I love my Kicks Vol.2: Yosuke Oochi

スニーカー芸人数珠つなぎ連載 第2回 ダイノジ・大地洋輔

芸人さんにお気に入りのスニーカーを紹介してもらいながら、ファッションへの愛を語っていただく数珠つなぎ連載! 第2回は、ダイノジ・大地洋輔の巻。
スニーカー芸人数珠つなぎ連載 第2回 ダイノジ・大地洋輔

スーツからの変身!

昨年8月に結成された“アイドル”グループ「吉本坂46」のメンバーとして多忙な日々を送るダイノジ・大地洋輔を、ルミネtheよしもとの楽屋に訪ねた。劇場の出番が終わり、漫才用の鮮やかなピンクのスーツ姿で「お疲れさまです!」と現れた大地をすこし待つと、キャップにスウェット、カモフラ柄のパンツというラフなストリートカジュアルで再登場した。

大地は、よしもとのお笑い芸人を中心に結成された「スニーカー同好会」の中心メンバーとして知られるが、同時に、“芸人界有数のファッション好き”としても有名だ。

「スニーカーはあくまでファッションのひとつ」と語る大地には、“スニーカー自慢”というテーマは少々もの足りなかったよう。今回は、大地がたどった紆余曲折のファッション遍歴とともに、スニーカー愛を語ってもらうことにした。

ファッションは音楽とともにある

──大地さんがファッションに目覚めたきっかけはなんだったんでしょうか。

大地:小さいころから、身につけるものにこだわりが強かったのは憶えてますね。ただ、「ファッション」が面白くなったのは、やっぱり音楽との出会いがあってからでしょうか。中学のときにパンク・ロックが好きになって、高校に上がってからは、ファッションと音楽がより密接に繋がっていきました。パンク・ファッションのなにがいいかって、汚いデニムを穿いててもいいことなんですよ(笑)。あとは、地元の大分でもコンバースは手に入ったので、白いコンバースに、リーバイスは買えないのでエドウィンとかのブルーデニムにTシャツ、という格好をしていました。あとは大分にあった古着屋でモッズコートを買って、ずっと着てましたね。

──当時のファッションアイコンは?

大地:カッコいい友達のマネをするとか、友達同士で情報を交換することが多かったですけど、バンドで影響を受けたのはラフィン・ノーズ(註1)です。彼らをマネして、細いブラックジーンズに偽物のラバーソールを履いて、高校2年の修学旅行のときに買ったショット(Schott)のライダース(註2)の上にモッズコートを着ていました。

──大地さんが上京されたのはいつですか?

大地:18歳で上京して、すぐに芸人になったわけではなくて、いちどロイヤルホストに就職したんです。それが1989年。やっと洋服が探せる! って嬉しくて、本当にいろんな格好をしました。まずはリーバイスの501を買いに行って、ロイホのイケイケの先輩には雑誌の『Fine』を教えてもらい、サーファーやスケーターファッションにもハマりました。アメリカン・ハードコアの雰囲気も好きで、ネルシャツにデニムにニットキャップっていう、スイサイダル・テンデンシーズ(註3)みたいなファッションもやりましたね。

音楽でいえば、92年にビースティ・ボーイズのアルバム『チェック・ユア・ヘッド』(註4)が発売されたんですが、そのジャケットでキング・アドロックが履いていた「プーマ スエード」を見て、「かっけ~!」って憧れてました。あとは、兄ちゃんがバンドをやってたこともあって、その周辺のバンドマンたちのファッションの影響が強かったです。一方で「モテたい!」って気持ちもあって、アニエス・ベーとかのフレンチ系にいったり、いしだ壱成さんや武田真治さんの影響でネオパンク系〜フェミ男(註5)みたいな格好もしてました(笑)。

パンクからヒップホップへ

──そこから、スニーカーに惹かれていくきっかけは?

大地:ハマっていくきっかけとしては、いわゆる「エアジャム世代」(註6)と呼ばれる人たちが履いていたスニーカーからですかね。「プーマ クライド」、「コンバース オールスター」、「ナイキ ACG ラバドーム」とか、ハイテクとは一線を画するシンプルな靴が好きでした。僕は1994年に芸人になったんですけど、当時売れている人たちはやっぱりいい洋服や靴を持ってるんですよね。ロンドンブーツ1号2号の(田村)亮さんは、当時人気だったリーボックの「ポンプフューリー」とか、当時値段が上がっていたプーマの「ディスクブレイズ」を履いていて、「お金があったら買えるんだ! カッコいいなあ!」と思って見てました。ただ、僕はお金がないから買えない。だけどファッションは大好きだし、オシャレしたい! とは思っていて、VANSの古着のスリッポンとか、ちょっと面白い柄のを見つけたりして、“俺はこっち側だ!”って強がってたんです。

そのあとはヒップホップの影響が大きくて、ナイキにハマり始める時代があるんですね。当時はスチャダラパーや、キミドリ(註7)の人がナイキの「エアミッション」を履いてたんですよ。スチャのBOSEさんが太めのデニムに赤を合わせたり、キミドリの人はそれこそ緑を履いていて、すごく欲しかったんですけど、人気で全然見つからなかったんですよね。……それが! 2013年に復刻して、やっと買えたんです。僕とラッパーのサイプレス上野くんが速攻で買ってました(笑)。

わたしの1足

──ではここで、大地さんの「わたしの1足」を教えてください。

NIKE TN 360(AIR MAX PLUS 360) 
[UNIVERSITY BLUE/TR YLLW-BLCK-WHT]

大地:この「エアマックス プラス」の配色、デザイン、かっこよすぎません?

──あれ? 「俺はハイテク側じゃない」というスタンスかと思ったのですが、ハイテクスニーカーなんですね。

大地:いやいや、そうなんですよ。僕が面白いデザインのスニーカーに惹かれ始めたのは、やっぱりナイキなんですよね。こんなデザインのスニーカー出します?(笑) ナイキでいえば、2005年くらいに藤原ヒロシさんが「エア ズーム サイズミック」の別注を出していたんですけど、それは手に入らなかった。ただ、それを見てはじめて「ハイテクおもしろいな」と思ったんですよね。この「エアマックス プラス」に関しては、誰が履いていたとかではなくて、単純に色とデザインに惹かれました。

──これはいつ手に入れたんですか?

大地:「エアマックス プラス」自体は1998年の発売で、これはフットロッカー(註8)別注のスニーカーなんです。もう撤退しちゃったんですけど、当時、日本にも自由が丘に1店舗だけあって。でも当時は買えなかった。それが、4年前くらいに行ったハワイで出会っちゃったんです。ハワイのフットロッカーで、しかもセールで! 定価は160ドルぐらいだと思うんですけど、半額の80ドルくらいになってて。びっくりして店員さんに「リアリー? ちなみにこれは他の色もあるの?」って訊いて、出てきたのがこれでした。「このカラーもあんの!?」「お前、好きなの?」「好き! ラブラブラブ!」って、たぶんドリカム以来じゃないですかね、こんなにラブラブ連呼したの(笑)。おまけに、そんな僕を見て店員さんが「色違いで2足買うんだったら、ふたつで150ドルでいいよ」って言ってくれたんですよ。フットロッカーの店員さんが値引いちゃっていいの? まじで?って思いましたね(笑)。

カッコいいな~!って憧れていたものと、15、16年越しにやっと出会えたんですよ。これは運命だと思ったし、嬉しかったですね。

そして、「わたしのもう1足」

■Stüssy New Balance 990v4

──じつは、さきほどの「エアマックス プラス」は今日履いて来られたもので、取材用に持って来てくださったのはこちらなんですよね。

大地:タイプが正反対で、選べなかったんですよね……。ニューバランスは「スニーカー界のロールスロイス」とも言われてますけど、僕はその機能性とシンプルなところが大好きなんです。

この1足は、僕が“心の師匠”と呼んでいる、東京・池ノ上にある「MIN-NANO(みんなの)」というショップのオーナー、ゴローさん(中津川吾郎さん)が教えてくれたものなんです。ネットがない時代って、みんなお店に行って、お店の人と顔なじみになって、店員さんが新しい情報を教えてくれたり、これが似合うよ、なんて教えてくれてたじゃないですか。ゴローさんは僕たちにちょうどいい“ツボ”を教えてくれる、憧れの人なんです。

その人が、白のスニーカーをよく履くんですよ。僕がゴローさんのインスタグラムを見たときに、ちょうどこれをのっけてて、「めっちゃくちゃほしい!」って思った1足です。

ニューバランスって、品番でモデルが分かれているんですけど、990番台のシリーズには僕はそれまで全然注目してなかったんです。レトロな感じで、形もぼっかりしてますよね。それがここに来てあえての「990v4」(註9)か! という驚きと、すごく自分っぽい、ナードでオタクっぽい感じに惹かれたんですね。履きやすさと飽きのこないデザイン、地味だけど安定感のある……まさにダイノジですよ! 華はないけど笑いはとれる(笑)!

──まさしく! とは言いにくいですけど(笑)、正統派でありながら新しさを追求する、という姿勢が共通している気がします。

大地:これでニューバランスにまたハマって、いま、また990を集めてるんですよ。

──前回登場していただいたグッドウォーキン・上田さんからは、大地さんのご紹介にあたって「家族を犠牲にしてまでスニーカーを買う男」という推薦コメントがありました。“また集めている”となると、ご家族の反応は……?

大地:じつは、最近は子供と奥さんも一緒にスニーカーを楽しむようにしてるんです。「パパ、自分の靴多すぎない?」とは言われますけどね(笑)。もう上の子は4年生になるので、「パパ、こっちのほうがカッコいい!」って選んでもらったり、僕が娘のスニーカーを選んだりして。そういうことができるようになって、すごく嬉しいですね。

「家族を犠牲にしてまでスニーカーを買う男」は、「スニーカーで家族をつなぐ男」でもあったようだ。


(1)ラフィン・ノーズ(LAUGHIN' NOSE):1981年に結成された日本のパンク・ロック・バンド。メジャーデビュー前から人気を博し、日本で“インディーズ”という言葉が浸透するきっかけをつくった。デビュー後は80年代の「第2次バンド・ブーム」を牽引した。91年に解散するも、95年よりインディーズでの活動を再開。

(2)ショット(Schott):1913年、ニューヨークでショット兄弟によって創業。1928年に世界で初めてフロントジッパーを採用したライダースジャケットを発売し、その後のライダース史に大きな影響を与えた。バイク乗りだけでなく、ラモーンズやセックス・ピストルズをはじめ多くのロックミュージシャンに支持され、時代を超えた永遠の定番として今なお多くの人々を魅了している。

(3)スイサイダル・テンデンシーズ(Suicidal Tendencies):1982年にアメリカ・カリフォルニアで結成されたハードコア・パンク・バンド。バンドの名前のロゴが入ったキャップやTシャツは大人気で、90年代の日本の男性ストリート雑誌には必ずと言っていいほど広告が載せられていた。

(4)ビースティ・ボーイズ『チェック・ユア・ヘッド』(Beastie Boys『Check Your Head』):1992年4月21日に発売された、ビースティ3枚目のアルバム。ビースティ・ボーイズは、もともとはハードコア・パンク・バンドとして活動していたが、84年にデフ・ジャム・レコードと契約したことを機に音楽性をラップ/ヒップホップへと転換。一躍ヒップホップ界の革命児となった。

(5)ネオパンク系〜フェミ男:90年代半ばに渋谷から原宿で流行した、中性的な男性ファッション(をする人)。長めのモミアゲにキャスケットをかぶり、身体にぴったりとフィットした「ピタT」を着て、ボトムはフレアパンツやスカートなどゆったりしたものを合わせるのが典型だった。パンクやロックなど音楽との繋がり、またクラブカルチャーの影響も色濃い。代表的ブランドはスーパー・ラヴァーズやミルクボーイなど。

(6)エアジャム世代:AIRJAM(エアジャム)は、人気バンドのハイ・スタンダード(Hi-STANDARD)を中心に企画されたパンク・ロック〜ストリートカルチャーを融合した音楽フェス。1997年から2000年までに3回行われ、いったん休止になるも、2011年から不定期に開催されている。「エアジャム世代」とは、初期のエアジャムが開催された当時、10代後半~20代ぐらいの若者たちのことを指す。

(7)キミドリ:1991年に結成された、日本のヒップホップ・グループ。2MCと1DJの形態をとる。オリジナルアルバム『キミドリ』(93年)、『OH, WHAT A NIGHT!』(96年) という2つの作品を残して活動休止。

(8)フットロッカー:アメリカに本拠をかまえる、スニーカーを中心とした大手アパレル・チェーン店。北米、ヨーロッパ、オーストラリアを中心に世界中に展開している。

(9)990v4:ニューバランスの900番台のなかでも、幅広で肉厚のため、最高の履き心地を誇る。1982年にオンロード用のランニングシューズとして誕生した990のなかで現在最新のモデルだが、2019年中に「990v5」がリリースされる予定。

大地洋輔(おおち ようすけ)
PROFILE
1972年、大分県生まれ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1994年に、大谷ノブ彦と「ダイノジ」を結成。特技はモノマネ、ラップ、エアギターで、エアギターでは世界選手権で優勝も経験した。

NEXT 大地さんの推薦コメント「芸人界屈指のファッション道場の門番!!」乞うご期待!

文・横山芙美(GQ) 写真・鈴木竜一朗