かつてシャルケを率いたフェリックス・マガトが、2011年夏にマヌエル・ノイアーをバイエルンに放出したことは、自身の意思に反していたと明かしている。
これまでバイエルン、ヴォルフスブルク、シャルケなどを率いてきたマガト。シャルケでは2009年~2011年3月まで手腕を振るったが、ゲルゼンキルヒェンから去った理由の一つとして、ノイアーの売却が既定路線だったことによる不信感があったようだ。ドイツ『Bild』に対して逸話を明かしている。
「私の意見とは関係なしにノイアーの放出が決定となった。しかもそれは私がシャルケを指揮するよりも前から決まっていたようなんだ。どうもクレメンス・テンニース(当時のシャルケ会長)とウリ・ヘーネス(バイエルン社長)の間で、取り決めがあったみたいだ」
「ノイアーについては放出するなんてとんでもないことだと主張していた。だがクラブ側は売却を水面下で決めていて、私が何を言ってももはや意味がないような状況だった」
当時、バイエルンは2007-08シーズン限りでオリヴァー・カーンが引退となり、2008-09シーズンからは若手のミヒャエル・レンジング、トーマス・クラフトなどがゴールを守るも、正GKとして物足りないことから、クラブ側はシャルケで才能を示していたノイアーを新たな正GKとして、獲得を熱望していたとされる。
そしてマガトは当時を振り返り「それが私にとってテンニースに背を向けた理由になったんだ」とシャルケ退団のエピソードを口にした。
2009年夏、スポーツディレクター職との兼任でシャルケ指揮官となったマガト。2010-11シーズンはチャンピオンズリーグ(CL)でノックアウトラウンド進出を果たした。だがCL準々決勝進出決定後の2011年3月16日、マガトは突如シャルケから去ることに。チームはその後インテルを撃破しCL準決勝に進出するも、シャルケはマンチェスター・ユナイテッドの前に2戦合計1-6で敗れ、CLベスト4に終わっている。
ヴォルフスブルクで長谷部誠を、シャルケでは内田篤人を指導し、ハードなトレーニングを課すことでも知られた“鬼軍曹”マガト。10-11シーズン途中でシャルケを去った理由として、ノイアー放出に伴うクラブ側への不信感があった模様だ。
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