※こちらの記事は、『婦人画報』2013年9月号より転載しています。
在位61年、87歳という、英国史上最長、最高齢の君主であるエリザベス女王。「次の英国王は誰か」ということに関心が高い英国民は、長い年月王位継承順位1位のチャールズ皇太子と息子のウィリアム王子を見つめてきました。めでたく、曾孫まで誕生した英国王室の「未来」について考えます。
マイ・ハズバンド アンドアイ 27
文=渡邉みどり
帝王学は祖母エリザベス女王から
ウィリアム王子はイートンでの教育に加え、祖母のエリザベス女王からも帝王学を授けられていた。毎週日曜日の午後4時は、ウィンザー城で女王と“お茶をする〞時間だ。英国の正式な茶会を楽しみながら、祖母から口伝で「英国王とはどのような心構えで生きるべきか」を自然に学ぶ貴重な時間だ。女王は「超然としていること、控えめな態度、目立つ行動はしない」という王位継承に対する心構えを未来のキングに説いて聞かせたという。
ときには、エリザベス女王からウィリアム王子へ、「ディスコに行くときに守るべき10のこと」まで伝えたという記録が残っている。それはじつに細かい禁止事項で、
一、禁煙
二、禁酒
三、禁ドラッグ
四、公衆の面前で女の子とのキス禁止
五、ダンス中の写真はなるべく撮られない
六、ボディーガード同伴
七、信頼できる友達と行くこと
八、ただし、往復はボディーガードと一緒
九、門限厳守
十、ディスコやパーティに行くときは学校の許可を得ること
女王は王子の教育を監督する憲法上の権限を持っており、女王の伝記作家、サラ・ブラッドフォードによれば「女王はウィリアム王子の世話をする責任があると感じている」とある。
じつは、「母親として」息子のチャールズ皇太子に海軍式の厳しいスパルタ教育を施そうと試みたときには、あまり成果を得られなかったけれど、「祖母として」また「女王として」、孫に向き合うときには余裕が生まれたのかもしれない。ダイアナ妃という偉大な母親がいなくても、ウィリアム王子は難しい思春期を乗り越えることができた。
成人した21歳のウィリアム王子は、インタビューに答え、「自分の人生のロールモデルはエリザベス女王である」とはっきりと発言している。理想、お手本としているのは、父でも、祖父でもなく、祖母のエリザベス女王。エリザベス女王の偉大さがここからもうかがえる。
未来のキング、母親譲りの「ボランティア魂」
千年にわたる王家の血筋を背負い、特別な星の下に生まれたウィリアム王子。未来のキングは、母を失った悲しみに耐え、国民の期待を背負ってたくましく成長した。
歴史に詳しいジャーナリストたちはみな「彼こそ英国の希望の星」と口々に言う。母親譲りのスマイル、美しいブルーの瞳に190センチの長身、君主に必要な輝きとカリスマ性を備えており、ウィリアム王子は度量の大きなプリンスに成長した。
たとえば、13歳のころ、在りし日のダイアナ妃に「ママはドレスをたくさん持っているのだから、チャリティに出して恵まれない人たちを助けてあげたら」と助言するほどだった。そこでダイアナ妃は、80着のドレスをクリスティーズのロイヤルオークションに出品した。収益は全額がイギリスの王立マースデン病院の「癌基金」と「エイズ・クライシス・トラスト」などの団体に寄付された。
結婚生活でダイアナ妃を苦しめ、その死後もなお、不倫を続けた父親のチャールズ皇太子が、いつのころからか、偉大な名君だった王たちの名をとり、「いずれはジョージ7世を名乗りたい」などと発言するたびに、その人気は急下降。かわりに英国民は、“未来のキング”としてウィリアム5世の登場に大きな期待を寄せているのが現実である。
母と孫の人気に支えられた'90年代の英国王室
'90年代、英国王室費を巡る国民からのバッシングや、王室そのもののスキャンダルなどによって、50代のエリザベス女王は、なかなか「女王」としての威厳が保てずにいた。
そんなとき戦中戦後の耐乏生活を国民とともにし、むしろ国民から敬愛され続けていたのは1900年生まれのクイーン・マザー(ジョージ6世妃エリザベス皇太后)だ。国民に人気投票をすると、常にクイーン・マザーとウィリアム王子が人気を二分する。エリザベス女王にとっては、実母と孫であるふたり。
クイーン・マザーはスコットランドの出身で、ウィリアム王子は、そのゆかりのスコットランドのセント・アンドリューズ大学に進学した。しかもスコットランドは領土をめぐりイングランドと対立の歴史がある。そのスコットランドの大学に進学することは、つまりウィリアム王子が未来のキングになる決心をしたのだということを表しており、王子の心の成長も読み取れる。
吃音の夫ジョージ6世にひたすら尽くし、名君に育て上げたクイーン・マザー。2000年8月4日には元気に100歳の誕生日を迎え、シンクタンクのアダム・スミス研究所が行った調査では
「王室は次の50年間も安泰だ」
とする回答が45%にまで回復した。じつは、ダイアナ妃が事故死した1997年には、同じ回答が30%を切るところまで落ち込んだことを考えると、見事な回復ぶりであった。このころ、『ザ・タイムズ』が「ザ・クイーン・マザーズ・センチュリー」として27ページもの特集を組めば、『デイリー・テレグラフ』では1歳から100歳まで100枚の顔写真(4×3センチ)を載せ、歴史の生き証人「クイーン・マザーの世紀」を祝福した。'90年代、エリザベス女王は最悪の年回りではあったが、18歳のウィリアム王子とクイーン・マザーの人気が、なんとか、英国王室を支えてきたのである。
Profile
わたなべ・みどり●ジャーナリスト。文化学園大学客員教授。東京都出身。早稲田大学卒業後、日本テレビ放送網入社。1980年「三つ子15年の成長記録」で日本民間放送連盟テレビ社会部門最優秀賞。昭和天皇崩御報道の総責任者。1995年『愛新覚羅浩の生涯』で第15回日本文芸大賞。『英国王冠をかけた恋』、『美智子さま「すべては微笑みとともに」』など著書多数。
『婦人画報』2013年9月号より