モナコのアルベール2世大公が、母グレース公妃と父レーニエ3世大公のおとぎ話のような出会いに関する新たな事実を明らかにした。
アルベール大公は『パリ・マッチ』誌のインタビューに対し、アメリカの女優グレース・ケリーが1955年のカンヌ国際映画祭に招かれていなかったら、自身がいま、同誌のインタビューに応じていることは「なかっただろう」と話している。
フランス語で書かれた聞き書きのインタビューの内容は、以下のとおり──。
1955年5月4日、アメリカ人女優オリヴィア・デ・ハヴィランドと夫で『パリ・マッチ』誌の編集者だったピエール・ガランテは、カンヌ国際映画祭に出席するため、パリから列車でカンヌに向かっていた。
そしてその列車には、映画祭に招かれていた女優グレース・ケリーと、映画『泥棒成金(原題:To Catch a Thief)』の撮影現場で知り合ったスタイリストのグラディス・ド・スゴンザックも乗っていた。
アルベール大公によると、母グレース公妃はその列車の中で、グラディスからオリヴィアとピエールを紹介されたとのこと。すでに有名女優だったグレース・ケリーをレーニエ大公に紹介しようと思いついたのは、ピエールだったという。
オリヴィアは食堂車と隣の車両をつなぐ狭いデッキで、「レーニエ大公に会ってみないか」とグレースに持ち掛けたとのこと。後にオリヴィアは、初めて会ったときのグレースの印象について、「控えめで落ち着きがあり、育ちの良いお嬢さんだと思った」と振り返っている。
この誘いを、グレースは快諾したという。ただ、強いプロ意識を見せ、まずは彼女をカンヌに招待した映画会社、MGMの許可を得る必要があると答えたそう。
アルベール大公はこのときのことについて、さらに次のように明らかにしている。
「ピエールはその翌朝、カンヌに到着する前にグレースに対し、1949年に即位し、間もなく32歳になるところだったレーニエ3世大公との対談記事を書かせてほしいと依頼したのです」
そして、翌々日の6日午後3時、ピエールとグレースは大公宮殿を訪問した。アルベール大公の話では、レーニエ大公が約束の時刻に遅れたため、メートル・ドテル(接客の責任者)がグレースを退屈させないため、宮殿内を案内して回ったとのこと。
さらにアルベール大公は、次のように説明している。
「午後4時近くなって、父はようやく大公宮殿の控えの間に姿を現しました。何枚か一緒に写真を撮影しました。なかにはあの有名な、2人が握手する写真もあります」
このときレーニエ大公は、「宮殿内を案内しましょう」と提案したとのこと。ただ、すでに見て回った後だったため、2人は庭園を散策することにしたそう。
そして、アルベール大公によれば、「雰囲気が一変した」のはこの後。「リラックスして話せるようになった父は、その魅力を発揮。そこから“対話”が始まったのです」
2人はその後、連絡を取り続け、ひそかに愛を育み、そしてレーニエ大公は7カ月後の12月、訪問したアメリカでプロポーズ──大公とグレース・ケリーが出会いから1年もたたない1956年4月18日に結婚式を挙げたことは、誰もが知っているとおり……!
From TOWN&COUNTRY