『スパイダーマン』や『Xメン』などなどマーベルの看板キャラクターたちを数多く生み出していたスタン・リーが11月12日(現地時間)、95歳で亡くなりました。スタン・リーは、マーベルの作家として、マーベルのみならずスーパーヒーロー全体に多大な影響を与えました。
その偉大な歴史を振り返ります。
作家に憧れていた編集者
彼は1922年に、後に彼が生み出す多くの作品の舞台ともなるニューヨークに生まれ、スタン・マーティン・ライバーと名付けられました。そして、作家に憧れながらさまざまな仕事を経て、1939年にまだ出来たてだったタイムリー・コミックス社で編集者として働きはじめました。のちのマーベル・コミックスです(60年代にに社名変更)。きっかけは、その社長で親戚だったマーティン・グッドマンの誘いでした。
作家デビュー
それから、1941年5月のキャプテン・アメリカの中の短編で、19歳の若さでスタン・リーという名前で作家デビューを果たします(キャプテン・アメリカはライター兼編集者のジョー・サイモンと後にスタン・リーと組んでさまざまなキャラクターを生み出すアーティストのジャック・カービーが生み出しており、スタン・リーが生みの親ではありません)。これが彼の初のスーパーヒーロー作品でもあります。
ちなみに、自分の本名は夢であった小説家となったときのためにとっておいたらしいのですが、結局、スタン・リーで有名になり、後に実名も変更したのだとか。とにかくスタン・リーは頭角を現し、編集長に就任。
そして第二次世界大戦が始まり、アメリカ陸軍の通信部隊に配属されたのち、訓練用の映画を制作する部門に配属され、ライターとして働き、絵も書いたのだとか。
スタン・リー作のヒーローが誕生
それから3年で兵役を終え、戦争も終結し、1960年代に入ると、ライバルであったDCコミックスでヒットしていたヒーローチーム「ジャスティス・リーグ」に対抗せんとする社長の要請により、ジャック・カービーと共に「ファンタスティック・フォー」を誕生させます。
これはスタン・リーが手がけた初のヒーローチームではありますが、実はジャック・カービーがすでにDCコミックスで誕生させた「チャレンジャーズ・オブ・ジ・アンノウン」というヒーローチームがベースであり、カービーはファンタスティック・フォーを思いついたのは自分だと主張しています(カービーとは当時かなりもめていたらしい)。ちなみにこの頃から社名がマーベル・コミックスへと変更になりました。
ヒーローに人間的な弱さを与えた
それはともかく、そこからカービーと共に「ハルク」「ソー」「アイアンマン」「Xメン」「ブラックパンサー」を生み出し、さらにアーティストのスティーブ・ディッコと共に後のマーベルの看板キャラクターとなる「スパイダーマン」や「ドクター・ストレンジ」を誕生させます。あとビル・エヴェレットと一緒に「デアデビル」もね!(個人的に思い入れが強いので書いておきます)。
スタン・リーは、幼い子供向けというだけでなく広い読者を獲得するため、ヒーローに人間的な弱さや悩みを与えていき、スーパーヒーローというジャンルを進化させ、マーベルのみならずスーパーヒーロー全体の定番のスタイルとなっていき、それは今でも受け継がれていきます。
マーベル・メソッド
こんな具合で後に映画やドラマでも有名になるキャラクターを続々生み出す中、コミックの中の読者からのお便りコーナーの中の終わりに「エクセルシオール!(向上せよ)」という言葉を使い後にこれが彼のトレードマークとなります(住んでいたニューヨーク州のモットー)。
また、この頃からライターであるスタン・リーがアーティストと共にあらすじを相談し、それを元にアーティストが絵を書き、そこにスタン・リーがセリフを埋めていくという「マーベル・メソッド」という手法を確立させます(実態はほぼアーティストがやってたという話もあり。また現在は殆ど使われていない手法です)。
お便りコーナーや編集後記などでファンに親しまれ、マーベルの顔となったスタン・リーは当時のコミックのタイトルには「スタン・リー・プレゼンツ」という文字が載せられていたほど(ライターとして参加したか問わず)。
マーベル倒産からの大ヒット
70年代後半にはずっと続けてきた編集長も降板。80年代に入ると、スパイダーマンやハルクといったキャラクターをテレビや映画業界に売り込むセールスマン的な役割を担うようになりながら、たまにコミックも手がけるという形に。
それからマーベルは何度か買収を経たものの、1998年に倒産(後にトイビズに買収され復活)。このタイミングでスタン・リーとの契約は消えますが、後に社員としてではなくマーベルの象徴としての立場として再契約を果たします。それからマーベルとロイヤリティに関して法廷闘争を繰り広げるのですが……今日はやめておきましょう。
それから今日に至るような形で彼が手がけたキャラクターの映画が大成功。それらの映画ではカメオ出演も果たしファンの間で名物的な人気者となりました。さらに直接かかわっていないヒーローの映画にも出演し、さらにはDCコミックス原作のアニメ映画にも出演しました。
日本でも原作者として活躍
またクリエイターとしても熱心に活動を続けており、近年ではマンガ『機巧童子ULTIMO』やアニメ『HEROMAN』、アニメ『THE REFLECTION』などの原作・原案を手がけており、日本との関係も浅くありません。
加えて、東京コミコンに合わせて2016年から2年連続で来日し、サイン会や撮影会でファンと交流も果たしています。その際にはインタビューをさせていただきましたが、93歳とは思えぬエネルギーに溢れた方であり、超ベテランでありながらも親しみやすく、まさにコミックで読んでいたような「スタン・リー」という雰囲気の人物。作家というよりもセールスマンなイメージのとにかく話がうまい方でした。
ここ数年、マネージャー兼後見人によって虐待され、お金が使い込まれていたことが明らかになったりするなどのさまざまなトラブルもありましたが、最近はTwitterの主導権も取り戻し(どうやら先述のマネージャー周りの人に勝手に使われていたらしい)、落ち着きを見せていたところでした。
次の『アベンジャーズ』が最後の出演に?
ちなみに、『アベンジャーズ4(仮題)』の分のカメオは撮影済みとのことで、まだ劇場で彼の顔を見ることはありそうです。果たして、今後はどのように描かれるのかも気になるところ。
とにかく、マーベルと共に生きた偉大な人物で、今のマーベルヒーロー映画の流行も彼なしではあり得なかったことでしょう。最近マーベルヒーローを知った人にはカメオのおじいさんというイメージがあるかもしれませんが、この機会にぜひ、彼がライターとして手がけた作品を読んでみて欲しいですね。
ちょうど今年、ヴィレッジブックスが通販限定という形で、『ファンタスティック・フォー:カミング・オブ・ギャラクタス』というスタン・リーが手がけたマーベル初期の名作が発売しています。先述のマーベル・メソッドを体験するならこれ。スタン・リーはこういった数々の作品を通じて永遠に生き続けることでしょう。