親子でありながら師弟。しかも、親はかつて狂言の修業を「プログラミング」とし、修練の結果を「サイボーグ」にたとえて、道の厳しさを説いた。大人の入り口に立った、息子にして弟子でもあるひとりの人間に親が語ること。それは、次代を生きる若者へ贈るエールとなるに違いない。


個性より型。厳しくプログラミングされた幼いころ

ふたりが笑う。ふたりが立つ。ふたりが座る。磨き込まれた能舞台の上のふたりは、それぞれが存在感を放っていた。親は圧倒的な迫力と重厚感を、子は弾むような若々しさと清潔感を。狂言師、野村萬斎・裕基父子。ふたりの無駄のない所作が、野村万作家の稽古場を華やかながらも凜とした空気に染める。

この稽古場の大掃除は12月28日前後。天井の煤が払われ、舞台の板間は米ぬかや豆乳などの植物性油脂で磨かれる。野村万作一門の約15名が総出となっての作業だ。舞台の上に注連縄が張られ、舞台脇の床の間には、三幅一対の「翁・三番叟」の軸が掛けられる。古くからの神事を起源とし、日本の芸能の真髄ともいわれる演目の軸が掛かるのは、狂言師の家ならでは。そして新年。長である野村万作を中心に一門が集まり、賀詞交換のあとは、舞台正面に並んで一礼。歳神様に向かっての新年のご挨拶となる。

10月に入ったというのに、汗ばむような陽気の午後だった。南側に窓を大きくとった稽古場には、秋の日差しが降り注いでいた。歳神様がいらっしゃるのは、残念ながらもう少し先のことだ。

最初に稽古場に姿を見せたのは裕基さんだった。早速、舞台に上っていただく。

「もう少し笑顔をください」

ポートレート撮影で交わされるごく普通のリクエストがカメラマンから入る。緊張の面持ちが少し緩む。次のリクエストが普通とは違っていた。

「今度は狂言の笑顔で」

途端に、口が大きく開いた満面の笑み、太郎冠者が狂言の舞台で見せる、あの笑い顔になる。立ち姿もそうだ。狂言の基本姿勢をお願いする。すると即座に、腰を沈めて重心を下に保ち、身体を少し前傾させた、「腰を入れた」姿勢になる。狂言で「カマエ」と呼ばれる姿だ。摺り足の姿勢でもある。臍の下にあたる丹田に意識を集中させた、隙のない、とても美しい立ち姿だ。

「息子へ。野村萬斎 野村裕基 『婦人画報』2022年1月号
撮影=名和真紀子
野村裕基(ゆうき) 22歳。

萬斎さんが現れたのは、10分ほどあとだった。身長180センチの裕基さんと並ぶと、確かに萬斎さんのほうが背丈は少し低い。しかし、それを感じさせない存在感、内から弾き出るエネルギーを発している。人はそれを「オーラ」と呼ぶ。「カマエ」も笑顔も、もちろん瞬時に決まる。撮影もあっという間に終わった。

「息子へ。野村萬斎 野村裕基 『婦人画報』2022年1月号
撮影=名和真紀子
野村萬斎 55歳。

こうした「カマエ」のように、決められた所作を「型」という。日本の古典芸能においては、この型が重要視されてきた。とりわけ狂言の世界では、それが厳しく求められた。萬斎さんは、かつて、それをコンピューターにたとえ「プログラミング」あるいは「サイボーグ」と称した。幼いころの稽古は、個性の尊重などとは無縁で、子どもの意思にかかわらず、師匠である親が何度も真似させ、型を植え込んでいく。そして狂言サイボーグが出来上がる。裕基さんも、おそらく厳しくプログラミングされたに違いない。

「嫌だと思ったことはありませんでしたか」

師匠の前では答えづらい質問かもしれないが、あえて尋ねる。

・・・

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  • 息子へ。萬斎さんの稽古
  • 裕基さんに足りないもの
  • 無二の存在、萬斎さん
  • 垣間見えた親子としての会話
  • 裕基さん2003年~2020年貴重な舞台&オフショットギャラリー (残り4722文字)


「物心つく前から、こうした環境でしたから、嫌とかどうとか、自分でもわからないうちに染み付いていました」

「嫌だったと思いますよ。特に、自由を求める思春期には」

助け舟のような言葉を萬斎さんが挟む。

「僕は嫌でしたね。父の稽古では叩かれ、ものが飛んできましたから。それに比べると、この子は従順でした」

裕基さん曰く「僕は発散するより、溜め込むタイプですから、溜めて溜めて、そこで自分を知っていくというか……。でも、いま、狂言というものが自分のなかになかったら、どんな人間になっているのか、想像もつきません」

裕基さんは大学4年生。2022年春には卒業を迎える。

「小さいころから社会科が好きでしたから、専攻は政治。卒論も政治と文化に関することです。でも、卒業後は狂言の道に入りますから、就職活動はしませんでした」

「息子へ。野村萬斎 野村裕基 『婦人画報』2022年1月号
撮影=名和真紀子
2021年10月 稽古場にて。「狂言をやっていない自分。それは見当がつきません」━野村裕基

「型」のなかに潜む真実を求めて

野村家には、「猿に始まり、狐に終わる」という言葉がある。幼いころ、『靱猿』という演目の子猿役で初舞台を踏み、一人前の狂言師と認められるのは、『釣狐』の古狐を演じてから、という意味だ。また、『三番叟』『奈須与市語』『花子』などの、大曲と呼ばれる演目を演じることも重要視される。萬斎さんと裕基さんは、『靱猿』『三番叟』『奈須与市語』を、3歳、17歳、20歳と、くしくも同じ歳で披いてきた。狂言の世界では、大作を初演することを、畳んであるものを広げるという意味で、「披く」と表現する。鍛錬を重ね、蓄積したものを一挙に観客の前で広げる。初演にふさわしい、趣のある表現だ。萬斎さんが『釣狐』を披いたのは22歳。裕基さんも22歳を迎えた。

「具体的な稽古はまだしていませんが、祖父の万作がまだ『釣狐』を演じていて、つい先日もその舞台を見ました。心の準備はしておかなければ、という気持ちです」

「父の万作が私に『釣狐』の稽古をつけたときは、型が中心でした。もちろん型はとても重要で、私も裕基にはまず基本的なことから教えます。ただ、私がこだわるのは、そこに真実はあるのか、中身は伴っているかを、問いただしていくことです。古典は、よくも悪くも、型のみで、ある程度のレベルまで達してしまうもの。でも、いまのセリフはどういうつもりで発したのか、そこに必然性はあるのか、ということが大切。とくに、狂言のセリフは抑揚や間が決まっているので、なおさら、中身に真実がないと、空虚なものになってしまいます。型を型として捉えるのではなく、どうしてその型が求められているのか、ということを深く考えると、自ずと相手に伝わるのではないでしょうか。さらに、古典芸能の場合は、古くからのお客様に、自分たちの新しい価値基準で立ち向かっていく、という面があります。つまり、父や祖父たちが築いた基準というものをアップデートしなければならない。お客様に迎合するわけでもなく、よい意味での緊張感を保ち続ける。型を深く考え、そこに宿る真実を追求するということは、そういうことだと思います。この考え方は、私が狂言だけでなく、現代劇などの演出にも携わった経験も大きく関係しているのではないでしょうか」

「息子へ。野村萬斎 野村裕基 『婦人画報』2022年1月号
写真提供:政川慎治
2003年9月『靭猿(うつぼざる)』「息子の初舞台、私は鬼のプログラマーになっていました」━野村萬斎

一直線に飛んでくる、圧倒的な質量感をもった空気の塊

萬斎さんの声は特別だ。声が聞こえるとか、耳に届くとかという、生易しいものではない。また、声がよいとか悪いとかという問題でもない。ともかく圧倒的な質量感をもった空気の塊が、波動砲のように押し寄せてくる。しかもその空気の塊は、口から発せられているのではなく、あたかも体全体から、聞き手に向かって一直線に放射され、それが飛び込んでくる。それなのに、本人は平然と、むしろ涼しそうな笑顔を浮かべている。

「自覚はありませんが、訓練を重ねた結果の技術的なものに、いろいろな経験が加わって完成した声かもしれません。たとえば蜷川幸雄さんの舞台に出ると、とにかく声を張り上げ続けることを求められます。それで喉を傷めてしまう。でも狂言の舞台にも出なければならない。そういったことの繰り返しの成果かと」 

萬斎さんよりは若々しいが、それでも十分迫力のある声が、裕基さんにも生来備わっている。しかし、師匠は手厳しい。「いまの裕基さんに足りていないものは何でしょうか」という、裕基さんにはやや気の毒な質問を投げかけたときのこと。

「人に負けない姿と声が足りていません」

そんな答えが即座に返ってきた。

「役者は、立ってなんぼ、声を出してなんぼ、というもの。それが舞台の上での存在感。そのためにも、自分を律し、感覚を研ぎ澄ませ、己はいま、こんな姿で見えているのであろうという客観的な予測をすること、いわゆる『離見の見』が大切です」

萬斎さんの語りに熱が入る。

「狂言が他のジャンルに負けないためにも、狂言での存在感を確固たるものとし、そして他の演劇、例えば現代劇の経験をすることも必要です。いつもと違う場で、自分がやっていることは何なのかを問い、逆に問われたほうがよい」

萬斎さんほど他ジャンルと切り結んできた狂言師は、ほかには見当たらない。朝の連続テレビ小説、映画、シェイクスピア劇、現代劇への出演、そして演出。近々では、人気ドラマ「ドクターX」でかつてない敵役を演じ、話題となった。そんな萬斎さんだからこそ、演劇を語るその言葉は、自身の息子だけでなく、次代に続く多くの人々への言葉となる。息子への言葉は、じつは、多くの若者たちへのエールでもあるのだ。

「息子へ。野村萬斎 野村裕基 『婦人画報』2022年1月号
写真提供:政川慎治
2014年7月第67回野村狂言座『成上り』 写真は主人(萬斎さん)が、万作さん演じる詐欺師を後ろから羽交い締めにし、太郎冠者の裕基さんに捕まえよと命ずるシーン。

肉親でありながらも、師弟という厳しい関係を築いた三代

野村家に伝わる狂言は、全部で254演目を数えるといわれる。そのうち、いくつ裕基さんは演じたのだろうか?

「半分くらいかな」

裕基さんが自信なさげに答える。

「そんなわけないだろ。百もいってないだろう」

間髪を入れず、萬斎さんが口を挟む。それまでの丁寧な口調とは打って変わった、ぞんざいな調子で。それは師匠と弟子という間柄ではなく、ごく普通の親子が交わす会話のトーンに近かった。また、狂言以外で、いま一番やってみたいことを裕基さんに尋ねると、「コロナのせいで大学の友人と卒業旅行に行けませんでした。旅行に行きたかった」との答が返ってきた。その残念そうな表情は、やはりごく普通の二十歳過ぎの大学生と変わらないものだった。だが、裕基さんが狂言師として成長すればするほど、ふたりの間は親子というより、師弟という側面が強くなるはずだ。第三者がそれを「宿命」と表現するのは憚られる。しかし、だからこそ、世界でも稀な、「家」でつながっていく伝統芸能の世界が存在し得るのも事実だろう。

1月1日、一門が勢揃いし、歳神様に挨拶をするとき、万作、萬斎、裕基の3人が並ぶ。芸のために、肉親でありながらも、師弟という厳しい関係を築いた三代の狂言師を、歳神様もきっと温かく見守ってくれるに違いない。

「息子へ。野村萬斎 野村裕基 『婦人画報』2022年1月号
撮影=名和真紀子
かつては稽古が終わるとふたりでキャッチボールをしたことも。「子どもが小さいころは、家庭では親子に戻る必要がありました」と萬斎さん。

のむらまんさい◯祖父六世野村万蔵、父野村万作に師事。国内外での狂言、能公演に参加する一方で現代劇出演や演出、映画等で活躍。2002年より世田谷パブリックシアター芸術監督。21年秋に人気ドラマ「ドクターX」にレギュラー出演し話題を呼ぶ。

のむらゆうき◯野村萬斎の長男として3歳で初舞台を踏む。慶応義塾大学に在学中。2017年『三番叟』を披く。18年にパリで開催された「ジャポニスム2018」では祖父・父と日替わりで三番叟を務める。今後の活躍が期待される「万作の会」のホープ。


[野村裕基さん 2003~2020年 舞台&オフショットギャラリー]

「息子へ。」野村萬斎 55歳。野村裕基 22歳。『婦人画報』2022年1月号

撮影=名和真紀子 取材・文=櫻井正朗 ヘア&メイク=国府田雅子(barrel)『婦人画報』2022年1月号より