解説 お江戸の科学

江戸の三大大火

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江戸では大火が100回余りあり、2〜3年に一度は大火に見舞われた。中でも被害の大きさから、「明暦の大火」「目黒行人坂の大火」「丙寅(ひのえとら)の大火」を江戸の三大大火という。

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明暦の大火   明暦3年(1657)、本郷丸山の本妙寺など三ケ所から出火。大名屋敷500、旗本屋敷770、寺社350、橋60、町屋400町が焼失。江戸の町の大半が焼失し、死者は107000人に及んだといわれる。原因は、同年本妙寺の大施餓鬼に、亡き娘の供養にと燃やした振袖が風に舞い上がって本堂に燃え移ったことから、というエピソードが伝わっていて、別名「振袖火事」と呼ばれる。   この明暦の大火の教訓から、火災の延焼を防御する空間として、火除け空地(盛り場等)や火除け土手、広小路(道路幅10間=約18m)などを設置した。また、各地に掘割りを造って消火用、避難用にした。 第一出火1月18日 本郷丸山本妙寺 第二出火 1月19日 第三出火 1月19日 明暦の大火 発火日と被害 隅田川 神田 本丸 西の丸 新橋 溜池 目黒行人坂の大火   明和9年(1772)、目黒行人坂の大円寺から出火。原因は生臭坊主真秀が盗みのために寺の庫裡に放火したもので、被害は焼失町数934町、死者14700人と伝えられている。真秀はその後捕らえられ、火あぶりの刑に処せられた。また、この火災による大被害で物価が高騰、幕府は厄災を払うため同年冬に年号を安永と改めて、平穏な世の中を願った。

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丙寅の大火 文化3年(1806)、芝高輪の車町から出火。原因は不明。藷候藩邸83、寺院60、神社20余ケ所、530余町が焼失した。焼死溺死者1200余人と伝えられている。