽山さん:地域によって食べ方が異なるのかどうかは分かりません。われわれの作ったソフトめんについては静岡県の給食センターがメニューを作っていて、ミートソースをかけたりカレーをかけたりして食べられています。
▲工場直売店でのメニュー表。ソフトめんはいろいろな用途で楽しめる(画像提供:有限会社羽山商店)
——羽山商店おすすめの、ソフトめんの食べ方はありますか?
羽山さん:やはりナポリタンにしたり、ミートソースやカレーをかけていただくのは定番ですが、麺を食べやすい長さにちぎってマヨネーズなどを和えてサラダにするとおいしいですよ!
——羽山商店では学校給食以外でもソフトめんの一般販売も行っているとのことですが、どのようなところに卸しているのでしょうか。
羽山さん:最近は40代くらいのお客さんがソフトめんを懐かしがってくださるようで、学校給食をコンセプトにした飲食店はもちろん、静岡県内のスーパーマーケットでも販売していただいております。
購入したソフトめんでナポリタンなどを作ってみた
羽山さんに教えてもらい、焼津駅の北側にあるスーパーマーケットでソフトめんを購入した。商品には「トマトルー」も添付されており、具材をそろえたら簡単にナポリタンを作ることができる。
自宅にてナポリタンを作ってみた。
冷蔵状態だと麺がほぐれにくいので、麺を袋のまま数分湯通しして温めた。
玉ネギ、ピーマン、マッシュルームとウインナーを炒めたフライパンにソフトめんを投入し、トマトルーをかけてなじませる。
「懐かしのナポリタン」の味わいを、いとも簡単に作ることができた。
せっかく入手したソフトめんをもっといろいろな食べ方で楽しみたいので、袋のまま湯通ししたソフトめんに市販のレトルトミートソースをかけてみた。
一般的なパスタよりも、ソフトめんはソースの吸い込みが強く、麺とソースがしっかりなじんでいる。
そしてこちらも、レトルトのカレーをかけただけ。
ミートソース同様、カレーが麺に絡んでいる部分と、カレーがかかっていない部分との違いを味わう楽しさがある。
個人的にはこれが一番グッときた。思えば筆者にとって、ソフトめん×カレーのコラボレーションこそが、わが学校給食最大の思い出だということに気付いた。
カレーの香りと、ソフトめん独特の蒸し上がった小麦粉の香りが相まった瞬間、給食の早食いを競ったこと、鉄棒の逆上がりが苦手だったこと、クラスメイトのアイツやコイツ、よく𠮟られた先生の顔が思い浮かぶ。
ソフトめんの「温もり」の正体
▲「焼津の麺をもっと全国に発信したいんです!」と自社商品を手に熱く語る羽山義孝さん
ソフトめん。
45歳の筆者は、改めてその食文化に触れることで、いろいろなことが分かった。
主食のバリエーションを増やすべく、パン用の小麦粉で開発されたこと。
殺菌処理という工程において、ゆで麺がよりソフトに仕上がっていくこと。
町の製麺所が朝早くから作り続けて、その食文化を守ろうとしているということ。
今一度、思い出してはいただけないだろうか。
ソフトめんの袋の内側に付着した水滴を、そして開封時のあのほのかな温もりを。
それは、ソフトめんをソフトめんたらしめるゆえんである「蒸熱」殺菌によるものと同時に、作り手の「情熱」も込められた温もりだったのだ。
お店情報
麺家(めんや)/有限会社羽山商店 ※直売店
住所:静岡県焼津市栄町1丁目12-7
電話:054-628-2349
営業時間:7:00〜18:00
定休日:火曜日、日曜日
https://www.instagram.com/hayama_men/
書いた人:田中健介
横浜発祥と言われるスパゲッティナポリタンを愛し、2009年より「日本ナポリタン学会」会長として、横浜を中心にナポリタンの面白さを発信する。著書に「麺食力-めんくいりょく-」(2010年、ビズ・アップロード)、連載に「はま太郎」(星羊社)の「ナポリタンボウ」(2017年〜)など。