Midnight Cowboy

真夜中のカーボーイ──あの映画をもう一度

「明日に向かって撃て!」(1969年)がアカデミー作品賞を受賞できなかった理由とは?
真夜中のカーボーイ──あの映画をもう一度

「明日に向かって撃て!」(1969年)がアカデミー作品賞を受賞できなかった理由とは?

文: 石原 隆(フジテレビジョン・映画事業局長)

このポスターがあまりに印象的でした。ダスティン・ホフマンは2年前に公開された「卒業」のベンジャミン役とは全く違うキャラクターを演じ、アカデミーにノミネートされました。タイトルの「カーボーイ」は誤植ではなく、当時日本ユナイト映画の宣伝部長だった水野晴郎氏が狙いで付けたそうです。どんな狙い? UNITED ARTISTS / THE KOBAL COLLECTION / Zeta Image

アカデミー賞の季節です。

賞というものに僕自身は全く興味がないのですが、この賞だけはさすがに気になります。

なぜなんだろう、と考えた結果、世界に星の数ほどもある映画賞の中で、この賞が子供のころから自分の納得度の高い賞であるからかなあ、というやや曖昧な結論に達しました。

つまり「なるほど」と思える受賞作(者)が多いということです。

でも、さらによく考えてみると、自分は子供のころからほぼアメリカ映画しか観ておらず、アメリカ映画の祭典であるアカデミー賞がしっくりくるのは当たり前と言えば当たり前なのでした。

ちなみにアカデミー賞は「アメリカ映画の」祭典です。意外に知られていませんが、アカデミー賞にノミネートされる条件は「原則として前年の1年間にロサンゼルス郡内の映画館で連続7日以上の期間、有料で公開された40分以上の長さの作品で、劇場公開前にテレビ、インターネット、ビデオなどでリリースされていない作品」というものです。つまり、カンヌ映画祭のように映画祭でワールドプレミア、というのはダメで、必ずアメリカで、しかもロサンゼルスですでに公開されていなければならない、ということなんですね。

その1年間で劇場公開された映画の中から、アカデミー会員が優れた(好きな?)作品やキャスト、スタッフを選ぶ。ある選ばれた少数の人たちがその芸術性で選んでいるように見えた他の映画祭より子供心には公正に見えたのかも知れません。もちろんそのために政治的、商業的な側面が顕著になり過ぎ、他の映画祭のように、挑戦的で新しい小品にスポットライトを当てるという努力をしていない、という批判も当時はよくわかっていませんでした。

向かって左にいるのがジョン・ボイト。この映画ではホフマンに比べてなんだかパッとしない役者だなあ、と思ってました。ところがその後「オデッサ・ファイル」「帰郷」「チャンプ」など名作に出演、アメリカ映画を代表する俳優になりました。ご存じ、アンジェリーナ・ジョリーのパパであります。 UNITED ARTISTS / THE KOBAL COLLECTION / Zeta Image

1973年公開の「スティング」という映画に大きな影響を受けた、というか完全にやられた、という話は以前紹介しました。そして、同時に「スティング」と同じチーム(ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、ジョージ・ロイ・ヒル監督)で4年前に別の映画が作られていた、ということも知りました。

名画座を探してその映画を、遅ればせながら観ました。「スティング」とはテイストの違う映画でしたが、それもまた素晴らしい作品でした。映画のタイトルは「明日に向かって撃て!」。それまで観たどの西部劇とも違う全く新しい西部劇に、またしても僕はやられてしまいました。

「スティング」は1973年のアカデミー賞において、作品賞をはじめ、主要7部門を受賞しました。当然の結果だと言えます。そして、1969年の「明日に向かって撃て!」も当然受賞しているだろうと思ったら、驚いたことに、脚本、撮影など4部門は受賞しているものの、作品、監督の2部門は受賞していませんでした。

「なんで?」

尋ねると、僕に映画の楽しさを教えてくれた友人の立石君はこう言いました。

「その年は『真夜中のカーボーイ』があった年なんだ」

ジョン・シュレシンジャー監督、ジョン・ボイトダスティン・ホフマン主演のこの映画はそれまで僕が観てきた映画とは全く違うタイプの映画でした。「面白い」や「楽しい」とは全然違う、むしろ居心地の悪い、後味の悪い映画、でも強烈に心に残る何かを持っている映画に正直困惑しました。

「一体あの映画はなんなんだ?」

立石君はこう答えました。

「あれがアメリカン・ニューシネマなんだよ」