往来遮る鉄の門 心にも壁/幹線道の再生まだ遠く


 インド、パキスタン両国民の自由な往来を阻んでいるワガ・アタ リ国境は、パキスタン第二の都市ラホールとシーク教徒のメッカと して知られるインドのアムリツァルの中間にある。

 肥沃なパンジャブ地方に位置し、周辺は両国にとっての一大穀倉 地帯。一九四七年まで続いた英国植民地下のインド亜大陸時代、西 はペシャワールから東はカルカッタへ至る大動脈の中心として、 人、物、情報が豊穣(じょう)の地を行き交った。

 それから半世紀。分離独立した印パ両国を結ぶこの国境は、二つ の国が認知し合った「国際国境」でありながら、三度の戦争など絶 えぬ紛争の影響を受け、両国民の行き来を閉ざしてきた。

 インドとパキスタン側に設けた頑丈な二つの鉄のゲート。そこを 通過できるのは、ワガ・アタリ国境通過の特別許可を得た入国ビザ を持つ外国人だけ。インド、パキスタン国民は、一九八〇年代半ば 以来、ラホール―アムリツァル間に週一回(現三回)運行されるよ うになった列車によってのみ相手国の訪問が許される。

 アラビア海から中国国境に至る二千キロ以上に及ぶ印パ国境。その 長さは、広島から北海道をはるか越えオホーツク海に達する。

 多くの親類や知人を互いに持つ印パの間柄。しかし、両国民にと って、限られた空路と海路、そしてこの国際列車を除けば、道路を 利用しての往来はまだ開けていない。
 ラホールとアムリツァルからワガ・アタリ国境まで約三十キロ。車 で三十分もあれば、どちらからも国境に達する。九月にインド側か ら、十一月にパキスタン側から訪ねた。

 毎日、日の入り時になると、両国国境警備隊による国旗の「降納 式」が勇壮に執り行なわれる。そのセレモニーを一目見ようと、子 どもから大人まで両国の多くの市民が、夕方になるとバスなどで訪 れる。

 約二十分の儀式。その間、鉄のゲートが開き、人々は両国の近さ を肌で感じる。

 「パキスタンへ行ってみたい」と、グループでやって来たインド の女子高校生たちは、好奇あふれる目で国境の向こうを見やってい た。  同じ儀式を見学にやって来たパキスタンの十代の子どもたち。彼 らが抱くインドのイメージは、概して否定的である。

 「インド人を好きな子どもはいない。カシミールの兄弟たちにひ どいことをしているんだから…」。日本人と知って記念写真を求め る少年たちと話していると、そばから引率の先生が言ったものだ。

 パキスタンとインドの独立を祝う昨年八月十四日から十五日にか けての深夜、インド人のジャーナリストや作家、学者、弁護士ら約 百人が、ワガ・アタリ国境に集い、ローソクをともしパキスタンの 人々に友情と平和を呼び掛けた。平和行動への相手側からの応答は なかった。しかし、パキスタン側にも、早くこの国境を開きたいと 望む人たちは少なくない。

 両国は、ジャムー・カシミール地方の印パ暫定国境(支配ライ ン)を挟み、今も戦闘を続ける。カシミール問題の解決はまだ見え てこない。

 しかし、いつの日かその問題が解決される時、ワガ・アタリ国境 は再び人、物、情報が行き交う、両国にとって最も重要な幹線道路 としてよみがえるだろう。

(文と写真・田城 明編集委員)



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