エリザベス女王の妹マーガレット王女は、女王の長男チャールズ皇太子が誕生した際に王位継承順位が下がり、“チャーリーの叔母さん”と呼ばれていた。

その後、チャールズ皇太子がダイアナ妃と結婚したことで世間の関心はマーガレット王女から離れ、かわりにダイアナ妃がマスコミのターゲットになった。マーガレット王女がその美貌と知性で世間から注目を集めていた頃、ハリウッドスターのエリザベス・テイラーが訪英した際に会っていたのは王女だった。しかし皮肉にも、1981年にテイラーがロンドンで公演した際、彼女に会うために選ばれたのはダイアナ妃だった。

マーガレット王女にとっては、自分がメディアに狙われることがなくなってほっとしたのも束の間、ケンジントン宮殿の隣人であるダイアナ妃がターゲットになるのを、女王とともに心配しながら見守っていた。

女王は新聞記者たちをバッキンガム宮殿に招き、「王室の新メンバーのプライバシーを守ってほしい」と丁寧に頼んだ。そしてマーガレット王女も、早く王室に慣れてほしいという思いから、ダイアナ妃を劇場へ連れて行ったり、社交の場に参加させたり、買い物に連れて行ったりしていた。

そのため、ダイアナ妃は王室で手取り足取り教えてくれる王女を慕い、「私はいつもマーゴ(マーガレット王女の愛称)に感謝し、敬愛しています。彼女は王室入りした初日から、私にとって素晴らしい存在でした」と語っている。

ダイアナ妃が生まれたばかりのウィリアム王子を連れて病院から帰宅した際も、マーガレット王女はスタッフを集めて一緒に外出し、2人が車で通り過ぎるのをハンカチやティータオルを振って見守った。

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左から、チャールズ皇太子、ダイアナ妃、マーガレット王女。1985年、マラウイ共和国の大統領の公式訪問の際。

マーガレット王女自身が経験したことを、次はそのままダイアナ妃が経験しなくてはならなかった。ダイアナ妃が「洋服は自分にとって最も重要なものではない」と言ったのも、マーガレット王女の考えによるものだったという。

「ファッションエディターたちは、ダイアナを私と同じように扱おうとしていました。まるで『ダイナスティ』(1980年代に大ヒットしたドラマ)に登場する架空の人物のように」と王女は語っており、ダイアナ妃のファッションを取りあげた当時の記事のなかには実際、「ダイナスティ・ダイアナ」という見出しも存在する。

チャールズ皇太子とのハネムーンから戻ったダイアナ妃は、避暑地バルモラルで夏休みを他のロイヤルたちと一緒に過ごしたが、その時バルモラルでの過ごし方を妃に伝授したのもマーガレット王女だった。

しかしダイアナ妃は当初から、自分が“部外者”であることを感じていた。夫は常に母エリザベス女王や祖母エリザベス王妃に従うばかりで、彼女の要望を考慮してはくれない。ダイアナ妃が一家とともにピクニックやバーベキューに参加せず、自分の部屋に閉じこもっていたことは、このおとぎ話がうまくいかないことを示す最初の兆候だったと言える。そして、こうした態度に女王は不満を感じていた。

王室での生活になかなか慣れることができないダイアナ妃を見たマーガレット王女は、少し大目に見てあげてはどうかと女王に提案。王女は姉があまりにも白黒はっきりしすぎていると感じ、「好きなようにさせてあげて。彼女をそっとしておけば、きっとうまくいくでしょう」とアドバイスした。家族が対立することを極力避けたいと思っていた女王は、妹の助言を受け入れた。

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1988年のトゥルーピング・ザ・カラーにて。ヘンリー王子を腕に抱き、マーガレット王女とウィリアム王子とともにバッキンガム宮殿のバルコニーに現れたダイアナ妃。

マーガレット王女はダイアナ妃のことを気に入ってはいたが、彼女が最重視していたのは、姉エリザベス女王を支えること。女王にとって幸運だったのは、最悪の年だった1992年に、妹がそばにいてくれたことだった。

この年は、女王の息子アンドルー王子と妻サラの別居に始まり、娘アン王女と夫のマーク・フィリップスが離婚、追い討ちをかけるように、11月にはウィンザー城で火災が発生した。女王は、緑色のレインコートとハットを身につけ、くすぶり続ける廃墟を訪れた時、ひどく落胆していた。

英国の歴史を象徴するこの城は、女王が人生の大半を過ごしてきた場所でもある。女王はロイヤル・ロッジに引きこもり、マーガレット王女や母親と一緒にその週末を過ごしたが、ずっと悲嘆にくれていたという。「この象徴的なウィンザー城の火事に、家族の誰もが打ちひしがれていた」と、ダイアナ妃はこの時のことを振り返っている。

女王にとって悲惨な年となった1992年は、12月に起きたチャールズ皇太子&ダイアナ妃の別居で締めくくられた。その間、6月には私が手がけた本『ダイアナ妃の真実(Diana: Her True Story)』が出版され、王室内での困難な状況や、チャールズ皇太子が別の男性の妻と長年にわたり不倫関係にあったことなどが明らかになった。

またその数週間後には、ダイアナ妃が不倫相手のジェームズ・ギルビー(彼は妃を“スクイッジー=柔らかく濡れている”と呼んでいた)と電話で会話し、王室を批判している音声が秘密裏に録音された、いわゆる“スクイッジーゲート・テープ”が世に出るという恥辱的な事件も起きている。

diana and margaret at wedding
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エリザベス女王の夫フィリップ王配は、できればチャールズ皇太子とダイアナ妃の仲を修復したいと考えていた。1992年の夏以降、王配はダイアナ妃を非難するものから、同情と愛情に満ちたものまで、妃に宛ててさまざまな手紙をしたためている。

いっぽう、マーガレット王女は自分自身も辛い離婚を経験していたが、チャールズ皇太子とダイアナ妃との争いは、早期に離婚することが解決への近道だと考えていた。王女は皇太子に助言をしたが、彼は聞く耳を持たなかったと苦言を呈しており、作家ケネス・ローズに対し「彼と話していると、目が泳いでいるのがわかりました」とも語っている。

王女はまた、皇太子が1994年11月にゴールデンタイムのTV番組で不倫を認め、キャスターのジョナサン・ディンブルビーが執筆した皇太子公認の伝記が発売されたことを嘆いてもいる。エリザベス女王はこの週、ロシアへの歴史的なロイヤルツアーに出かけていた。

女王は、チャールズ皇太子とダイアナ妃の和解を願い、2人が結婚生活を続けると考えていたが、マーガレット王女はそんな幻想を抱いていなかった。離婚が遅れることは王室の名誉を汚すだけ――王女はそう考え、友人に「かわいそうなリリベット(エリザベス女王の愛称)とチャールズは、あの哀れな娘を追い出そうとあらゆる手を尽くしたけれど、どうしても追い出すことができない」とも語っている。

皇太子夫妻が別居した当初、マーガレット王女はダイアナ妃を優遇し、皇太子に手紙を書いて、王女自身は妃との付き合いを続けると伝えた。しかし、ダイアナ妃が公の場でエリザベス女王とフィリップ王配の対応について言及した瞬間に、その付き合いは途絶えてしまった。

かつては王室内で最も熱心にダイアナ妃をサポートしていたマーガレット王女も、1995年に妃がBBCのTV番組『パノラマ』のインタビュー番組に出演して大きな波紋を広げた後、「傷つき、怒りを覚えています」「わずかな犠牲すら払うことができない」と書いた手紙を妃に送ったという。

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BBCのインタビュー番組に出演したダイアナ妃。

ここで特筆すべきは、マーガレット王女が、王室で初めてゴールデンタイムのTV番組で不倫を認めたチャールズ皇太子には手紙を出さなかったこと。これはつまり、王女自身がスノードン卿との別居と離婚の際に訴えていたこととまったく同じで、あくまでも不倫した妻の行動を批判していたということだ。

ダイアナ妃の真意はたとえ判断ミスだったとしても、この物議を醸したインタビューは、夫のドキュメンタリー番組に対する反撃だったと言える。

ダイアナ妃は、マーガレット王女の敵意にショックを受けていた。その日から王女は、妃の最も激しい批判者となり、最も手ごわい敵となった。王女は2人が法的に可能な限り早く離婚するよう求める女王の決定を歓迎し、ダイアナ妃の称号である「Her Royal Highness(妃殿下)」を奪う動きに賛同した。

また王女は激怒のあまり、インタビュー後、妃の写真が表紙を飾った雑誌をすべて捨ててしまったほどだった。さらに、妃が母親と交わした手紙もすべて焼き捨てた。妃との連絡を絶っただけでなく、子どもたちにも「敵とは交友してほしくない」とはっきり伝えたとか。

margaret and diana at victoria station
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1996年7月、ダイアナ妃はサラ・チャット夫人(マーガレット王女の娘)の第1子にプレゼントを買ったが、マーガレット王女の運転手デイブ・グリフィンにおずおずと手渡し、彼に届けてもらったほどの完全な対立だった。

そして1997年8月、ダイアナ妃がパリの地下道で亡くなったというニュースに対するロイヤルファミリーの最初の反応は、妃のテレビでの告白とその後の離婚に対する反発そのものだった。

妃は、ウィリアム王子&ヘンリー王子という2人の王子の母親であることを除けば、ロイヤルファミリーの一員としての立場もなければ、ロイヤルファミリーと連絡を取ることもなかった。最後に女王に会ったのは前年の3月。マーガレット王女をはじめとするロイヤルたちは、数年前から妃との関わりを絶っていた。

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息子デヴィッドとその妻セリーナとともに、ダイアナ妃の葬儀に出席したマーガレット王女。

妃が亡くなっても、マーガレット王女の敵意は続いた――葬儀の日は、その死に対するエリザベス女王とマーガレット王女の形式的な反応の違いが浮き彫りになっていた。

バッキンガム宮殿の門の外で、妃の遺体を乗せた大砲の台車を待つ間、マーガレット王女はなんと、女王に「ケンジントン宮殿の化粧室の改善」について話していたという。

そして、葬儀の列が通り過ぎると、女王は頭を下げて敬意を表したいっぽう、マーガレット王女は控えめにうなずいただけで、まるで他の場所に行きたがっているかのような様子でさえあった――ダイアナ妃が王室を裏切ったと感じ、妃が亡くなってもなお、王女は決して許すことはできなかったのだ。

Photos: Getty Images Translation: Masayo Fukaya From TOWN&COUNTRY