CULTURE

辻元清美さんに訊く。政治はLGBTQ+をめぐる状況をどう変えていけるのか?

ここ10年ほどのあいだに、企業の参画などによって大きくなったLGBTQ+のムーブメント。同時に、政治の世界でも重要なイシューになっている。性的マイノリティについて政治家はどう考え、どのように社会を変えようとしているのか。以前より、セクシュアリティやジェンダーをめぐる人権や、その平等の実現のために積極的に活動している前衆議院議員の辻元清美さんに、クイア・マガジン『Over』編集長の宇田川しいが話を訊いた。

7月10日投開票の参院選比例代表に立候補する辻元さん。街頭演説をするために全国44都道府県をまわる彼女が、移動と食事の合間を縫って話をしてくれた。COVID-19の感染防止対策を徹底して取材と撮影を行った。

LGBTQ+イシューは、より根元的な人権の問題

──今日は襟にレインボーのピンを着けてきてくださったんですね。

辻元清美:これは今日だけでなく、プライド月間も関係なく、いつも着けているんですよ。

──たしかに、辻元さんは以前から、LGBTQ+関連の集まりやデモに顔を出されていますよね。

辻元:東京レインボープライドなど、プライドパレードには何度も参加しています。深刻な問題だけど、明るく発信していますよね。渋谷の街をパレードしていて、沿道の人たちが手を振っていたり、デパートがレインボーのフラッグを出していたりするのを見て、昔と比べれば進歩したな、とは思います。ここ数年、LGBTQ+についての理解が深まり、企業もLGBTQ+フレンドリーでないと国際的にも認められないという空気になってきた。自治体レベルですが、パートナーシップ条例が全国的にひろがっていることは嬉しいですね。

──辻元さんは、これまでLGBTQ+の差別禁止法や、障害者差別禁止法の成立、夫婦別姓の問題についても取り組んできました。LGBTQ+の問題は、人権や差別についてのひろい問題のなかの1つ、と捉えているということでしょうか。

辻元:そうですね。だけど、ほかの問題より、もっと根元的だと思うんですよ。自分の性同一性をどう認識するか、あるいは、誰を好きになるかっていうのは自分の問題だから。誰が誰を好きになるか、愛するか、結婚するかは個人の自由であって、法律で“これはいい、これは悪い”と決めるような話じゃないでしょう。

──6月20日に大阪地裁で同性婚についての判決がありました。札幌地裁の判決では同性婚ができないのは「違憲」とされたのに、大阪では「同性婚が認められないのは合憲である」という残念な判決でした。ただ、同性婚については実現に向かって少しずつ進んでいる気はします。

辻元:憲法24条に、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」とあるから、「同性」では結婚はできない、と言う人がいます。この表現については「両者の合意」とするのが一番いいんでしょうけど、でも「両性」というのは別に男性と女性に限らず、男性と男性でも、女性と女性でも両性だ、という解釈だってできるわけです。

──あるいは、「両性」というのが男性と女性だとしても、この憲法で規定しているのは両性婚であって、同性婚については言及されておらず、もちろん禁止もされていない、という考え方もあります。

辻元:そうですね。憲法が作られた当時は、同性の結婚については想定されていませんでした。ただ、わざわざ「両性の合意のみ」と書いたのは、女性を守るためだったという歴史的な経緯ははっきりしています。過去に家制度のもと、家長の意志で無理やり結婚させられる女性がいたから、そういうことをなくそうという意図ですね。だから、「同性で結婚しちゃダメ」なんてどこにも書いていない。

──保守派の人たちが、とにかく難癖をつけて同性婚を阻止しようとしているだけ、という感じがします。

辻元:ほんとうにね。私は、じつは自由民主党でも、同性婚に賛成の人のほうが多いんじゃないかって思うんですよ。一部の人たちだけですよ、強硬に反対してるの。安倍(晋三)さんたちだけでしょ。

レインボーのピンと、「NEVER GIVE UP=へこたれへん」のエンブレムパッチを着けて登場した辻元さん。パッチのデザインは、ヴィンテージショップ「DEPT」のオーナー兼バイヤーであり、アクティビストのeriさんによるもの。

アメリカの学生が日本に行きたくない3大理由

──同性婚に反対する合理的な理由って思いつかないですよね。復古主義的な考え方をもつ支持団体の顔色を見ているだけなんでしょうね。

辻元:だってね、“結婚の平等”が実現して誰か不幸になる? そう、私は「同性婚」という言葉より「結婚の平等」という言い方が好きなんですよ。だって、同性婚というと、何かそうした特殊なものがあって、特別に認めてあげる、みたいなニュアンスになるでしょう。そうじゃなくて、すべての人に平等に結婚の権利を、というのが本来あるべき姿だと思うんです。男性と女性でもいいし、男性と男性でも、女性と女性でもいいし、すべての人に結婚の自由を、というくくりで考えていきたいんです。それでね、結婚の平等が実現しても誰も不幸にならないんですよ。幸せになる人が増えるだけです。

──なにか特別な権利を要求しているわけではなく、権利を侵害するのをやめろ、って話なんですけどね。平等や人権について、日本はもう少し意識を高めないといけない気がします。

辻元:アメリカの、ある大学で教えている日本人の先生が言っていたことですが、学生たちに日本に留学しないか?って勧めると「いやだ」と言われるそうなんです。その3大理由が、ひとつはジェンダー平等が達成されていないから。結婚によって名字を同じにしなきゃいけないなんて考えられない、と。もうひとつがLGBTQ+への差別。それから、ヘイト。そうしたことが横行している国には行きたくないって。

──耳が痛いですね……。

辻元:ジェンダー平等反対とLGBTQ+への差別、そしてヘイト。この3つをやってるのは同じ人たちだと思いますよ。そんな日本は恥ずかしいですよ。

──日本が特殊であることに誇りをもつようなタイプの人っていますからね。

辻元:それが伝統なんだ、とか言ってね。私が総理大臣になったら、すぐに結婚の平等を実現しますよ。だって予算措置も必要ない、ただ、解釈を変えて認めればいいだけなんだから。防衛費みたいに何兆円って話じゃない。目の前で苦しんでいる人たちを、まず助けろよって思います。

「誰が誰を好きになるか、愛するか、結婚するかは個人の自由であって、法律で“これはいい、これは悪い”と決めるような話じゃないでしょう」と辻元さん。

結婚平等法は我がこと。早急に成立させたい

──辻元さんが所属する立憲民主党は、「結婚の平等」についてどんな動きをしていますか?

辻元:「結婚平等法」という法案を既に提出しています。尾辻かな子さんや、石川大我さん、それから北海道議会議員の渕上綾子さんなど、立憲には当事者が何人もいます。尾辻さんは昔から知っていて、親友でもあります。今日も、私の事務所にいて手伝ってくれています。オープンリーゲイでジャーナリストの北丸雄二さんとも、じつは古い付き合いです。

──北丸さんと? それは、知りませんでした。

辻元:もう40年くらい前ですけど、私がピースボートを始める時に、ギリシャまで船を借りに行くことになって、当時はまだ東京新聞の記者だった北丸さんを誘って一緒に連れて行ったんです。そうして大勢の当事者の人と長い付き合いがあるから、結婚の平等については我がことのように感じている。だから、結婚平等法はなんとしても成立させたいんですよね。

──尾辻さんは昨年の衆院選では残念な結果になってしまいました。ぜひ、辻元さんともども復活して欲しい。そもそも、日本は国会議員に女性が少なすぎます。クォータ制くらいやったほうがいいと思うのですが。

辻元:クォータ制、選択的夫婦別姓、婚姻の平等、さらに被選挙権を18歳まで引き下げること――参議院なんて、立候補できるのは満30歳以上ですよ、このあいだ話題になったフィンランドのマリン首相は36歳だっていうのに。これは実現すべきです。社会を変えるってことは経済成長にもつながりますからね。みんなが伸び伸び活躍できる世の中になればいい。あと、本当は世襲制限もやりたいんですけど。

──現状、政治家に世襲が多すぎるため制限すべきとは思いますが、それをやるのは憲法14条で禁止されている「門地による差別」だという人もいます。

辻元:だから、立候補はできるけれど、親の選挙区以外から立候補する、というようなルールを決めればいいんです。

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声を上げ続けるために、決して暴力には屈しない

辻元:さっき話に出たフィンランドのマリン首相は、子どもの頃に両親が離婚して、その後、お母さんと、その同性パートナーに育てられたんだそうです。日本は養子縁組が少ないんだけど、それが増えて、同性カップルも当たり前のように養子縁組をして、子どもを育てられるようになればいいですよね。

──ほかの先進諸国と比べると、日本は多様性や人権といった点でほんとうに劣っていると思います。

辻元:政治は遅れていますね。でも、民間では変わってきていますよ。このあいだ聞いたニュースでは、京都の老舗のお茶屋さんがカフェを作ったと。そこのトイレをオールジェンダートイレにしたんですって。それを聞いて、「よっしゃ!」と思ったんですよ。もうね、宇治の老舗でもそうしないと通用しない時代なんです。外国から観光や仕事で人が大勢来るようになって、日本だけ独自規格というわけにはいかなくなっている。

──商売をやっている人は世情に敏感ですから、どんどん変わっていってるんですね。

辻元:逆に官公庁は旧態依然で、書類の日付が令和とか平成とかの和暦で、外務省が令和になるタイミングで原則を西暦表記にしようとしたら、自民党から反対が出て実現しなかった。

──よくわからないこだわりですね。和暦は不便極まりない。

辻元:ほんとにめんどくさいね。めんどくさいのも困るけど、そうしたところに考え方がすべて表れている気がします。旧態依然たるイデオロギーが、ね。家が大事で、夫婦は同じ姓であるべきで、女は産めよ増やせよで、そしてもちろん、結婚は男女じゃなきゃいけない。

──ああ、和暦にこだわるような人たちは、戸籍も大好きですよね。

辻元:そうした考えをまだ引きずっている人たちが、自民党のなかで一定の力をもっている。なんで今、生きている人が自由に結婚できないの?って。辛い思いをしている人がいるんだから、イデオロギーより、そうした人たちをなんとかするべきでしょう。

──古臭い思想に囚われた人たちによって、辻元さんは攻撃されることもあります。デマを流されたり、先日は事務所に侵入されたりもしたそうですね。

辻元:バックラッシュですよ。LGBTQ+やジェンダーの問題について、とくに若い人たちの理解は進んで、もう当たり前なんだって意識になってきた。そうした状況に焦っている人たちが攻撃を仕掛けてきている。今が日本の将来を決める別れ道なんじゃないか、という空気を感じます。このあいだ事務所への侵入事件があったから、怖いけれど、だからといってここで戦いをやめてしまったら言論に対する暴力に屈したことになる。そして、ほかの人も声を上げにくくなる。

レインボーの傘を差す辻元さん。取材と撮影は6月某日、梅雨の最中に行なった。

政治は、あらゆる人たちの人権を守り、平等を達成するためにある

──声を上げる、というのはとても大切です。

辻元:私は、今回の選挙で「声をかたちに、つながりを力に」というキャッチコピーを掲げています。「声をかたちに」というのは、可視化するということ。「自分たちはなぜ結婚ができないの?」「私たちは差別されている」というように声を上げる。昔は、みんな我慢していたから、問題が可視化されなかった。そうやって、誰かが声を上げて問題が見えてくると、ほかの人たちも「自分もそうだよ」「私も悩んでいた」「自分だけじゃないんだ」と声を上げはじめて、そして、それがつながっていく。つながりが大きな力になって、法律を変えたり、社会を変えていくことができる。

──実際に、そうやって声を上げることによって社会は変わってきましたよね。

辻元:そうです。たとえば、私は以前、DV防止法という法律を作りましたが、昔は“家庭内のことだから”とか“家の恥”とか、女性が暴力を受けても黙らされていた。でも、女性たちが「外での暴力も、家の中の暴力も同じだ」と声を上げはじめた。「路上で男の人が女の人を殴ったら逮捕されるのに、なぜ家の中だと逮捕されないの? 同じ暴力でしょ?」と。そうして問題が可視化されて、女性たちや支援者がつながって力になり、法律ができた。

ほかにも、私はNPO法や、被災者生活再建支援法などを作ってきましたが、どれも、当事者と支援者が声を上げることからはじまっています。結婚の平等については、すでに可視化され、つながりが大きな力になっています。ですから、結婚平等法はすぐにでも実現させたい。まあ、今は私、落選してますけどね(笑)。

──ぜひ返り咲いてください。

辻元:アメリカでは2015年にすべての州で同性間の結婚が合憲になりました。その時、オバマ大統領がホワイトハウスをレインボーカラーにライトアップした。あれを日本でもやりたい。東京タワーやスカイツリー、日本中をレインボーに染め上げたい。それが夢です。

性的マイノリティの人たち、とくに若い人たちがセクシュアリティについて悩んで、自ら命を絶つような社会はおかしいですよ。政治というのは、あらゆる人たちの人権を守り、平等を達成し、ひいてはすべての人が幸せに生きられるようにするためにあります。ですから、人を好きになることによって、なにか辛い思いをする人がいるというのは、まず真っ先に解決しなければならない問題です。

すべての人が平等であることや、人を愛すること、そして「誰と生きていくか」ということは、基本的人権の最たるものです。私は、結婚の平等を実現することは、日本の社会を大きく変えると思っています。そして、すべての人が幸せに生きるためには、戦争だけは絶対にしてはならない。政治は戦争をさせないためにある、とも思っています。

文・宇田川しい

写真・竹之内祐幸

PROFILE

辻元清美

1960年奈良県生まれ、大阪育ち。早稲田大学在学中に国際NGO設立。1996年、衆議院選挙にて初当選。2000年ダボス会議「明日の世界のリーダー100人」に選出。連立政権で国土交通副大臣、災害ボランティア担当内閣総理大臣補佐官就任。2017年10月、立憲民主党の結党時より同党の国対委員長を2年間務めた。立憲民主党所属の前衆議院議員(7期)、立憲フォーラム幹事長。