染織技術の継承と向上を目指して戦前に発足し、2024年に72回目を迎えた高島屋の「上品會(じょうぼんかい)」

その歴史や魅力を探るべく、作家・岩下尚史さんが大阪の「高島屋史料館」を訪れました。史料館のある、重厚感溢れる高島屋東別館の入り口で出迎えてくださったのは、高島屋史料館副館長・橋本由雄さんと、高島屋呉服部のマーチャンダイザー・原健一郎さんのお二人です。

岩下さん(以下、敬称略) わたしの若いころからみても、大阪もずいぶん変わったようですが、こちらは、関東大震災後に東京を凌ぐほどの勢いがあった「大大阪(だいおおさか)時代」の面影を残す、立派な建物ですね。

高島屋史料館 岩下尚史さん
撮影=高嶋克郎
大阪の高島屋東別館の、エントランスホールに佇む岩下尚史さん。昭和初期の、アール・デコ様式の意匠をいまに遺す歴史的建造物で、壁面や階段には、現在は採れなくなった国産の大理石を使用しています。

橋本 建築関係の方から「シーラカンスのような建物」とも言われるほど当時の意匠が残っており、2021年には国の重要文化財(建造物)に指定されました。

岩下 百貨店建築を得意とした名建築家・鈴木禎次(すずきていじ)らしい、それは見事な造りですね。

橋本 & 原 それでは、当社の史料館のほうへどうぞ……。

作家を支え続けてきた高島屋の矜持

高島屋史料館は、1970年に株式会社設立50周年の記念事業として設立。高島屋創業からの歩みとともに、収集・保存してきた美術工芸品、そして多種多様な百貨店資料が展示されています。

さらに、2020年に行われたリニューアルに伴い、膨大な収蔵品の一部はデジタル化され、タッチパネル式のモニターで作品を詳細に見ることができるようになりました。

タッチパネルを試す岩下尚史さん
撮影=高嶋克郎
高島屋史料館内に設置された最新式のモニターで、岡田三郎助の油絵『支那絹の前』を観る岩下さんと、副館長の橋本さん。画像の拡大のほか、立体作品の場合には背面まで360度見ることができるシステムです。

岩下 これは便利なうえに画像も鮮明ですね。この作品のモデルは、画家・岡田の夫人ですよ。ほかにも、近現代の錚々たる作家さんたちの作品がそろい踏みで……森田曠平(こうへい)、中村貞以(ていい)、岡田三郎助、ああ、これは鏑木清方だ。模様はもちろん、織りや繍(ぬい)の質感まで、手に取るように描かれていますね。当時の優れた画家はご婦人の衣装に詳しく、体の動きに添った襞(ひだ)や柄の流れまでも表しています。

橋本 高島屋には明治の終わりから美術部門があり、1990年には「公益信託タカシマヤ文化基金」を設けるなど、才能ある作家さんたちをサポートしてきたという自負があります。

岩下 もとは呉服商でいらっしゃるから、とりわけ婦人の衣装の下絵には熱心に取り組んでこられたのでしょうね。

橋本 高島屋は明治時代、輸出貿易に力を入れていました。輸出したのは、京都の職人が刺繍や友禅染の技を駆使して製作した壁掛や屏風、衝立など。当時ヨーロッパを席捲していたジャポニスムも追い風となり、高島屋の染織品は室内調度品として大変好まれたといいます。世界に通用する製品づくりのため、日本画家の竹内栖鳳(せいほう)や山元春挙(しゅんきょ)らに下絵を依頼し、新しい図案が次々に誕生したのです。

 それらの図案をもとに、精緻な刺繍やビロード友禅などの技法によって表現された染織品は、ヨーロッパやアメリカで開催された万国博覧会で高い評価と人気を得て、高島屋が大きく躍進するきっかけとなりました。

岩下 なるほど、当時の高島屋さんの美に対する価値観を、いま改めてバージョンアップし、海外の目の肥えた富裕層に発信する時代が再び来ているのではないでしょうか。

日本の染織の最高峰を志した「上品會」の作品

高島屋「上品會」出品作品 
撮影=高嶋克郎
1990年代に作られた、当時「上品會」同人であった「ちた和」の訪問着。鴇(とき)色の地に、小菊や薄(すすき)を縦のラインで構成した模様づけは、姿をすっきりと見せるためのもので、新橋の粋筋を贔屓客にもった、「ちた和」ならではの作品です。
髙島屋上品會写影帖
撮影=高嶋克郎
高島屋上品會写影帖
撮影=高嶋克郎

岩下 「上品會」の成り立ちをお聞かせください。

 昭和11年(1936)に、初代龍村平藏の呼びかけで「千總(ちそう)」、「矢代仁(やしろに)」、そして「龍村」の染・織・帯のメーカー3社が集まり、染織の最高峰を目指して會が発足されました。現在、同人は8社。戦時中に中断したのち、再開した昭和28年(1953)を改めて第1回として、2024年で72回を数えます。毎年秋には審査会が行われ、同人各社の作品を審査し、入選したものは高島屋が買い取っています。

岩下 昭和11年というのは、明治以来、西洋化を推し進めてきた国策を見直し、日本らしさとは何かということを日本の指導者たちが考えるようになった時期にあたります。同様に、和装業界も「日本美」を追求し、職人たちの技術がもっとも向上したとも聞いています。ですから、髙島屋さんも染織の最高峰のものを作ろうとお思いになったのでしょう。

 その意気込みで「上品會」が始まったわけですが、戦争で一時中断してしまいます。岩下さんには実際に作品をご覧いただきたく、戦後ようやく復活した昭和28年(1953)の作品をお持ちしました。

「ちた和」の振袖を広げる呉服部の原さん
撮影=高嶋克郎
昭和28年(1953)に制作された、当時「上品會」同人であった「大彦」による振袖。ボリュームのある四季草花がいちめんを埋め尽くし、下前で隠れてしまう部分まで描かれています。
「ちた和」の振袖
撮影=高嶋克郎
上の振袖のアップ。友禅染の模様に、金彩や刺繍がたっぷりと加飾されています。

岩下 ああ、これはまた見事ですねえ。これこそ、上等のいいお家のお嬢さんが一生に一度着るのにふさわしい、絢爛たる振袖です。本当にいい晴れ着というものは、見た人の記憶に残り、二度着るのは憚られるものですから。見た人の記憶に残ると考えれば、高価であっても値段では測れないものですものねえ。とりわけ高島屋さんの「上品會」のお客様であれば、昔からそういう豊かな心持ちの方が多かったことでしょう。

原 こちらは昭和34年(1959)の出品作品で、「千總」の訪問着です。

髙島屋「上品會」 「千總」の訪問着
撮影=高嶋克郎
昭和34年(1959)に制作された、京友禅の老舗「千總」の訪問着。小さな鶴が絶妙に配置され、丁寧に刺繍も施されています。
岩下尚史さん @髙島屋史料館
撮影=高嶋克郎
左から、岩下尚史さん、原健一郎さん、橋本由雄さん。上の「千總」の訪問着や、上品會初期のころの写影帖(カタログ)を観ながら、話が弾みます。

岩下 鶴がいまにも飛び立つかのよう! さすが「千總」さんですね。これをまとって動いたときに鶴がどの位置で羽ばたくのか、熟知して配置されていますね。わたしが若いころに見た上等の芸者たちは、踊るときに模様がどの位置に出るか、大変にやかましかったものです。イヴ・サンローランのモンドリアンルックは画期的なものといわれていますが、きものを着てきたわたしたち日本人にとって、絵そのものをまとうことは普通のこと。動きによって絵も生かされることには、西洋の人よりも洗練を重ねてきた歴史があります。

 着物の大きな魅力の一つは、絵をまとうことができることで、世界に誇れる衣装だと思います。

岩下 それにしても、戦争を経て再興したこの「上品會」の過去の名作を拝見致しますと、「日本美」を極めようと人生を懸けた職人たちの迫力を感じます。

 このみごとなボリューム感は、この時代ならではのものですね。

岩下 昭和から平成になって失われてしまった日本のよきものを、令和になり見直そうとする動きが、若い人たちのなかにみられるようです。こうした上質な暮らしを望む若い世代の方々が、「上品會」にいらして「日本美」の精髄に共感して購入されることで、染織の技術も向上し、現代の名匠たちを育成することにも繋がると思います。「上品會」は、日本の和装美における最後の牙城(がじょう)だと思っておりますので、これからも頑張っていただきたいですね。



「高島屋上品會特設サイト」はこちら

〈上品會開催スケジュール〉
京都店/2024年1月5日(金)~8日(月)
日本橋店
/1月10日(水)~15日(月)
横浜店
/1月17日(水)~22日(月)
JR名古屋タカシマヤ
/1月26日(金)~28日 (日)


高島屋史料館前の岩下尚史さん
撮影=高嶋克郎

〈Profile〉
いわした・ひさふみ◉新橋演舞場企画室長として「東をどり」の制作に携わる。退社後、芸者の発生と変遷について『芸者論』を著し、第二十回和辻哲郎文化賞を受賞。國學院大學客員教授。またテレビのコメンテーターとしても活躍中。おもな著書に『名妓の夜咄』、小説『見出された恋 「金閣寺」への船出』(ともに文春文庫)、近著に『大人のお作法』(集英社インターナショナル)ほか多数。

岩下尚史さんインスタグラム


撮影=高嶋克郎 ヘア&メイク=谷口裕子