「こんばんは、北大路欣也です」──2021年メン・オブ・ザ・イヤー・レジェンド賞

2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」のナビゲーター役として、かつて幾度も演じた徳川家康役で登場し、話題をさらったレジェンド・北大路欣也。芸歴65周年を迎えた現在も時代劇、現代劇をまたいで活躍するそのエネルギーはどこからくるのか。

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Maciej Kucia

Men of the Year Legend Award

メン・オブ・ザ・イヤー・レジェンド賞

北大路欣也(俳優)

「こんなこともできるよ」。そう言って茶目っ気たっぷりに笑った北大路欣也は、フォトグラファーに向かって軽快なダンスのステップを披露した。

ミュージカルに出たこともあるんだ。そのときはおぼえるのにすごく苦労したけど、体がおぼえているもんだねえ」

2021年で芸歴66年目。80本以上の映画、100本を軽く超えるドラマで活躍してきた。日本映画の黄金期とテレビの黎明期を通り抜け、いまもなお、時代劇から現代劇まで数多くの作品に出演を続ける。

昨年は、大河ドラマ「青天を衝け」でドラマ冒頭に登場するナビゲーター役として徳川家康を演じ、「こんばんは、徳川家康です」と語りかけるセリフが話題となった。

Maciej Kucia

「最初にオファーをいただいたときは戸惑いました。え?なにこれ?って(笑)。設定がよくわからないし、キャメラに向かっての演技をしたこともない。で、よくよく聞いてみると、この徳川家康は、過去も現在も未来も俯瞰できる目線を持った存在である、と。僕にとって家康は、俳優という仕事を支えてくれた神のような存在なんです。1964年に1年半の間ドラマで演じて以来、何度も演じてきた。その家康がナビゲーターになって、渋沢栄一の活躍を見守るというのも面白いかなと思い、引き受けることにしました。でもね、最初に『こんばんは』って言うときは、難しかったねえ。どういうふうに言えばいいのか、すごく迷いました(笑)」

Maciej Kucia

「ボン、君やりなさい」

デビューは1956年、12歳のときだった。時代劇映画の大スターだった父・市川右太衛門のもとに、プロデューサーが訪ねてきてこう言った。勝海舟父子の物語を描く映画『父子鷹』の子役が見つからない。ついては、年のころ相応の右太衛門の次男に演じさせてはどうかと。

「父は断ったらしいんですが、プロデューサーの方は『ボン、君やりなさい』と勧めてくださる。まだ小学生だった僕は、大きくなったら野球選手になりたいなんて夢を見ていました。俳優になるなんて考えたこともなかった。父からもそんなことを言われなかったし、もちろん経験も訓練もない。だからすぐに返事ができず、『しばらく考えさせてください』と言ったんです。でも台本を読んだら、子どもながらに素晴らしいなと思いました。もともと肩車で映画を観に連れて行ってもらったり、京都の南座に父に付いて、芝居を観に行ったりするのは好きでした。近所に紙芝居が来たら走って観に行っていたし、ラジオドラマも楽しみにしていた。だから興味はあったんですね。それで父に『やらせてください』と言ったら、父は『そうか……やるのか。大変だぞ』と。そこから1カ月間、歩き方、衣装の着方からセリフの言い回しまで、猛特訓が始まったんです。それは大変でした」

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Maciej Kucia

撮影が始まっても、父・右太衛門からはなんの助言もなかった。すぐ隣で演じているにもかかわらず、失敗しても、うまくいっても、なにも言わない。

「僕が泣くシーンがあって、何度やってもうまくいかない。見かねた母親役の長谷川裕見子さんが『欣也ちゃん、あなたはちゃんと演じられているから安心して。泣くときは私の顔と目だけを見ればいいから』と言ってくださったんです。僕はそれまで自分のやるべきことを果たすのに必死で、まわりをまったく見ていなかった。いや、見れなかった。いざ本番、そこで長谷川さんの目から涙がこぼれ落ちるのを見た。僕も自分でも驚くくらい自然に涙を流すことができた。そしたら、まわりのスタッフがみなさん『ボン、がんばったな』と声をかけてくださった。そのとき初めて、自分はひとりじゃない、みんなの支えと情熱があって作品ができあがっていく、ということを知り、俳優という仕事は素晴らしいなあと感動を覚えました。本当に裕見子さんに大感謝です」

Maciej Kucia

北大路欣也といえば、「半沢直樹」シリーズでも話題になった〝眼力〟という言葉が浮かぶ。クワッと目を見開いてカメラを見る目線は、確かに誰よりも鋭く、強い。だが、いったんカメラの前から離れると、その目には優しさと温かさと、好奇心が宿る。話し口調や立ち居振る舞いは上品で、人としての奥深さを感じさせるが、少年のような無心の朗らかさが時々見え隠れする。かつての京都の撮影所の人々が彼を「ボン」と呼んで可愛がったことが容易に想像できる。

Maciej Kucia

ドアを開けたら三島由紀夫がいた

学生時代は、夏休みや冬休みのたびに、まわりに言われるまま俳優の仕事をした。だが、どこかアルバイトのような感覚で、それが一生の仕事になるという気はしなかった。北大路が腹をくくったのは、早稲田大学第二文学部に在籍中、『リア王』の舞台に立ったときだったという。

「それまで大学で舞台をやるというときも、僕は大道具係とか衣装係とかの裏方をやっていたんです。でもそのときは、まわりの仲間が『どうせお前は卒業したらチャンバラを一生続けるんだから、1度はシェークスピアをやっとけ』と言うのでエドガー役をやることになった。でも実際にやり始めたら、みんなに『お前プロなのに下手だなあ』とこき下ろされて(笑)。こっちは舞台なんかやったことないですからね。でもなんとか舞台に立つことができました。大隈講堂とイイノホールで2回公演でした。とにかく必死、一生懸命だったんですが、最後の最後、スーッと幕が降りて、舞台と客席が隔てられる瞬間、体が震えるくらい感動しました」

Maciej Kucia

この学生演劇の舞台が、その後の北大路の人生を変えることになる。このときの舞台を観た日生劇場の関係者が二代目尾上松緑主演の舞台『シラノ・ド・ベルジュラック』(1964年・クリスチャン役)に彼を推薦したのだ。

「そんな大きな舞台に出演するだけの技術も経験もない。僕は『なんにもできません』と言ったんですが、松緑さんが『それでもかわまない』と言ってくださった。その懐の深さに感銘して、精一杯力の限りやらせていただこうと思い、出演を決意しました。いざ稽古が始まると、演出家からはダメ出しの嵐。それでも松緑さんは黙って見守ってくださいました。その温かさ、大きさに支えられましたね」

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Maciej Kucia

明日が初日という夜。演技に自信が持てず、楽屋で思い悩んでいた彼のもとに思いがけない客が訪れた。

「ドアを開けたら、三島由紀夫さんが立ってらした。『あっ、三島由紀夫先生だ!』って驚いていたら、どうやら稽古を観てらして『君、よかったよ。がんばってね』と声をかけてくださった。ものすごく勇気をもらいました。それでも初日は〝大緊張〟しまくって、舞台に踏み出すことができない。最後は松緑さんにお尻を思いっきり叩かれて、その勢いで本舞台へ……。本当にいろいろな方々に支えられ、見守られながら俳優という仕事を今もやらせてもらっているんですよ」

摂氏42℃からマイナス26℃まで

北大路は、自らを「恵まれた環境に生まれ、レールに乗せられ、苦労知らずでやってきた」と語る。でもそれだけでは、生存競争の激しい俳優の世界を60年以上生き抜くことはできないだろう。そこにはなにか理由、秘訣があるのではないか?そう尋ねると、しばらく考えたあと、彼はこう答えた。

「役を演じる上では、いろんな経験をしてきましたからね。そういう意味では鍛えられたのかもしれません。『ボルネオ大将赤道に賭ける』(1969年)という映画では、42℃というとんでもない気温のなかで40日間撮影をして、体の皮が3回むけました。『アラスカ物語』(1977年)ではマイナス26℃のなかで撮影したし、『漂流』(1981年)では、3年がかりでスコットランドや諏訪之瀬島など、いろんな島に行って過酷な撮影をしました。『八甲田山』(1977年)もとにかく大変だった。普通のロケとは逆で、吹雪が来るのを待って撮影をするわけです。あの映画では高倉健さんの〝高倉隊〟と〝北大路隊〟が分かれて撮影していたんですが、5時間くらい吹雪待ちをしていると、全員が凍えきってしまう。そこでキャメラの木村大作さんに『まだですか?』と聞いたら、『高倉隊は6時間待ったぞ』との返答。そう言われると待つしかないじゃないですか(笑)。どの作品も撮影した当時は、本当につらかったけど、いまとなってはすべてが自分の俳優としての血となり、肉となっていると感じます。大自然の怖さ、凄まじさ、そして美しさと向き合い、その日その日を懸命に生きてきた人たちの人生を必死で演じる。そういった俳優としての経験、体験のひとつひとつがいまの僕を作り上げてくれたんだと思います」

先輩たちに少しでも追いつきたい

凛とした立ち姿や溌剌とした表情。そして楽しそうに語る姿は、まったく78歳という年齢を感じさせない。60年以上走り続けてもなお、その存在感は、年々高まっているようにすら感じる。彼の衰えないモチベーションの源はいったいどこにあるのだろうか?

「多くの俳優の先輩方、監督、スタッフの皆さん、そして私の父も、生ある限り、すべてのエネルギーを注いで自分の仕事に打ち込んでこられました。偉大な先人の皆さんとご一緒に仕事をさせていただいたことが私の最大の財産です。そんな皆さんに追いつきたいと思うんです。私なんてまだまだ。もっともっとがんばって、先人の見ていた景色を少しでも感受できればいいなと思っています。初めて出た映画の『父子鷹』や学生時代の演劇の『リア王』のときに味わった感動は、色あせていません。あの感動、興奮をいまも追い求めている感じです」

軽やかなダンスのステップを見る限り、まだまだ走れることはまちがいない。彼にはもっと見せてほしい景色がある。伝えてほしい経験がある。なによりその屈託のない笑顔をもっとずっと見ていたいと思った。

Maciej Kucia

Kinya Kitaohji

1943年 俳優・市川右太衛門の次男として生誕
1956年 映画『父子鷹』で映画デビュー
1964年 『シラノ・ド・ベルジュラック』で舞台デビュー
1968年 大河ドラマ「竜馬がゆく」で主演
1977年 映画『八甲田山』で日本アカデミー賞主演男優賞ノミネート
2007年 紫綬褒章を受章。ソフトバンクのCMで白戸家のお父さん(犬)に起用
2014年 連続ドラマ「三匹のおっさん」で主演
2015年 旭日小綬章を受章
2021年 大河ドラマ「青天を衝け」でナビゲーター役として徳川家康を演じる

1943年京都府生まれ。1956年、映画『父子鷹』でデビュー。NHK大河ドラマには1968年の「竜馬がゆく」をはじめ、計8作品に主演・出演するなど、国民的な俳優として活躍をつづけている。代表作に映画『八甲 田山』(1977)、『火まつり』(1985)、舞台『NINAGAWA・マクベス』(1998)などがある。

Photos マチェイ・クーチャ Maciej Kucia@AVGVST 
Styling 五十嵐堂寿 Takahisa Igarashi 
Hair&Make-up 及川英子 Eiko Oikawa 
Words 川上康介 Kosuke Kawakami