THE OUTSIDER

格闘技と不良更生とこの国のかたち──前田日明はなぜ「ジ・アウトサイダー」をやるのか

不良たちに格闘技を通じて更生の場を用意し、プロデビューさせることをも視野に入れた総合格闘技大会「ジ・アウトサイダー」。プロデューサーの前田日明が、格闘技と不良更生、そしていまの日本について語った。
格闘技と不良更生とこの国のかたち──前田日明はなぜ「ジ・アウトサイダー」をやるのか

文・増田晶文
写真・北山景一

10周年を迎える今年、5月21日(日)に「ジ・アウトサイダー第46戦」がディファ有明で開催される。http://www.rings.co.jp/

2008年、日本は冷たかった

前田日明は190センチをこす巨体をソファに沈め、ゆっくりとシガーをくゆらせた。

かつて新格闘王の名をほしいままにした彼は、ここ10年「ジ・アウトサイダー」という「不良に更生のチャンスを与える」ための格闘技イベントに取り組んでいる。

前田は紫煙のゆくえを追いながら語り始めた。

「ジ・アウトサイダーをスタートした2008年といったら第1次安倍内閣が終わり福田内閣の頃。グローバリズムや規制緩和が叫ばれ、いま大問題になっている社会格差が深刻化していきました。あれから人の心が冷たく乾きはじめ、今では爬虫類のように冷淡で、温かみの感じられない世の中になってしまいました」

10周年を迎える今年、5月21日(日)に「ジ・アウトサイダー第46戦」がディファ有明で開催される。http://www.rings.co.jp/

時を同じくして前田は長男を授かった。晩婚だった彼にとって息子は初子(ういご)。当時48歳の前田が一子の行く末、ひいては日本の将来に想いを馳せたのは当然のことだった……。

「息子が一人前の大人になったとき、自分なんか、もう死んでいるかもしれない。その時、オレなりの方法で日本の将来のためにやるべきことをやっておこうと決めたんです。この先、社会格差が激化して多くの若者が壁にぶちあたるんじゃないか。それなら、せめて格闘技社会は彼らのためにチャンスをあたえなければと考えました」

前田の視線はすぐ不良たちへ注がれた。徒党を組み、街では肩で風切るケンカ自慢も、見方を変えれば落ちこぼれ者の虚勢。乱暴者が心を入れ変えようとしても、不寛容な社会は彼らを受け入れてくれない。仕方なくマイナスのスパイラルへ落ち込んでいく。

「世の中全体がコンプライアンスの名の下に、格差を拡げ彼らを拒絶している。ネグレクト、つまり無視してしまっている。これって本当にツラい。学歴がないうえ、犯罪にまで手を染めてしまった若者は夢を語ることのできない社会になってしまう」

前田は語気を強めた。

「自分もプロレスにスカウトされて、ずいぶん救われました。アントニオ猪木という理想であり挑むべきステイタスと巡りあえた。今度は自分がジ・アウトサイダーを通して不良たちに手を差し伸べたい」

10周年を迎える今年、5月21日(日)に「ジ・アウトサイダー第46戦」がディファ有明で開催される。http://www.rings.co.jp/

ジ・アウトサイダーとは?

前田といえば、「若い頃のヤンチャ話には事欠かない」と噂されるほど。不良たちが闘うジ・アウトサイダーを率いるには、彼ほどふさわしい人物はいまい。

「ケンカやカツアゲにしても、最近の不良は加減がわからなくて殺人にまでエスカレートしてしまいかねない。命の大切さを知らないだけでなく、人を殺めたらどんな刑罰が待っているのかさえわきまえていませんからね」

ルールのある格闘技を通じて、殴られる痛みだけでなく殴る側の痛みも知る。さらに前田は強調した。

「結果を得るために諦めないで努力し続ける。これが人生で一番大事なことです」

持て余していた力を新たな目標に振り替えることで何かが変わる。

「ところが、少年院を経験した選手にきくと、施設ではほとんどスポーツによる更生プログラムがないそうなんです。それどころか、身体を動かす時間すら充分じゃない。格闘技にサッカー、バスケ……更生のための手段としてスポーツは欠かせないものですよ」

10周年を迎える今年、5月21日(日)に「ジ・アウトサイダー第46戦」がディファ有明で開催される。http://www.rings.co.jp/

ジ・アウトサイダーの趣旨はシンプル。16歳から35歳まで、プロの試合経験が3試合以下のケンカ自慢が集まり闘う。優秀な選手はメジャー団体でプロの格闘家としてデビューできる。年に4、5回のペースで大会を開催、体重別の王者がいて、会場はフルハウスになることが多い。選手にはいかにもという派手なタトゥーが目立つ。近年は少数ながら女子も参戦しはじめた。

会場を見渡せば、不良仲間が応援に駆けつけたのだろう、男女ともどもコワモテが多い。彼らに睨みをきかせる警備陣がこれまたいかめしい。入場の際には、ナイフやスパナといった凶器を発見するため金属探知機をくぐらせる。ジ・アウトサイダーには、いかにもというシーンや趣向が山盛りだ。

「試合も年を追ってサマになってきました。当初こそペース配分なんぞ無視、腕をぶんぶん振り回して突進する選手が目立ったんだけど、ここのところは格闘技の心得のあるのが増えてきましたね」

現役プロレスラーの今成夢人、役者として活動する黒石高大らジ・アウトサイダーから羽ばたいた若者も少なくない。

「自分らの世代の感覚だと『あしたのジョー』。家庭環境や学歴、犯罪歴にかかわらず格闘技の資質のある第二の矢吹丈、力石徹を発掘し育てるんです」

となれば、前田はさしずめ”丹下のおっちゃん”の役どころか。大会での彼は赤いブレザーを着こみ、試合ごとに勝利者にメダルを渡す。その際の選手たちのうれしそうな顔は、どれも印象的だ。

「選手たちにとって、自分は年齢的にも格闘技の経歴的にもオヤジみたいなものですね。実際、オレのことを父親のように慕ってくる子がけっこういます」

Akira Maeda 前田日明 リングスCEO

黒石高大、または「濱の狂犬」

さきほど紹介した黒石高大は横浜市出身で、今秋31歳になる。複雑な家庭環境から小学生にしてグレはじめ、いつしか「濱の狂犬」と呼ばれるようになっていた。

「オレの20代はアウトサイダーとともにあったといっても過言ではないです。前田さんと出逢わなければ、オレ、本物のヤクザになっていたと思います」

黒石は20歳だった08年3月の旗揚げ興行から参加し、15年12月の大会をもって引退した。通算戦績は18戦7勝8敗2分1ノーコンテスト。

「タイマン張ったら日本一強いって思ってたから、自信満々で飛び込んでいきました」

だが黒石の鼻っ柱は見事にへし折られる。デビュー戦から連敗。初勝利は4戦目だった。

「負けてもリングに上がり続けたのは、逃げたくないって気持ちがあったから。それに、前田さんから本格的に格闘技を学べっていわれたのが大きかったです」

黒石の試合はゴング前から殴りかかったり、仲間の乱入があったりと物議を醸すものが多かった。
「でも前田さんは一度もオレを叱らなかった。反対に『練習がんばったな』とか『仲間を大事にしろよ』って、親身な声をかけてもらいました。いつも、本物の父親のようにどっしりと構えて見守ってくださいました」

現在、黒石は俳優業に専念、映画やテレビ、Vシネマを活動の場とするようになった。『グラスホッパー』『テラフォーマーズ』などで、彼の姿を観ることができる。

「前田さんの教えってことなのかな、自分は常に人にやさしくしていたいし、夢を与える存在になるつもりです。前田さんに恩返しするためにも、絶対に俳優で成功します」

前田に黒石のことを伝えると、武骨な表情をふっとゆるめてみせた。

「そんなこといってましたか。でもアウトサイダーにはずいぶんカネと時間を投資しています……ひと財産どころの騒ぎじゃないもんなァ」

理想を求める

とはいえ前田の不良更生計画─いや世直し事業というべきか─は、まだ道半ばだ。

「不良に注目が集まっていますが、引きこもりやオタクなんかも、参戦するようになってきました」

格闘技を通じて彼らが社会に通じるドアを開けたとしても、その先の世界にセーフティネットが用意されているとはいい難い。

「このところ、日本人は理想像を躍起になって壊してきましたからね」

それはネット文化の「発展」と軌を一にしている。ウェブというバーチャル空間では、誰もが”自由”に”平等”に意見を発信できるようになった。凡夫のツイートが大反響を呼ぶこともある。怖ろしくも愚かしいことだが、凡夫は己と天才、一途に研鑽を積む人たちが同レベルだと錯覚してしまう。

「高みにある理想像を低いレベルにまで引きずり下ろして何が残ったのか」

再び前田の眼に鋭いものが宿った。

「日本人は理想を失ったばかりか、美しいもの、正しいものをめぐる議論の仕方まで忘れてしまったんです。今の日本は世界でも珍しいくらいに、善悪や貴賤、美醜の区別がつかない、けじめのない国になっています」

前田はその延長上に、現在の日本を覆う不寛容や格差があると断言する。

「未完成の子に必要なのは完成された理想。18世紀のイギリスにはジョージ・ブランメルという、ダンディの権化であり理想像がありました。ブランメルという模範があるからイギリスのファッションは飛躍的に発展した。しかも彼は下層貴族なんです。だけど自分の信じる美学を追求したおかげで、国王までが畏敬する存在となりました」

不良たちも格闘技を通じて、努力に努力を重ねる意味を知ってもらいたい。理想を抱いて突き進んでほしい。
「不良であっても、理想を求めていくうち生き方が変わってくる。根無し草だった彼らが輝きを放つようになるんです。そうなると周囲も彼らの存在に注目しはじめます。この輪が広がれば、日本人も理想を持つことの大事さに再び気づくはずです」

語り終えた前田は、新しいシガーを取り出した。葉巻を愛おしむように、じっくりと火をつける。そんな彼の仕草とジ・アウトサイダーに向き合う姿勢が重なってみえた。

Akira Maeda前田日明 リングスCEO
1959年、大阪府生まれ。77年に新日本プロレスへ入団し、デビュー。その後、世界初となる総合格闘技団体リングスを旗揚げし、格闘技業界へ新風を吹き込む。99年に現役を引退後、HERO’Sスーパーバイザーを務め、ジ・アウトサイダーをプロデュースする。