Dear Leader Dreams of Sushi

金正日に仕えた日本人を通して見る北朝鮮の“リアリティ”

つい先頃まで、「敵よ、ミサイルをぶっ放すぞ」と宣言していた北朝鮮。本当の思惑が何であるにせよ、我々は、北朝鮮の総書記や人々の実像を、ほとんど知らない。ピュリッツァー賞受賞作家による、将軍様が愛した日本人寿司シェフへの徹底取材を、アメリカ版『GQ』より紹介。
金正日に仕えた日本人を通して見る北朝鮮の“リアリティ”

つい先頃まで、「敵よ、ミサイルをぶっ放すぞ」と宣言していた北朝鮮。本当の思惑が何であるにせよ、我々は、北朝鮮の総書記や人々の実像を、ほとんど知らない。ピュリッツァー賞受賞作家による、将軍様が愛した日本人寿司シェフへの徹底取材を、アメリカ版『GQ』より紹介。

文: 若林恵

今年のピュリッツァー賞のフィクション部門を獲得したのは、『The Orphan Master’s Son』という小説だ。作者は、アダム・ジョンソン。金正日政権下の北朝鮮を舞台に、ある孤児を主人公にした一種のポリティカル・スリラーのようで、綿密な取材をもとに緻密につくりあげられた語りのうまさに評価が集まったものと見える。

ここで紹介する記事は、その小説の著者であるジョンソンが、金正日総書記お抱えの寿司職人として仕えた藤本健二の半生をインタヴューとともに振り返ったものだ。ワイドショーにも頻出し、総書記の周辺で見聞きしたことを数冊の著書に著しているので、日本人であるぼくらが読んで、とりわけ新しい情報があるわけではないとは思う。金正日を囲んでの豪奢な晩餐、独裁者のまわりを取り囲むアジア各国の美女たち、拉致された美人歌手などが出入りするきらびやかなエピソードはすでにご存じの方も多いと思う。こうして改めて活字で読んで思うのは、それがまるで映画のなかのシーンのようで、読めば読むほどにリアリティを失っていくということだ。

ジョンソンは、それを嫌がるかのように、200万人を餓死に至らしめたとされる飢饉や、藤本が日本に暮らしていたころの妻子の話や、彼が北朝鮮で娶った妻の不遇の話題を差しはさむが、藤本の言葉が、北朝鮮をめぐる何かしらのリアリティを探り当てることはない。ジョンソンは藤本の過去を紐解きながら、酒乱で暴君だったラバウル帰りの父の存在が藤本にもたらした影響を記事内で語る。口答えをしようものなら殴られるという少年時代は、藤本に人に口答えをしないこと、批評をしないことを教えた、と分析する。たしかに藤本は、それが独裁国家における最良のサヴァイヴ術となることを実地で証明した。ジョンソンは、そうした藤本の性格を「疑うことを知らない従順さ」と語る。

記事の最後で藤本は北朝鮮への“帰国”を語り、人生をかの地で終えることを望んでいると伝える。「いつまでも運は続きませんよ」とジョンソンは諭す。「何も怖くないです」と藤本は答える。ジョンソンは「藤本は、いま手にしている自由と空想の王国とを交換しようとしている」と書きながら、藤本の不可解な行動にほとんど呆れているようにすら見える。

北朝鮮は、世界中の誰にとっても遠い国だ。得られる情報といえば、どこまで行っても断片的な間接情報にすぎず、その国の「リアリティ」をつかむためのよすがとなるものは、ないに等しい。独裁者を最も身近で見てきた料理人の言葉を通してすら、ぼくらは期待するリアリティの片鱗にすら触れることができない。

ジョンソンが小説家として、それをフィクションを通して掴もうとしたのは、あるいは正解だったのかもしれない。だからこそ大きな反響を呼んだのだとすれば、ぼくら日本人にとっても、それは有益な本となりうるかもしれない。