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徳川幕府とゆかりのあることで広く知られている、東京都千代田区の「江戸城」。現在の皇居に位置していた江戸城は、日本の歴史を語る上でも欠かせないお城のひとつです。近年では、東京観光の定番スポットのひとつにも挙げられており、日々多くの観光客で賑わっています。江戸城の歴史や見どころの他、江戸城周辺でおすすめの観光施設についても紹介しているので参考にして下さい。

安賀川 国光と桃原 ふね
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江戸城の歴史と観光ガイド

江戸城の歴史と観光ガイド

日本経済の中心地である東京都。観光地も数多くあり、毎日多くの観光客が東京都を訪れています。その観光地の中のひとつ、江戸城跡皇居は東京駅からも近く、国内外からたくさんの観光客が訪れる観光スポットとして有名です。ここでは、そんな江戸城(別名 江城、千代田城)と皇居に関する情報を紹介。概要など基礎知識の他、江戸城の歴史、見どころなども一緒に解説していきます。また、周辺施設に関する情報も併せて紹介しているので、江戸城観光のガイドブックとしても利用して下さい。

江戸城の基礎知識~概要

江戸城の基礎知識~概要

東京駅からすぐ近く、現在の皇居がある場所には、徳川家の居城でもあった江戸城が存在していました。日本の歴史に残る出来事が起こった場所が、現在も国の重要行事を行なう場所として使用されているのは、江戸城のみになります。その規模は城郭としては日本最大級の大きさであり、敷地は外郭周囲約15.7km・東西約5.45km・南北約3.82km・面積約2,082ha。内郭についても、周囲約7.85km・東西約2.29km・南北1.85km・面積約424.8haといった桁違いのスケールを誇っています。

江戸城とは?

徳川家の居城として広く認知されており、徳川幕府の政治的拠点にもなっていた江戸城。別名・千代田城とも呼ばれています。「大都市江戸」と徳川将軍家の「権力」を象徴する唯一無二の建造物でしたが、築城後の度重なる火災によって、天守閣をはじめとする多くの建造物が焼失してしまいました。

しかし現在では、皇居外苑に含まれる濠、及び宮内庁管理の東御苑の一部が「特別史跡江戸城」として文化財保護に指定されており、国内外で人気の観光スポットになっています。

江戸城と天下普請

天下普請(てんかぶしん)は、「徳川家康」(とくがわいえやす)によって実施された政策のひとつです。政策は徳川幕府が主導で、全国の諸大名に命令し江戸城を中心に土木工事を行なわせるというもので、政治的な意味合いが強かったものだと言われています。豪華絢爛で巨大な江戸城へと発展したのもこの政策が実施されたことに起因します。また、江戸城だけでなく、道路整備河川工事なども同時に実施されたため、大都市江戸としても大きく発展を遂げることになりました。一説によると、徳川家康による天下普請が行なわれるまでの江戸城は、地味なお城だったと言われています。

江戸城の今

1868年(明治元年)に江戸城は開城され、徳川家から新政府東征軍への明け渡しが行なわれています。その後、明治天皇以降、皇居として利用され始めました。皇居内には、皇居東御苑といった一般公開されている庭園の他、天皇皇后両陛下の御住居である御所、御公務や諸儀式で使用される宮殿、宮内庁などが建設されており、江戸城時代の城門についても国の重要文化財として保存されています。

近年では観光スポットとしてだけでなく、皇居外周を利用してランニングを行なう「皇居ラン」という言葉が誕生するほどの人気エリアとなりました。

江戸城の歴史

江戸城の歴史

ここでは、江戸城の歴史を辿りながら、江戸城とかかわりの深い人物や出来事について紹介します。江戸城築城までの歴史と併せて、「大奥」「江戸の三大大火」「江戸無血開城」など知っておきたい江戸城の豆知識を確認してみて下さい。

江戸城ができるまで

江戸城は、1457年(長禄元年)に上杉家家臣・「太田道灌」(おおたどうかん)によって築城。今の皇居内に現存している「道灌壕」(どうかんぼり)は、彼の遺構であると考えられています。

また、当時の江戸城には石垣はなく、土塁と三重構造の堀のみが構築されていました。その後、太田道灌は1486年(文明18年)に暗殺されるまでを江戸城城主として治め、徳川家康が城主となるまで太田氏・扇谷上杉氏・北条氏などの武将が江戸城に入城しています。

江戸城と徳川家

江戸城発展のきっかけになったのが、徳川家康です。1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで勝利した家康は、1603年(慶長8年)には江戸城を拠点とした江戸幕府を開設。それと同時に江戸城の「天下普請」を大規模に進め、日本一と言われるほどの規模にまで築き上げています。家康の死後も徳川家による江戸城の拡張・整備は行なわれており、天守閣をはじめとする歴史遺産も構築されました。

女の修羅場「大奥」

現在の本丸天守台跡の南側一帯には「大奥」(おおおく)が置かれ、敷地内には1,000人以上もの女性が暮らしていたと考えられています。

大奥とは、将軍の身の回りの世話をする女中の居所(いどころ:住まい)のことであり、女中たちは職制によって区分され、役職に応じて仕事内容も異なっていました。また、大奥は原則、将軍以外の男性の立ち入りは禁止。それ故に大奥の女中の間では、将軍の正室や側室となり「玉の輿」を目指す女性同士の争いも少なくありませんでした。

江戸城「火事多発の謎」

歴史を振り返ってみても、江戸城は異常なほど火事が多発している城です。徳川幕府から江戸城開城に至るまで、約2~3年に1度のペースで大規模な火災に見舞われていました。

中でも、「明暦の大火」(めいれきのたいか)・「目黒行人坂の大火」(めぐろぎょうにんざかのたいか)・「柄寅の大火(文化3年の大火)」(ひのえとらのたいか)は総称して「江戸の三大大火」と呼ばれており、江戸城でも本丸や二の丸の他、天守閣といった象徴的な建造物まで火災で焼失しています。

明治維新「江戸無血開城」

江戸無血開城」(えどむけつかいじょう)とは、徳川幕府と明治新政府軍との間で行なわれた、江戸城明け渡しまでの一連の過程のことです。江戸城開城が血を流すことなく、「話し合い」のみで行なわれたことから「無血開城」と呼ばれています。約260年続いた徳川幕府の時代も、明治維新によって終わりを迎えたのでした。

江戸城の日本一たる所以

江戸城の日本一たる所以

徳川幕府の権力と繁栄のシンボルでもある「江戸城」。他の追随を許さないスケールで築城された江戸城には、ある「日本一」があることをご存じでしょうか。ここでは、江戸城が持つ「ふたつの日本一」について紹介しています。

規模が桁違いの「広さ」

圧倒的な規模と広さを誇る江戸城は、日本における築城の歴史を振り返ってみても類を見ない城郭です。江戸城の広大な敷地面積は大阪城約2倍の大きさの大名屋敷であったと考えられています。

他を圧倒する「門の数」

広大な敷地面積の他、城内に設置された「門の数」も日本一を誇り、中でも桜田門清水門田安門は重要文化財にも指定され、東京観光の定番としても有名です。

江戸城の見どころ

江戸城の見どころ

東京観光の定番にも挙げられる江戸城には、多くの建造物と見どころがあります。ここでは、江戸城の代表的な見どころを厳選して「6つ」紹介していきましょう。「大手門」や「桜田門」をはじめ、東京三大銅像のひとつ「楠木正成像」など、1度は耳にしたことのあるスポットもあるかもしれません。どれも江戸城観光では外せない名所ばかりです。

大手門

江戸城の正門であり、数多く存在する城内の門の中で最も重要な役割を持っていた大手門。かつて大手門は、将軍や朝廷の勅使(ちょくし:天皇の意思を伝達する使者)など、限られた人間しか通ることが許されない門でした。

また、枡形(ますがた)形式で建築されている大手門の内部には、狭間(さま)と呼ばれる兵の集合場所としても活用され、外敵に向けた銃の発砲も可能な穴が開いています。現在では、皇居東御苑の出入り口のひとつとして、多くの観光客が訪れる東京の観光名所です。

桜田門

1860年(安政7年/万延元年)3月3日に発生した江戸幕府大老・「井伊直弼」(いいなおすけ)暗殺事件、「桜田門外の変」で有名な枡形門です。小田原街道の始点でもあったことから、元々は小田原口とも呼ばれていました。現在では、国指定重要文化財に指定されており、東京観光では欠かせない歴史的建築物として人気を集めています。

二重橋

皇居に入るために渡る橋のことで、皇居前広場から内堀に架かっている「正門石橋」と、その奥に位置する「正門鉄橋」のふたつの橋を総称して、「二重橋」と呼ばれ始めました。基本的に通常は使用されていない橋であり、主に新年の一般参賀や宮中における公式行事の際に用いられています。

現在の二重橋は、1964年(昭和39年)6月に架け替えられたもので、別名は「二の橋」・「月見橋」。海外からの観光客にも人気のスポットのひとつで、皇居の反対側にある丸の内の高層ビルと歴史を感じさせるお堀のコントラストが見どころです。

天守閣跡

江戸城の天守閣は、1606年(慶長11年)の徳川家康から2代将軍・「徳川秀忠」(とくがわひでただ)、3代将軍・「徳川家光」(とくがわいえみつ)へと引き継がれ、将軍権力の象徴として将軍代替わりの際に築き直されました。

当時の天守閣は、地上約60m。石垣を含めると高さ約68mにも達するほどの大きさを誇っていたと記録されています。しかし、1657年(明暦3年)に発生した「明暦の大火」(めいれきのたいか)による火災で焼失。現在は、基礎部分の石垣のみが残されており、本丸と二の丸ともに整備が行なわれ皇居東御苑として一般公開されています。

楠木正成像(くすのきまさしげぞう)

上野・「西郷隆盛像」(さいごうたかもりぞう)と靖國・「大村益次郎像」(おおむらますじろうぞう)と並び、東京三大銅像のひとつに数えられている「楠木正成像」。二重橋を正面に望む外苑の一角に建てられた躍動感溢れるこの像は、1333年(正慶2年)、楠木正成が隠岐の島から戻った「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)を兵庫で迎えた時の騎馬姿がモデルになっています。

なお、楠木正成像は1891年(明治23年)に別子銅山開坑200年記念事業として、住友財閥の前身である住友家が東京美術学校(現、東京藝術大学)に製作を依頼し、10年もの期間を費やし完成しました。また、皇居に対して顔を背けるのは失礼であるという考えの下で制作されたため、正面から見て顔が反対側を向いている、という珍しい特徴も持っています。

富士見櫓

その名の通り、将軍が富士山をはじめ、秩父連山、筑波山、東京湾などの美しい景色を楽しむために建設された櫓です。皇居東御苑内、待合所としても使用されている講堂「窓明館」(そうめいかん)の西側に位置しており、高さ約16mの櫓はどの方向から見ても同じ形であるため、別名「八方正面の櫓」とも呼ばれています。

明暦の大火で天守閣が焼失したのち、その代わりとして活用された歴史的にも重要な現存建物です。もちろん、観光スポットとしても人気を博しており、2016年(平成28年)には富士見櫓前に広場も整備され、より櫓を間近で鑑賞できるようになりました。見どころでもある、優美な曲線を描いている南面の屋根は必見です。

【施設情報】

江戸城の観光情報

江戸城の観光情報

江戸城周辺には、誰もが知るような有名「神社」や「公園」の他、数多くのイベントやコンサートを開催している「野外音楽堂」などの観光スポットが点在しています。ここでは、江戸城観光と併せて訪れておきたい「5施設」をご紹介。

靖國神社

幕末・明治維新期の戦没者慰霊を目的として創建された「東京招魂社」(とうきょうしょうこんしゃ)が前身になっており、1879年(明治12年)に現在の「靖國神社」へ改名されました。明治維新のさきがけにもなった歴史人物や幕末志士をはじめ、戦争で命を落とした軍人、学生、従軍看護婦など、身分や性別、勲功の区別なく一律平等に祀られている神社です。

近年では、政治関連の話題で情報を耳にすることが多い靖國神社ですが、江戸城跡から徒歩圏内のため観光地としても人気。また、古くから桜の名所としても知られており、気象庁指定の桜の標本木も存在。春には約500本もの桜の木が見事に満開となり、多くの花見客と参詣者で賑わいます。

【施設情報】

日枝神社

古くから、江戸市民に「江戸郷の総氏神」や「江戸の産神」と呼ばれており、江戸の繁栄の礎を築いた鎮護(ちんご:国の平安を守ること)の神及び、守護神の神社として崇めたてられました。御祭神は、日本神話に登場する地主神・大山咋神(おおやまくいのかみ)。近年では、厄除け・縁結び・安産・商売繁盛・社運隆昌などの御利益があるとして多くの方に崇敬されています。

境内にある「宝物殿」には、国宝を含む重要文化財や重要美術品など徳川将軍家ゆかりの品を多数所蔵。2008年(平成20年)6月には日枝神社復興50年を記念して、緑青や藤黄、朱、群青などの天然岩絵具が色鮮やかな「社殿天井絵」が、境内中央部にある社殿に掲げられました。

【施設情報】

東京大神宮

皇室の御先祖の神として仰がれている三重県・伊勢神宮の御祭神、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と豊受大神(とようけのおおかみ)が祀られていることから、「東京のお伊勢さん」と称され親しまれている神社です。家内安全・商売繁盛・厄除開運・学業成就などの御利益があるとされており、特にも縁結びの神社として全国的に広く知られています。また、東京大神宮は神前結婚式の創始でもあり、宮中だけでなく一般家庭にも神前結婚式を普及させました。

現代においても創始された当時の伝統は受け継がれており、格式高い婚儀を挙げられる神社として多くの方に利用されています。各種祭典行事も毎月行なわれているため、春夏秋冬、いつ訪れても楽しめる東京観光にもおすすめの神社です。

【施設情報】

北の丸公園

皇居外苑の北側、「北の丸地区」に位置する森林公園です。名称はかつてこの場所が、江戸城・北の丸であったことに由来。また、その名は現在の町名にも用いられています。明治時代以降、この場所は皇居を守護することを目的とする部隊・「近衛師団」(このえしだん)の兵営地などに利用されていましたが、戦後に整備され、1969年(昭和44年)に散策や自然観察も可能な国民公園として広く一般公開されるようになりました。

「歴史と自然の森」としても親しまれており、園内には「東京国立近代美術館」、「日本武道館」、「科学技術館」、「国立公文書館」などの文化施設も併設。また、東京都内でも有数の桜の名所であり、公園を取り囲む「千鳥ヶ淵」と「牛ヶ淵」の斜面には八重桜やソメイヨシノをはじめとする約280本の桜の木が植えられています。ボート(有料)を借りて行なう水上桜鑑賞も、北の丸公園ならではの春の人気観光コースです。

【施設情報】
施設名:北の丸公園
所在地:〒102-0091 千代田区北の丸公園1-1
電話番号:03-3211-7878

日比谷公園

江戸城跡の南側に位置する都立公園・日比谷公園は、1903年(明治36年)に誕生した日本初の「近代的洋風公園」です。かつては、大名屋敷地や陸軍練兵場としても活用されていた場所でしたが、近年では、色鮮やかな季節の花を楽しめるビジネス街のオアシスとして、多くの人々の憩いの場になっています。

園内には公園のシンボルでもある「大噴水」や幾何学文様が特徴の洋風花壇「第一花壇」の他、テニスコート、貸切ガーデンウエディング会場「フェリーチェガーデン日比谷」などの施設も併設。

大小ふたつある野外音楽堂では、様々なイベントやコンサートも数多く開催されており、大音楽堂は「日比谷野音」(ひびややおん)の通称で全国的に知られています。また徒歩圏内には、国会議事堂東京駅銀座といった東京観光の定番スポットも点在。江戸城観光はもちろん、東京観光の際には一緒に訪れておきたい人気スポットのひとつです。

【施設情報】

※この記事は2019年(令和元年)12月時点の情報に基づいて作成されています。

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