森口祐子さんは高校3年生の時に父親にゴルフ練習場に連れられ、その面白さからゴルフを始めます。高校卒業後は、井上清次(いのうえせいじ)プロに師事し、そのわずか1年半後、20歳でプロテストに合格。プロゴルファーとしての道を歩み始めます。
そして23歳でツアー初優勝を果たし、1984年(昭和59年)に結婚。出産後の1985年(昭和60年)にツアー復帰すると、年間5勝という快挙を達成します。
1987年(昭和62年)には永久シード権を獲得するなど、出産後も変わらずパワフルなママさんプレーヤーとして活躍した、森口祐子さんの軌跡をご紹介します。
森口祐子
さんの主な戦績
日本女子ツアーの優勝実績(41回)
1994年エス・シー・レディスプロゴルフトーナメント、三越カップレディスオープン
1993年スタンレーレディスプロゴルフトーナメント
1992年コニカカップワールドレディス
1991年宝インビテーショナル、ヤクルトレディースゴルフトーナメント、スカイコートレディースゴルフトーナメント
1990年ミヤギテレビ杯女子オープンゴルフトーナメント、日本女子オープンゴルフ選手権競技
1989年anクイーンズ、ヤマハカップレディスオープン
1987年JLPGAレディーボーデンカップ、マツダジャパンクラシック
1985年JLPGAレディーボーデンカップ、ミヤギテレビ杯女子オープンゴルフトーナメント、いすゞレディースカップトーナメント、日本女子オープンゴルフ選手権競技、ミズノオープンゴルフトーナメント
1983年東北クイーンズ、三菱ファンタスレディスゴルフ、ヤクルトミルミルレディーストーナメント、東鳩レディスゴルフトーナメント
1982年エリエール女子オープンゴルフトーナメント、東北クイーンズ、JUNON女子オープン、徳島月の宮レディスオープンゴルフトーナメント
1981年JLPGAレディーボーデンカップ、美津濃ゴルフトーナメント、JUNON女子オープン、熊本中央レディスカップゴルフトーナメント、東北クイーンズ、ヤクルトミルミルレディーストーナメント
1980年いすゞレディースカップトーナメント、美津濃ゴルフトーナメント、広島女子オープンゴルフトーナメント
1979年パイオニアカップ、西海国立公園女子オープンゴルフトーナメント
1978年美津濃ゴルフトーナメント、ミヤギテレビ杯女子オープンゴルフトーナメント、日本女子プロゴルフ選手権大会、ワールドレディスゴルフトーナメント
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シニア(レジェンズツアー)の優勝実績
2012年レジェンズチャンピオンシップルートインカップ
森口祐子/
プロゴルフツアーの軌跡
1978年(昭和53年)・23歳
森口祐子さんは、1975年(昭和50年)にプロテストに唯一、一人だけ合格。翌1976年(昭和51年)にツアーデビューし、1978年(昭和53年)にツアー初優勝を飾ります。同年、ツアー3年目ながら年間4勝という素晴らしい成績を上げました。
ワールドレディス ゴルフトーナメント 優勝
森口祐子さんは「ワールドレディス ゴルフトーナメント」で、2位と1打差の通算5アンダーでプロ初優勝を果たします。
本大会は、日本、及び世界のトップ女子プロが競い合うゴルフトーナメントで、現在は「ワールドレディス チャンピオンシップ」に改称されています。
日本女子プロゴルフ選手権大会 優勝
初日を2アンダー、2位タイとした森口祐子さんでしたが、2日目はスコアを通算2アンダーにキープしたものの5位に後退。最終日、序盤からスコアを伸ばし、前半にスコア33で首位に立ちます。
後半では一時、首位を譲るものの、再び首位に返り咲き、通算7アンダーでホールアウト。
最終組、1打差で追う大迫たつ子(おおさこたつこ)さんがバーディを逃したことで、森口祐子さんの優勝が決定。女子メジャー大会での初優勝を飾りました。
なお、「日本プロゴルフ選手権大会」は、1968年(昭和43年)に第1回大会が開催された歴史ある女子プロゴルフトーナメントです。コニカミノルタの特別協賛で、日本国内の女子ゴルフトーナメントでは最高額の賞金となっています。
ミヤギテレビ杯女子オープンゴルフトーナメント 優勝
3アンダー、2位タイで迎えた最終日、2位と1打差の通算7アンダーで優勝。
ツアー3勝目を挙げました。
なお、本大会は宮城テレビ主催の日本女子プロゴルフ協会公認の女子ゴルフトーナメントで、今も宮城県にて開催されています。
1973年(昭和48年)に宮城テレビの開局3周年を記念して創設されました。
美津濃ゴルフトーナメント 優勝
初日を1アンダー、2位タイとした森口祐子さんは最終日、通算4アンダーに伸ばし優勝。ツアー4勝目を勝ち取りました。
1971年(昭和46年)に始まった「美津濃ゴルフトーナメント」は、当初男女同一会場で同時に開催されていましたが、1991年(平成3年)より男女を分けての開催となっています。
現在は「ミズノオープンレディーストーナメント」に改称されています。
1979~1984年(昭和54~59年)・24~29歳
森口祐子さんは1979年(昭和54年)以降も優勝回数を重ね、1981年(昭和56年)に6勝、1982年(昭和57年)に4勝を挙げ、2年連続で賞金ランキング2位を獲得するなど、着実に勝ち星を伸ばしていきました。
1984年(昭和59年)、同じ「岐阜関カントリー倶楽部」に所属していたトップアマの医師・関谷均さんと結婚し、同年に長男を出産。そして翌1985年(昭和60年)にゴルフツアーに復帰すると1994年(平成6年)まで「ママさんプレーヤー」として活躍。日本女子ツアーをけん引しました。
1985年(昭和60年)・30歳
1985年(昭和60年)にツアー復帰後、念願の「日本女子オープンゴルフ選手権競技」で優勝し、日本人選手としてツアー史上初の「ママさん優勝者」となりました。
この年は、産休明けとは思えないほどパワフルな活躍を見せ、怒涛の年間5勝を達成。出産前と変わらぬ活躍を見せます。
森口祐子さんはのちに、「出産後はゴルフをやめるつもりでいたが、夫から『能力に恵まれ、それを活かす社会があるのなら、やるべきではないか』という励ましを受け、復帰を決めた」と語っています。そして、ご主人の理解・協力を得て、元祖ママさんプレーヤーとして着実に歩みを進めていくのです。
ミズノオープンゴルフトーナメント 優勝
出産後、最初に優勝したツアーは「ミズノオープンゴルフトーナメント」でした。
最終日に通算3アンダー、1位タイで並んだ大迫たつ子さんとのプレーオフを制し、優勝。
森口祐子さんは同大会で4度目となる優勝を達成しました。
日本女子オープンゴルフ選手権競技 優勝
初日を1オーバー、8位タイで終えた森口祐子さんでしたが、2日目は通算4オーバー、18位タイと順位を落としてしまいます。
しかし3日目、通算1オーバー、6位タイまで巻き返し、迎えた最終日、2位と1打差の通算3アンダーで優勝。公式戦2冠を達成しました。
いすゞレディースカップトーナメント 優勝
初日、2アンダー、3位タイでスタートした森口祐子さんは2日目もスコアを伸ばし、通算4アンダー、1位タイとします。最終日は1打落としたものの逃げ切り、通算3アンダーで優勝しました。
ミヤギテレビ杯女子オープンゴルフトーナメント 優勝
森口祐子さんは初日を2アンダー、2位タイにつけますが、2日目は通算5オーバー、9位タイと崩れてしまいます。しかし最終日、巻き返しを図り、通算1アンダーで優勝。森口祐子さんだけが唯一、アンダーをマークした大会でした。
JLPGAレディーボーデンカップ 優勝
初日を5アンダー、単独首位で終えた森口祐子さんでしたが、2日目は1打落とし、初日に単独2位につけていた陳麗英(チン・レイエイ)さんに逆転されてしまいます。
そして迎えた最終日、森口祐子さんと陳麗英さんとの間で攻防が繰り広げられ、2位と1打差の通算6アンダーで森口祐子さんが優勝しました。
1987年(昭和62年)・32歳
森口祐子さんは1986年(昭和61年)に2度目の産休に入りましたが、1987年(昭和62年)に復帰。通算30勝を達成し、永久シード権を獲得しました。
JLPGAレディーボーデンカップ 優勝
4アンダー、単独2位でスタートした2日目、森口祐子さんはさらにスコアを伸ばし、2位と5打差をつけて通算7アンダー、単独首位に立ちます。最終日も好調にスコアを伸ばし、2位と7打差の通算8アンダーで優勝。圧倒的な強さを見せつけ、通算30勝を達成しました。
1989~1994年(昭和64年/平成元年~平成6年)・34~39歳
1989年(昭和64年)以降も勝利を積み重ねた森口祐子さんは、1994年(平成6年)の「三越カップレディスオープン」で優勝し、ツアー通算40勝を達成します。そして同年、「エス・シー・レディス プロゴルフトーナメント」で優勝し、自身が持つツアー通算41勝に到達しました。
三越カップレディスオープン 優勝
森口祐子さんは初日を4オーバーの41位タイ、2日目を通算4オーバーの11タイ、とスコアをキープしたまま順位を伸ばし、3日目に通算1オーバー、単独1位に躍り出ます。
迎えた最終日、通算1アンダーで福嶋晃子(ふくしまあきこ)さんと並び、プレーオフにもつれ込みましたが、森口祐子さんが優勝。ツアー通算40勝を達成しました。
エス・シー・レディス プロゴルフトーナメント 優勝
初日を5アンダーの2位とした森口祐子さん。2日目はイーブンパーで終え、通算5アンダーの4位につけました。最終日は巻き返しを図り、通算6アンダーで首位に躍り出ます。
ホールアウト後、橋本愛子(はしもとあいこ)さんとのプレーオフで決着をつけることになりましたが、森口祐子さんに勝利の女神が舞い降り、自身が持つツアー通算41勝を記録しました。
1995年~(平成7年)・40歳~
森口祐子さんは1995年(平成7年)頃からの体調不良により、徐々にレギュラーツアーへの出場数が減少。それでも2012年(平成24年)にはシニアツアーの「LPGAレジェンズチャンピオンシップ ルートインカップ」で優勝を果たします。さらに、2014年(平成26年)に出場した「ダイキンオーキッド」では、58歳328日というツアー最年長出場記録を更新。
その後はツアー解説者として活躍の場を広げ、2019年(平成31年)には「日本プロゴルフ殿堂」のプレイヤー部門で中嶋常幸(なかじまつねゆき)さんと共に、殿堂入りを果たしました。
LPGAレジェンズチャンピオンシップ ルートインカップ 優勝
初日、2日目と首位タイを守り続けた森口祐子さんは、最終日に通算7アンダーでレジェンズ(シニア)ツアー初優勝を果たします。1994年(平成6年)のレギュラーツアー「エス・シー・レディス プロゴルフトーナメント」での優勝以来、18年ぶりの勝利を飾りました。