毎日着物で過ごして15年。雑誌『美しいキモノ』編集部を経て着物エディターとして活躍する安達絵里子さんの日々を綴った連載です。今回は、「身を守る祈りのかたち」がテーマ。以前から文様にこめられた意味に興味を抱いていた安達さん。コロナ禍を過ごして今、改めて思うこととは……着物好きならではの好評エッセイ第8回です。
風をはらむ絹紅梅
夏至を翌日に控えた梅雨の晴れ間、まだ人に会う予定はありませんでしたが、家族と近所の湧き水まで歩きました。
着物は格子に牡丹が染められた絹紅梅(きぬこうばい)。数日前の蒸し暑さと大雨の湿気が緩和された好日で、太い綿糸を織り込んで格子状の畝(うね)を成した紅梅は張りがあって、極薄の絹地にさわやかな風を通して心地よく着られました。
先月書いた「絹は涼しい」を改めて実感しつつ、「今、絹紅梅を着たら盛夏は何を着ればいいのか」と毎年のことながら、初めて着物で夏を迎えるかのように忘れていた炎暑に思いをはせました。
初夏に活躍する博多帯
帯は白地に涼しげな色で縞や鍵盤、音符を織り出した博多織の八寸です。
かつて『美しいキモノ』で色違いを見て、珍しく問い合わせて購入した帯でした。何年前だったか、音楽に関わる帯が欲しいと思っていて、なかなか気に入ったものと出合えずにいたところ、音楽モチーフをあからさまではなく、さりげなく表現したこの帯が気に入ったのです。
しかし、これには小さな失敗談があります。
買ったばかりの頃、夏の終わりに音楽会があり喜んで締めたのですが、忘れていたのです。博多織は絹鳴りがすることを。
谷崎潤一郎の『細雪』冒頭にも、音楽会へ行く前の身ごしらえで、息をするたびにキュウキュウと鳴らない帯を探すシーンがありますが、それを思い出しつつ、呼吸に気を取られて音楽に集中できないことがあったのでした。
それ以来、この帯は主におしゃれ着用。博多織は地質によって1年を通して締められますが、この帯は涼しげな色調なので、初夏から初秋、盛夏は紗献上(しゃけんじょう:博多織の献上柄)を愛用しますから、季節の境に締めることが多いです。
玉虫の彫金帯留
この日は緑豊かな場所に出掛けたのと、ちょうど屋外で玉虫を見かけたと家族が言っていたので、初めて彫金の玉虫を帯留に据えてみました。
桂盛仁(かつらもりひと)さんが「彫金」で人間国宝になられた2008年、プチポワン(ピンバッジ)として記念に制作されたものを、帯留として使ったのです。
玉虫といえば、飛鳥時代の玉虫厨子に用いられるくらい綺麗な虫という印象しかありませんでしたが、日本国語大辞典で調べてみると古来中国でも日本でも吉兆の虫とされていたようでした。なんでも恋が叶うとか。さらに読み進めると「簞笥に入れておくと衣類が増えるという俗信もある」そうで、もはや今の私は後者のほうに期待したいところです。
文様に祈りを込めて
かつて中学校のクラスで着物の話をしたとき、文様についてはこう語りました。
「和服に表される文様には、松竹梅、鶴亀、扇など、植物や動物、日用品の器物など様々あります。これらはすべておめでたいとされている文様です。ではどうして着物に表される文様はおめでたいのでしょうか?」
「想像してみてください。昔は今ほど医療が発達していませんでした。『源氏物語』に薬師が出てきますが手術はしません。身分の高い人でも、祈祷師というお祈りする人を呼んで、ひたすらお祈りをして回復を願うことしかできませんでした。近世まで似たような状況だったと思います」
「大事な人の身を包む衣服。命ほど大切なものはありません。病気や災難に遭ったらどうしよう。どうか大事な身体が守られますように。文様には着る人の趣味や身分を表すということだけではなく、そんな祈りにも似た願いが込められています」
「そのため人生最大の節目である婚礼衣装には、吉祥文様といわれるおめでたい文様が満載されています。成人式に女性が着る振袖もおめでたい文様で華やかに彩られています。牡丹や桜など、ただの花に見えるものも、みんなそれぞれにおめでたい意味が込められています。ひとつひとつ説明している時間はありませんが、およそ衣服に表されている文様はすべて着る人の幸せや健康を祈る、おめでたい文様といって過言ではありません」
花嫁を包む吉祥文様
写真の白無垢一式は昭和初期の婚礼衣装で、池田重子先生のご厚意で池田重子コレクションをお借りしたものです。白無垢といっても、すべて白であったのは裾に「ふき綿」のたっぷり入った向かい鶴菱地紋の振袖だけで、打掛(うちかけ)の裏は朱赤、表地には振袖と同じ向かい鶴菱地紋に金銀糸で根引きの松と霞が刺繍されています。掛下帯(かけしたおび=打掛の下に締める帯)には緑などの色糸で若松をくわえた「松喰い鶴」が刺繍されています。角隠しは、裏が緋色、表に白の紗を重ね、鳳凰の丸が白で刺繍されています。ここでは見えませんが、丸絎け紐、帯あげ、抱え帯、総絞りの長襦袢も緋色でした。
打掛に刺繍された松は、根が付いた若松「根引きの松」です。この伸びやかで格調高い意匠は本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)作の「子日(ねのひ)蒔絵棚」(重文・東京国立博物館)に金銀高蒔絵で表された根引きの松の写しと思われます。
地紋の鶴に、刺繍の若松。すなわち松に鶴の取り合わせは、ここに書くまでもなく、婚礼衣装にも好まれる代表的な日本の吉祥文様です。
私は白無垢を着させてもらった翌年、名古屋に引っ越しましたが、そこで「初音蒔絵調度(はつねまきえちょうど)」(国宝・徳川美術館)に出合ってから、この文様にいっそう心惹かれるようになりました。
これは三代将軍徳川家光の長女千代姫が尾張徳川家二代光友に婚嫁したときに持参した婚礼調度で、日本の蒔絵史の中でも最高の技術を尽されたものとして知られます。
この一連の調度品は、『源氏物語』「初音」帖で明石上(あかしのうえ)が詠んだ「年月を松にひかれてふる人に今日うぐいすの初音聞かせよ」の歌意を意匠化していることから名があります。小松引きの遊びを行う「初子(はつね)」の日と元日が重なったおめでたい日、五葉の松に結びつけられたこの和歌や、作り物のうぐいす、菓子入りのひげ籠などが、実母の明石上から離れて住む明石の姫君のもとへ届けられる場面です。姫の将来を考えて手放した明石上が「初音」に託した我が子への思い。それが江戸時代初期、わずか数え年3歳で嫁した千代姫の婚礼調度にこの文様が選ばれたことに、時代を超えて同じ思いを抱く、切なくも深い親の愛情が重なり、胸打たれる気持ちがします。
「初音」の意匠は、梅に鶯、根引きの松など物語の要素が殿舎の風景模様とともに描かれていますが、この昭和初期の婚礼衣装に表された根引きの松にも、同じ願いが込められているのではないか──物語が生まれた平安時代、文様として享受した江戸時代を経て、昭和初期の花嫁のために制作された打掛を、平成時代に縁あって身につけることができたありがたさを、後になってから実感したのでした。
話が長くなりましたが、文様に託される重層的な願いや祈りは、それに身を包まれる人を守り抜く力を秘めているように思うのです。
文様が与えてくれるパワー
写真は、昭和初期の古風を残す昭和30年頃の婚礼衣装をお色直しで着たときのものです。黒縮緬地五つ紋付桐に鳳凰文様の振袖に、鳳凰の丸を織り表した丸帯を合わせています。明治から大正、昭和初期のきもの史研究をライフワークにされている山下悦子先生の所蔵品で、当時連載を担当させていただいたご縁でお借りしました。
山下先生によれば大正時代頃、打掛は華族が用い、裕福な家庭であっても商家などは打掛を遠慮し、黒振袖を正式な婚礼衣装として用いたそうです。
私は貴重な体験をさせていただく意味で、婚礼から披露宴の来賓お迎えまで白無垢を、披露宴の席で色打掛(先月ご紹介した鶸色地鶴文様刺繍打掛)に替え、お色直しでこの黒振袖を着用しました。
桐に鳳凰の文様は、いわゆる「付き物」とされる取り合わせ文様で、留袖や振袖、袋帯など礼装に欠かせない吉祥文様です。中国最古の詩集『詩経』に鳳凰は桐に宿ると記載されるほど昔から高貴であると尊ばれ、皇帝を暗示するとされています。日本では特に大正の御大典から流行しだしたと山下先生に教えていただきました。
邪気をも払う品格の高い文様で我が身を包むのは恐れ多いことですが、一生に一度の晴れがましい場でこの文様に守られ、ありがたいことでした。
「コロナ禍」といわれ、まだ先の見えないこの数ヶ月、疫病退散を願って「アマビエ」という妖怪がお菓子の意匠やマスクの柄など、様々に表現されています。
私自身、文様に込められた意味にはかねてより興味がありました。
中学生を前に「文様が身を守る」などと偉そうに話しましたが、「コロナ禍」の不安にさいなまれた日々を経て、まだまだ人間のなしうる力はすべてに及ばず、私自身の認識も甘いことを実感しました。文様に薬効成分がなくとも、私が思う以上に文様には人を守ろうとする強大な力があるように思えてきたのです。
◎安達絵里子さんのこれまでの連載「着物問わず語り」他はこちらからまとめてご覧いただけます