1966 ザ・ビートルズのリンゴ・スターとのツーショットは東京公演のとき。本当は4人と撮影したかったけれど、ジョージがシャッターを押してくれた。 ’67 ザ・モンキーズのデイビー・ジョーンズと。68年の来日公演では、取材記者として大人気だった彼らのツアーに同行し、コンサートの司会も務めた。 ’73 ラスベガスで自身の結婚式を挙げたときエルヴィスが証人になってくれた。東京から持参したのは『アロハ・フロム・ハワイ』のゴールドディスク。 ’74 74年の東京でのコンサート評を「ニューミュージック・マガジン」に寄稿したことを契機にオノ・ヨーコとの親交が生まれ、それはいまも続いている。 ’80 音響機器メーカーのCMのために作詞し、井上忠夫(のちに大輔)が作曲した「ランナウェイ」は新人グループ、シャネルズが歌い大ヒットとなった。 ’81 アイドルとしてすぐれた資質を認めた松本伊代と。彼女のために「センチメンタル・ジャーニー」を作詞。筒美京平の作曲で大ヒットした。 '82 「黒い瞳のナタリー」を大ヒットさせたスペイン出身のフリオ・イグレシアスのマイアミの自宅で。笑顔にふにゃふにゃと座りこみそうになったとか。 ’85 パリのレコード会社のオフィスでミック・ジャガーと会ったのは65年いらいだった。高級スーツに身を包み、笑顔を絶やさずよく喋るひとだった。 ’92 マイケル・ジャクソンとは73年いらい、2009年に彼が他界するまで親交を持っていた。おしのびで来日した彼と東京ディズニーランドに行ったことも。 2004 「17才の頃」など大ヒット曲を持つシンガー・ソングライターのジャニス・イアンとは、会うとプライベートのことまでじっくり語りあう仲。 ’13 このときはポール・マッカートニーにとって3回目の日本公演。そのステージに感動しながらのツーショット。ポールは翌14年にも来日した。 ’14 稲垣潤一にはデビューアルバムから詞を提供。『246:3AM』収録「雨のリグレット」はいまも人気で、タイトル曲は湯川じしんが気に入っている。 ’17 4月の来日公演で再会したポール・マッカートニー。老いも若きも幅広い年齢層を感動させてくれた。「また日本に来るよ」と指切りしてもらった。