The Miraculous Face Transplant of RICHARD NORRIS

他人の顔を手にした男:リチャード・ノリス──顔面移植で取り戻した第2の人生

ショットガンで誤って自分の顔面を撃ってしまったリチャード・ノリスは、命を取り留めるも顔面のほとんどを失ってしまう。そこに現れたのは、他人の顔を完全移植するという大手術を持ちかける医師だった。生存率50%という命がけの手術は成功するのだろうか。また成功したとしても、他人の顔を手に入れたリチャードは、はたして自分の人生を取り戻すことはできるのだろうか。US版『GQ』がリチャードに密着取材をする。
他人の顔を手にした男:リチャード・ノリス──顔面移植で取り戻した第2の人生

ショットガンで誤って自分の顔面を撃ってしまったリチャード・ノリスは、命を取り留めるも顔面のほとんどを失ってしまう。そこに現れたのは、他人の顔を完全移植するという大手術を持ちかける医師だった。生存率50%という命がけの手術は成功するのだろうか。また成功したとしても、他人の顔を手に入れたリチャードは、はたして自分の人生を取り戻すことはできるのだろうか。US版『GQ』がリチャードに密着取材をする。

Text: Jeanne Marie Laskas
Photos: Dan Winters
Translation: Ottogiro Machicane

リチャード、22歳

あれは不幸な事故だった─それ以外に言葉もないし、ましてやどれだけ懇々と慰めようとしたところで空しいだけだ。その男が一瞬にして失ったのは、財産でも仕事でもなく、世界にふたつとない自分自身の顔なのだから。

リチャード・ノリスは22歳のとき、散弾で顔を打ち砕いてしまった。1997年のことだ。どうしてそんなことになったのか、思い出そうにも見当もつかない。取り返しのつかないあの刹那、3フィートを隔ててリチャードと向き合っていた母親が言うには、“事故”が起きた。息子の顔の切れ端がシャワーのように降りかかってくる。ふたりがいたのはリビングルーム。リチャードが手をかけたショットガンが暴発し、彼の鼻を、頬骨を、唇を、舌を、歯を、顎を吹き飛ばした。残っていたのは大きく見開かれた焦げ茶色の両眼と、ズタズタで、渦を巻くかのようにねじくれた肉塊ばかり。

リチャードの人生を変えることになる奇跡は、この悲劇的な出来事に端を発する。変わり果ててしまったおのれの顔を恥じるあまりに、彼は隠者のごとくに引きこもり、まるまる10年近くを霧深いヴァージニアの山奥で両親とともに過ごした。怪物さながらの素顔をリチャードが見ずにすむように、父と母はすべての鏡に覆いをかけ、息子は食事すら自室にこもったままでとるようになり、ごくまれに外出するときには、黒いマスクで顔を覆った。そのせいで警官に強盗と勘違いされ、止まれと銃口を突きつけられたこともあったという。

そんなある日、母親がインターネットで見つけ出したのが、ボルティモアの顔面再建外科医エドゥアルド・ロドリゲスだ。リチャードの顔をまともにしてみせるとロドリゲス医師は約束し、それから数年のあいだに幾たびも手術をくり返した。リチャード本人の前腕の組織から鼻に似せた付属物をつくり、両脚から下顎の代わりになるものをつくった。しかし、しょせんそれらは偽物に過ぎず、まともな顔を取り戻すにはほど遠かった。ところがロドリゲス医師は諦めない。さらに踏み込んだ手術を考えていたからだ。解剖用死体で訓練を重ねてきた彼は、他人の顔をまるごと移植する可能性を思い描いていた。前例のない規模の移植手術を成功させ、リチャードに新しい顔をプレゼントするのだ、と。

顔面移植手術が実現したのは2012年3月19日。交通事故で命を落とした21歳の男性がドナーとなった。ロドリゲス医師はリチャードの顔の残っていた部分をすべてメスで切除し、頭頂部から顔の前半分ことごとくにドナーの顔を移し替えた。ドナーからまるごと切り取った顔をネジで固定し、上顎をはめ込み、接合部を縫い合わせる。

36時間ぶっ続けの手術が無事に終わったとき、母親はリチャードが蘇生したかのような思いを抱いた。「リチャードが帰ってきてくれたわ」と電話ごしに、事故以来すっかり口数が少なくなっていた夫に告げた。いま、リチャードは39歳。手術以来メディアで騒がれて時の人となったが、顔を授かったことへの感謝と、稀有な被術者として託された世間への使命を忘れることなく、新たな人生を送っている。

リチャードと会う

リチャード・ノリスへの取材が決まったとき、最初に訊きたかったのは、他人から顔を授かるという奇跡をどう受けとめているのかだ。他人の歯で食べ物を咀嚼する心地がどんなものなのかは、本人にしかわからないことだからだ。手紙を送るとリチャードは、新しい顔はあらゆる点で申し分がないと答えてくれた。ファンから数千通も手紙が届くし、そのひとり、ニューオーリンズで暮らす女性が新しい彼女になってくれて、近いうちに会いに行く予定だとも。いまは大学に通っていて学業に専念したいと書き添えた上で、自宅にわたしを招いてくれた。

ヴァージニアの山奥にあるノリス家に着く頃には悪名高い霧も陽射しにすっかり追い払われ、拍子抜けがするくらいだった。そこは山の斜面を切り崩した道路沿いに10軒ほどの家が建ちならぶ一角で、屋根付きの簡易車庫のあるノリス家には、「売り家」の看板が掲げられている。ガラスをはめ込んだ防風ドアをリチャードが開けて、わたしを迎え入れてくれた。

リチャードは神経質な印象だった。震える手で、しきりにボトル入りの水を口に運ぶ。そのボトルをうまいこと咥えられずに、すするというより流しこむような飲み方をしていた。よだれがしょっちゅう垂れてくるので、タオルで口をぬぐってもいた。それに、人目をはばかる長年の習慣からか猫背気味になっていて、背筋を意識的に伸ばして歩いているのもわかった。

それでも顔は、完璧としか言いようがない。アイルランド系の頬骨と、小じわもなくすべすべとした大学生の肌。それが40歳も間近な男の肉体と同化している。わたしは、あまり無遠慮にじろじろと眺めてしまわないように努力しなければならなかった。しかしどうしても、縫い目を探して、首筋や耳の前側、瞼のあたりを目で追わずにはいられない。それに顎ひげも気になる。毎日伸びる顎ひげは、元々リチャードのものではないからだ。

リチャードの顔に不自然なところがあるとすれば、それは表情の乏しさだ。わずかにしか動かないその顔を見つめるうちに、彼の内面に立ち入ることを阻む障壁の手強さに気が重くなってきた。目の見えない幼児でさえ両親に感情を伝えるために表情をつくると言われているのに。

わたしは大学のことを訊ねてみた。クラスメートとの付き合いはどんな気分なのかとか、顔を移植したことをみんなは知っているのかとかを。 「いまは授業は取っていないんだ」と言うリチャードの声はくぐもっていた。まるで眼球のあたりか、どこか深いところから発せられているようだ。新しい唇、口、舌─それらを使って言葉を話すことじたいがたいそうなことなのだ。

リチャードのウソ

いまは履修の合間なのだとリチャードは答えた。はっきり言えば、大学になど行っていないのだ。受講しているのはオンラインのコースだ。ガールフレンドにしたところで、現実にはFacebookの友達であるに過ぎない。そのように、リチャードが公言していることの多くははかなく、幻のようなものでしかない。

リビングルームに案内されると、そこでは母親のサンドラがリクライニングチェアに腰を沈め、ラップトップPCを睨みつけて、指先に怒りをこめたかのようにキーを叩いていた。所在なく立つうちに、2匹のダックスフントがわたしの靴に鼻先をすりつけてきた。

「うちのワンちゃんたちがお気に召しましたか?」母親がラップトップを閉じて顔を上げた。肥満気味で二の腕も太く、年配主婦の典型像のような女性だ。ダックスフントの片方がそそくさと椅子にのぼり、彼女が膝にかけた毛布にもぐり込んで顔だけを覗かせた。わたしはこの家の家庭的な雰囲気や、裏のテラスからの眺めの素晴らしさを褒め讃えた。

「なら、買い取ってくれるっていうのかしら?」と、本気とも冗談ともつかぬ口調で母親は言い、ここは気の滅入る場所で、越してきたのは過ちだったと呟いた。そしてわたしに、となりのリクライニングチェアにかけるようにと手でうながした。

「うちは法定貧困線以下の暮らしだし、あたしは線維筋痛症を患っていてね、この電気毛布が手放せないんですよ」と問わず語りに言う。あの事故の後に古い家をリチャードの妹に譲り、両親と息子の3人でここに移り住んだのだ。辺鄙な山奥だというのに、いまクルマの運転ができるのは、長距離トラックの運転手を糖尿病のせいで辞めた父親ただひとり。母親は身体の痛みとこわばりで運転は無理だし、息子も万が一発作を起こすといけないのでハンドルは握れない。

リチャードが薬瓶を手に戻ってきた。移植した顔は他人のものなので、免疫による拒絶反応が起きる可能性がある。抗体が作られて異物を排除しようと顔を攻撃しはじめるのだ。その拒絶反応を抑制するために、毎日大量の薬を、生涯飲みつづけなければならないのだ。

「リチャードは煙草もやめとけと言われてるんですよ」と母親が言う。いや、それどころか、日焼けもだめだし酒も飲めない。転んでもいけないし、怪我をする恐れのあることは一切できない。ちょっとした切り傷からでも拒絶反応が引き起こされる恐れがあるからだ。そうなったら、ヘリで病院に救急搬送して静脈注射をしなければならない。それでも拒絶反応を抑えられなければ、ほぼ間違いなくリチャードは死に至る。

「顔が黄ばんでくるのが悪い兆候だから、そうならないように見張ってなくちゃならないんです」と母親が付け足した。「拒絶反応騒ぎになったことが、これまでに2回ありました」

きわめてリスクの高い手術だった。リチャードが生き延びる可能性は五分五分だとロドリゲス医師は告げた。移植した顔がうまく定着しなければ、リチャードは残存していた顔のすべてを頭蓋骨からはぎ取られているため、確実に死んでしまう。父のエディは、手術に反対した。「いつものリチャードの顔が俺は好きだ」とだけ言った。母親サンドラは、「息子が望んだことだから」と夫をいさめた。手術は大成功だった。

「ロドリゲス先生に出会えたのは神のお導き。先生には心から感謝しています」と母親は語る。

「でもね、リチャードが普通に働けるかと言えば、それは無理な相談です。しょっちゅう病院通いで休まなきゃならない人間なんかを雇うボスはいませんからね」と、口調を変えた。「好奇の目にさらされて、病院でいじり回される。あの子はね、結局は研究室のラットなんですよ」。最後に母親はぽつりと言った。

顔面移植と臓器移植

世界初の臓器移植は1954年に行われた腎臓移植。これは一卵性双生児同士での移植だったが、他人の臓器であれば拒絶反応がどうしても生じる。医療業界はその問題を克服し、近年では生体間の臓器移植も可能になったが、同時に臓器売買という倫理面での問題も浮上してきた。

顔面移植も臓器移植の歴史の延長線上にあるものではあるが、決定的に異なる点もある。顔は臓器ではなく、そこには筋肉や神経も、骨や皮膚もあるからだ。だから臓器移植というよりは、むしろ手や足の移植に近い。そしてそこにも、倫理面での問題がやはり出てくる。臓器とは違って、手足や顔の移植は患者の生存のために必要不可欠とまでは言えないからだ。

世界初の手の移植は1998年に行われた。患者は48歳のニュージーランド人男性で、移植された手が元々の手より大きく、ピンク色も濃いことに違和感を覚えた。結局は他人の手なので、うまく動かせず、やがて持てあますようになってしまった。「切り離してくれ」と医師団に訴えたが、聞き入れてもらえない。そこで男性は、免疫抑制の薬を飲むことをやめ、問題の手をつねに隠して変化を悟られないようにした。そしてとうとう、医師たちは移植した手を切除するはめになった。

そのことが、移植された組織の受容という問題を浮き彫りにした。肉体の拒絶反応を抑えるだけではなく、心が新たな組織を他人のものとして受容を拒む問題も考慮しなくてはならなくなったのだ。手ならまだしも、ニュージーランド人男性の例のように再切除することも可能だ。しかし顔なら? 2003年、イギリスの医療界で、顔の移植はまだ現実的ではないという見解が出された。

ところが2005年11月、世界初の顔面移植がフランスで行われた。手術を受けたのは、当時38歳のシングルマザー。彼女は同年5月に飼い犬のラブラドールに噛みつかれ、鼻から顎までを失っていた。噛み傷は深く、骨や歯が露出してしまった。彼女はふたりの娘を女手ひとつで育てていて悩み事が多く、厄介事を忘れたくて大量の薬を飲んだのだという。目が覚めて、煙草に火をつけようとしたが、唇ではさむことができない。そこで我に返り、あたりが血まみれであることに気づいたのだ。

しかし幸い、理想的なドナーが見つかった。自殺で脳死状態となった46歳の女性で、血液型も皮膚の色も合致するし、免疫の重要な要素であるHLA抗原も5つが一致した。ドナーの鼻から顎にかけての三角形の部分が切り取られ、彼女に移植された。手術から3カ月ほどを経て上唇や顎、鼻、口腔粘膜などに少しずつ感覚が戻ってきた。そして10カ月後には口唇を完全に閉じられるようになり、18カ月後には笑顔もつくれるようになった。そうして感覚や運動機能が戻るにつれて精神面での受容も進んだ。ドナーの死因は自殺だが、彼女も自殺を考えていた。やがて彼女は、ドナーを双子の姉のように感じはじめる。姉から顔とともに新しい人生まで授かったような気がしてきたのだ。

ロドリゲス医師

ロドリゲス医師がリチャード・ノリスと知り合ったのもちょうどその頃だ。彼は顔面移植の可能性を認識し、その準備に取りかかる。やがてパリに赴き、2008年に顔のほぼ全面に及ぶ移植手術を受けた30歳男性パスカル・コーラーとランチを共にする。コーラーは珍しい遺伝性疾患で顔に大きな腫瘍がいくつもあったのだが、移植を受けて劇的に容貌が改善していた。特大のステーキをほとんど不自然さを感じさせずに咀嚼するコーラーの姿にロドリゲスは驚きを隠せなかった。コーラーに好奇の目を向ける者などどこにもいない。彼にはいまや仕事があり、ガールフレンド候補すらいる。なんてことだとロドリゲスはあえいだ。これはただの医療行為ではない。人の人生をすっかり変えてしまえるほどの大事業なのだ。

ロドリゲス医師は解剖用死体を使って動脈や神経をつなぐ練習をくり返し、コンピューター・シミュレーションで仮想の手術を何度もこなした。そのいっぽうでロドリゲスは、患者選びが大切であることも認識していた。過去の手術例から、移植された顔を肉体のみならず精神面でも受容できなければ、患者が新しい人生に踏み出すことはできないからだ。

リチャード以外にも、候補者は2、3人いた。ロドリゲスは悩んだ。顔面移植手術は、いったん取りかかれば後戻りはできない。とにかく成功させるしかないし、患者にも、リスクの大きい手術に耐え、術後の不安な日々を乗り越える精神力が求められる。ロドリゲスはリチャードの身体の一部を使った移植手術をくり返すうちに、この男なら大丈夫だ、彼なら信頼できると確信する。そしてリチャードを手術対象に思い定める。

2012年3月19日、大手術が始まった。全面顔移植は世界初ではなく、2010年にスペインとフランスでそれぞれ成功していたが、これほど広範囲に及ぶ手術は前例がなかった。移植するドナーの顔は血液の供給を断たれた状態になる。だからできるだけ早く接合しなければならず、それが遅れれば遅れるほどひどい拒絶反応が起きる恐れも大きくなる。

ロドリゲス医師は何度も練習したとおりに、動脈と動脈を、静脈と静脈を縫い合わせる。そして止めていた血流を解き放つと、奇跡のようなことが起きた。ドナーの顔にリチャードの血が流れ込んで、蒼白だった鼻が少しずつ血色を帯びていく。それから神経をつなぎ合わせ、舌を縫い合わせ、残りの部分も縫合していく。手術は成功だった。

研究室のラット

リチャードの母親がぽつりと言った、“研究室のラット”という言葉が胸に引っかかっていた。わたしは彼への取材をつづけた。

ある日、霧深い山奥のリチャードの家で、わたしたちはすっかり退屈していた。そこで、ドライブに出かけることにした。しばらく走って店に通りかかると、ここでちょっと止めてくれと頼まれた。「喉にいいものを」とリチャードはクルマから降り、やがて茶色の紙袋を抱えて戻ってきた。そしてわたしたちはドライブを続け、幾重にも連なる山地をうねる道を走りつづけた。

リチャードは、破損したiPhoneを修理する会社を起ち上げようと考えているという。ひとしきりその話をしてから、ガールフレンドの話もした。「メラニーっていうんだ」と彼は証拠を提出するかのように写真をポケットから出した。研究室のラットであることについても訊いてみた。むしろ誇らしく思うと彼は答えた。彼の事例を、医師たちは銃創で顔を損傷した兵士の治療に役立てることができるからだ。リチャードは人助けを率先してやる性格で、世のため人のためになることを励みに感じる男なのだ。「一滴の希望も集まれば海になり、ちっぽけな信念もつながり合えば世界になる」と助手席で呟く。リチャードは苦悩の淵で身にしみたのか、格言めいた言葉をよく口にする。新しい顔に、ドナーのヨシュアに、彼は深く感謝していた。臓器移植への世間の認知を高めるために骨折っているのだと彼は言った。リチャードはその分野での国民的シンボルのような存在になっていた。

「その通りだわね」とわたしは答えた。

「喉の調子が」と彼が言う。だいぶ標高が高くなり、鼓膜が張ってきていた。リチャードは茶色の紙袋に手を伸ばし、ワイルドターキーの瓶を取りだした。「喉にいいものをね」と重ねて呟く。リチャードは市販薬を飲むことはできない。リスクが大きいからだ。足元に置いたバックパックを彼はひらき、太い注射器型の容器とチューブを取りだした。チューブを容器につなぎ、シャツの裾をまくった。ハンドルを握っているわたしは、助手席で彼がしていることを見なかったことにしなければ、などとおぼろげに考えていた。リチャードのみぞおちには接続口があり、そこと容器をチューブでつなぐと、注射器型容器の開口部を彼は上に向けた。

ワイルドターキーの栓をあけ、とぷとぷと注ぎいれる。

「リチャード、ロドリゲス先生が見たらどう思うかしら?」

大量の服薬も、酒や煙草が禁じられていることも、転ぶことすらできないことも、研究室のラットであることも、すべてがリチャードの生きる苦しみなのだ。

「止めてくれ。酒がうまく入っていかないんだ」

わたしはクルマを道ばたに止めた。対向車も後続車も通らない。深い山奥に一台きりだ。

リチャードが注射器型容器を傾ける。すると琥珀色の酒がみるみるなくなっていく。

「食事はいつもこうやっているの?」

「いや、そういうわけじゃない」

「これが喉にいいっていうの?」

「ぼくは市販薬は飲めないから」と同じことをくり返す。

リチャードにまつわる一切ははかなく、幻のようなものだ。彼はまたワルイドターキーを注射器型容器に注ぎ、胃に流しこんだ。わたしはその一部始終を目の当たりにしながら、白昼夢を見ているような心地がしていた。「リチャード?」。彼が動いていないことに気づいて、肩を揺する。「リチャード?」。反応がない。なんてことだ。彼は死んでしまったのだ。わたしは頭が真っ白になり、指先から血の気が引いていくのがわかった。ふと、その指先に温もりを感じる。湿ったぬくもり。やがて寝息も聞こえてきた。リチャードは生きていたのだ。けれど、その息が届いてくるのは元々他人のものだった鼻孔を通してだ。わたしは訳がわからなくなった。その場から引き返し、急いで山を下る。酔っ払ったリチャードを半ば抱えて防風ドアを蹴りあけ、母親のリクライニングチェアに座らせた。

リチャードと母

リチャードの母親に、ワイルドターキーの顛末を話さなければと思った。けれども相手は偏頭痛がひどく、薬のせいで薄ぼんやりとしていた。父のエディは部屋の片隅で2匹のダックスフントに餌をやっている。

「リチャードは、煙草も喫ってはいけないんですよね?」と、わたしは切り出した。

「ええ、たしかに。おわかりだろうけど、時たま、記憶をなくすまで深酒しますからね」

ああよかった、と私は思った。私だけが彼の飲酒を黙認したわけではなかったからだ。しかし、もちろん「よかった」なんてことは、いえないのだが。母サンドラは神を、ロドリゲス医師のことを語りはじめた。「神のお導きです」。いつだって、話はロドリゲス医師に戻っていくのだ。それにしても、1997年のあの日、ほんとうは何があったのだろう。あるe-bookでリチャードは、泥酔して家に帰り、母親にひどく悪態をついたのだと語っている。警察の報告書では、銃庫で傾いたショットガンを直そうとすると暴発したということになっているが、それには疑わしい部分もある。母親と口論の果てに、リチャードが銃口を自分に向けたという話もあるのだ。

「しかし気色悪いのは、わたしがロドリゲス先生を見つけたのとほとんど同時に、あの子のガールフレンドも先生を見つけたってことです」「ガールフレンドですって?」。わたしはあえいだ。移植を受ける前にも彼女がいたということなのか?「その娘もネットで医者を探してました。わたしと相前後して先生を見つけたってことですね」。

「ガールフレンドって、ほんとうなの?」。わたしはリチャードに視線を向ける。

「昔の彼女さ。看護師になるために大学に通っててね」とリチャード。

わたしは目眩がしそうだった。あの事故は1997年。手術で顔を取り戻せたのが2012年。

「顔が損なわれていた時期にも、あなたには彼女がいたってことなの?」

「2年間、アパートで一緒に暮らしたよ」

この霧深い山奥に隠者のように引きこもり、外出時にはマスクをつけたと聞いていたのに。

「ぼくはレース場で働いていた。顔のことなんか誰も何も言わなかった。言われたのは、レースカーのチューニングをうまくやれってことだけだったな」

「彼女に仕事、それにアパート? あなたは人生のすべてを味わっていたのね」。胸に抱いていたリチャードの人物像が崩れていった。

一滴の希望

記者会見の場に、リチャードは正装をし、蝶ネクタイを結んで現れた。つめかけた報道陣が拍手喝采で彼を迎える。

「おめでとう、リチャード!」

「きみの勇気はたいしたものだな」

リチャードは、いつもの格言を口にした。

「一滴の希望も集まれば海になり、ちっぽけな信念もつながり合えば世界になる。信じる心を困っている人たちに示しましょう」

拍手喝采が割れんばかりになる。「きみはまさしく、天の使者だな」とどこからか声が飛ぶ。記者から次々に質問が飛び、その都度リチャードはロドリゲス医師とともに丁寧に答えた。わたしは会場の片隅で、ワイルドターキーの顛末をここで持ち出すべきかどうかを考えていた。後日、リチャードから電話がかかってきた。あと少しでメラニーに会いにニューオーリンズまで出向くので、その前に連絡をしようと思ったのだという。

わたしは胸が熱くなった。彼は小ずるく、手に負えないところもあるけれども、なんだかんだ言って根はいいやつだ。けれどもわたしは少し心配になった。あの霧深い山奥から外の世界に踏み出したなら、いったい誰が彼を見守るのだろう? リチャードはそこらの彼氏とは違う。研究室のラットなのだ。誰が身の回りの世話をして、誰がクルマを運転してやるのか?

ある日、Skypeの画面にメラニーが現れた。可愛らしい女性だった。リチャードが隣で手をふっている。メラニーは仕事から帰ってローストビーフをオーブンに入れたところだった。リチャードが洗濯ものを畳んでいる。彼の世話がしたいのとメラニーはいう。どうして? と訊くと、「恋に落ちた理由って言葉で説明できるものかしら?」と切り返された。

リチャードは垂れてくるよだれをしきりにタオルでぬぐっていた。医療界のロックスターのごとき評判についてはメラニーはひと言も口にしなかった。ただ、彼の優しさが好きなのだという。人生で何度も嘘をつかれ、邪険に扱われてきた。リチャードは奇跡の人でも天の使者でもなんでもない。ただ、彼と一緒にいたいだけなの。ここまで彼を特別扱いしない人を見るのは初めてだった。メラニーなら、顔の移植を受ける前のリチャードとも付き合っていたかもしれないと思った。

わたしはふたりの幸せを祈ってPCを閉じた。

もっとも困難な顔面移植手術
The World's Most Daring Transplant

Image: Courtesy of Pixelmolkerei.ch

リチャード・ノリスへの顔面移植手術は困難を極めた。血液型はもちろん、骨格や皮膚の色も一致するドナーを見つけねばならず、見つかる確率は14%しかないと医師団は踏んだ。150人を動員した手術は36時間に及んだ。

2012年3月19日の払暁に手術は始まり、まずはリチャードの頭頂から喉にかけての部分にメスが入れられた。

リチャードの元々の顔は切除され、頭蓋骨、眼窩、咽喉、首の筋肉が露出した。

まるごと切り取られたドナーの顔が接合される。ハンマーと鋸で新しい上顎が整形され、金属板とネジでドナーの顔がリチャードの頭蓋骨に固定された。

手術後も続くケアの方法

最初の数日
きわめて敏感な顔を保護するため、ひげ剃りや歯磨きも控える。接合面の縫合が損なわれる恐れもあるし、わずかな切り傷でさえ、危険な腫れ物や炎症を引き起こしかねないからだ。

最初の6カ月
免疫を抑制し激しい拒絶反応を回避するために、大量の薬を飲み続けねばならない。体力が弱った状態では単なるヘルペスですら重篤な病を招きかねず、友達とコーラを回し飲みするという程度のありふれた行為でさえ感染症を引き起こしかねないので、抗ウィルス薬のたぐいも飲まねばならない。薬のせいで糖尿病や関節炎、腎機能障害を起こすリスクにも気をつけねばならない。胃につないだチューブで1日に30もの薬を飲むこともある。

それから一生涯
最近では朝に3錠、夜に2錠を内服し、免疫系の力を50%程度に抑えている。一般的な感染症を防げると同時に、新たな顔を抗体が攻撃するのを防げる程度にだ。日焼けや煙草は生涯控えねばならず、月に1度は通院しなければならない。